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原爆の過ちを訴え続けた米国人(2)



オダネルさんは、軍隊で使っていたトランクを屋根裏部屋に置き、家族には「絶対に開けるな」と告げていました。

しかし、アメリカに帰国してから43年後、オダネルさんが67歳の時、突然トランクを開けたといいます。

トランクの中には、軍の規則に違反して撮影された、長崎の写真が隠されていました。

残された30枚のネガには、破壊された長崎の町と、瓦礫の中で生きる日本人の姿がとらえられていました。

トランクの中には、写真と共にオダネルさんの声が録音されたテープが入っていました。

録音テープより・・・「突然の日本軍による真珠湾攻撃。私は復讐心に燃え、海兵隊に志願した。日本人に怒り、日本人を殺す為に、軍隊に入ったのだ。」

19歳の冬、海兵隊に入隊し、写真記録班に配属されました。

1945年8月、初めて原爆投下のニュースを聞いた時の心境を、オダネルさんは手記に残していました。

「新型兵器が日本に落とされた。10万人くらい死んだらしい。はじめは、あのクソったれ日本人との対決を鼓舞するプロパガンダかと思ったが、本当らしい。とにかくこれで、戦争は終わりだ」

そして録音テープには・・・「アメリカは、きのこ雲を見て、戦争は終ったと思っていた。でもそれは、この50年に渡る、生き残った日本人にとっての苦しみの始まりだったのだ」



録音テープより・・・「多くの子供が、戦場か原爆で、親を亡くしていた。生き延びた子供は、幼い弟や妹を、親代わりとなって支えていた」



オダネルさんが出会った、幼い兄弟です。

瓦礫の中にたたずむ3人に、オダネルさんは、持っていたリンゴをあげました。

録音テープより・・・「年上の子供が、私の手からリンゴをもぎ取った。彼らは飢えていた。3人で分け、皮どころか、芯まで食べ尽くした」



日本人の撮影を続けていたオダネルさんは、被爆者が治療を受ける救護所へ向かいました。

オダネルさんは、そこで出会った一人の被爆者について語っています。

録音テープより・・・「私が見たその人は、これまで出会った怪我人と全く違っていた。彼には髪の毛が無かった。眉も鼻も耳も無かった。顔といえる原型はなく、肉の塊だった。彼は私にこう言った。『あなたは敵でしょう。殺してください』  私は逃げるように彼から離れ、別の患者に向き直った。部屋を去る時、再び彼を見た。まだ『殺してくれ』と言っていた。自分にできることなど何も無かった。その時、肉の塊にしか見えなかった彼の両目から、涙が流れていた」

その夜、「あの被爆者はどうなったのか?」と考えると、オダネルさんは眠ることができませんでした。

翌日、救護所を訪ねると、ベッドにその被爆者の姿はありませんでした。

録音テープより・・・「この世のものとは思えないものを見た。それは本当に酷かった。死んだ人、子供達、その母親、間もなく死ぬ人、飢えている人、そして原爆症・・・。あまりにも多くの傷ついた人々を撮影している内に、日本人に持っていた憎しみが消えていった。憎しみから哀れみに変わった。何故、人間が、同じ人間に、こんな恐ろしいことをしてしまったのか。私には理解できない」



爆心地周辺、オダネルさんが、最も多く撮影した場所です。

廃墟の町を見下ろす丘に、辛うじて建つ建物がありました。

浦上天主堂です。

原爆投下によって、8500人もの信者が、長崎で亡くなりました。



長崎を南北に貫く浦上川。

そのほとりに降りて行ったオダネルさんは、生涯忘れられない光景と出会います。

白いマスクをかけた男達が目に入りました。

男達は、60cm程の深さに掘った穴のそばで、作業をしていました。

荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。

そこは、臨時の焼き場(火葬場)でした。

そして、焼け野原の中を、10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に入りました。

おんぶ紐をたすきにかけて、幼子を背負っていました。

しかも裸足でした。

少年は、焼き場のそばまで来ると、硬い表情で立ち尽くしています。

背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は、まるで敬礼をしているかのように、黙って立っていました。

白いマスクの男達が少年に近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。

この時、オダネルさんは、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。

男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。

真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年の、まだあどけない頬を赤く照らしました。

その時、オダネルさんは、炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気付きました。

少年が、あまりにきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去って行きました。



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テーマ : 戦争・原爆
ジャンル : 政治・経済

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戦争の悲惨さ

戦争の悲惨さが、ヒシヒシと伝わってきます。
日本人を憎んでいたオダネルさんでさえ、原爆の被害の凄まじさを見て、原爆投下の過ちに気づいたことが解ります。
それにしても、焼き場に立つ少年の気持ちを思うと、心が痛みます。

Re: 戦争の悲惨さ

>ジョンパパさん
話を聞くだけでも戦争の悲惨さが伝わってきますが、実際に体験された方々は、言葉に言い表せないくらいの悲惨さをあじわったのでしょうね。
日本の真珠湾攻撃のあと、オダネルさんが日本人を憎んだ気持ちはよく解ります。
にもかかわらず、原爆の被害の凄まじさは、その憎しみよりも遥かに大きかったのでしょうね。
焼き場に立つ少年の写真を見るだけでも、戦争の悲惨さが伝わってきます。
プロフィール

カリーノパパ

Author:カリーノパパ
●シェリー(シェルティー母):
 とっても優しい理想的な家庭犬
 アンジェの母親です

2016.4.18永眠、享年15歳11ヶ月

●アンジェ(シェルティー娘):
 ボール遊びと食事が大好きです
 我が家で生まれました

2018.5.5永眠、享年14歳10ヶ月

●カリーノ(ラフコリーの女の子):
 ショードッグ
  【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 FCIインター・チャンピョン 
 【主な賞歴】
 2009年アジアインターBOB
 2010年ジャパンインターBOB
 2010年近畿インターBOB
 2010年東北インターBOB 
 2010年ペディグリーアワード
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

2014.12.9永眠、享年8歳5ヶ月

●ミシェル(ラフコリーの男の子):
 陽気で優しく、人が大好きです
 ショードッグ
 【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 【主な賞歴】
 2011年神奈川インターWD
 2014年熱海愛犬クラブ展WD
 2014年山梨東ドッグコ展WD
 2015年沼津愛犬クラブ展WD
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

●カリーノパパ(人間):
 ミシェル達のお父さん
 本職は建築家(一級建築士)
 犬、スキー、ゴルフ、車、絵画が大好き
 1974年から大手建設会社の設計部にて勤務
 1986年に海外部門に異動し、14年間海外勤務
 内13年間をロンドンにて勤務
 2012年に大手建設会社を定年退職
 同年5月から河口湖でスローライフ開始

●訪問ありがとうございます。
4頭の犬と一緒に暮らしながら、日々感じたことを綴っています。
ミシェルとミシェルのお父さんであるカリーノパパが、記事やコメントを書いています。

●コメントは、ありがたく拝見し、返信させていただきます。

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