ベルリンの壁崩壊

上のホテルは、旧東ドイツのドレスデンにある「ウェエスティン・ベルビュー・ドレスデン」です。
ミシェルのお父さんが勤めていた鹿島建設が設計施工を担当し、1985年2月に竣工しました。
1985年と言えば、ミシェルのお父さんは鹿島建設の建築設計本部で病院や大学の設計に携わっていた頃で、ドイツは「ベルリンの壁」によって東西に分断されていました。
上のホテルは、旧東ドイツのベルリンにある「ウエスティン・グランド・ベルリン」です。
このホテルも鹿島建設が設計施工を担当し、1987年8月に竣工しました。
ミシェルのお父さんは、このホテルの建設中に当工事現場に赴任することが内定し、続いて出件予定だった第二ドレスデンホテル新築工事も担当する予定になっていました。
しかし、第二ドレスデンホテル新築工事をスウェーデンの建設会社が担当することになったこともあって、ミシェルのお父さんは東ドイツではなくてイギリス(ロンドン)に赴任することになりました。
上の人物は、日本一の花火師と言われた佐藤勲さんです。
1985年、75歳だった佐藤さんの元に西ベルリン市から「ベルリン市制750年祭典で、是非花火を打ち上げてもらえないだろうか。東ベルリンの人達にも花火を楽しんでもらいたいのです」という電話が入ったそうです。
当時は、まだ日本の花火を外国で打ち上げるという例は殆ど無く、断っても不思議ではなかったのですが、佐藤さんは二つ返事で引き受けたといいます。
佐藤さんは、西ベルリンでの会見で「ベルリンの地上には壁はありますが、空には壁はありません。日本の花火は、どの方向から見ても同じように見えます。西のお方も、東のお方も楽しんでください」と語ったそうです。
そして、この言葉は後に話題を呼び、西ドイツの地元新聞に「空には壁はない!」という見出しで、佐藤さんの言葉がトップ記事として掲載されました。
祭典当日には、7000発もの花火が打ち上げられ、ベルリンの夜空を彩りました。
当初、観客数は80万人と予想されていましたが、西ベルリン側だけで120万人、東ベルリン側が80万人で、計200万人もの人達が日本の美しい花火に歓声をあげたといいます。
それから2年後の1989年11月9日、東西ドイツを隔てていた「ベルリンの壁」が崩壊し、再びドイツが一つの国となりました。
当時、ミシェルのお父さんはロンドンに住んでおり、テレビで「ベルリンの壁」が崩壊したことを知った時は、大変驚いたのを今でも鮮明に覚えています。
佐藤さんの言葉と花火は、ベルリンの人達の心にも深く残り、「ベルリンの壁」の無意味さを感じさせたとも言われているようです。
多数の犠牲者の血で染まった「ベルリンの壁」が崩壊した理由は多々あると思われますが、理由の一つに佐藤さんの言葉と花火も関係していたとしたら、佐藤さんにとっても日本人にとっても、こんなに嬉しいことはありません。
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