責任と誠実とは



上の写真の右側の人物は、安倍首相の大叔父である佐藤栄作元首相です。

左側の人物は、日本を代表する国際政治学者の一人だった若泉敬氏です。

若泉氏は、1930年3月に福井県今立郡服間村(現越前市横住)で生まれ、1996年7月に亡くなりました。

若泉氏は、1949年に師範学校本科を卒業し、明治大学政治経済学部政治学科に入学しましたが、1年後に東京大学法学部を受験して再入学しています。

1954年に東京大学法学部政治学科を卒業し、保安庁(現在の防衛省)保安研修所教官となりました。

1957年にロンドン・スクール・オブ・エコノミクス大学院修了。

1960年に米国ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究所(SAIS)に留学。

1966年、創立に貢献した京都産業大学より法学部教授として招聘され、同大学の世界問題研究所所員を兼任しました。



1966年頃から、面識のあった愛知揆一の紹介で当時の首相であった佐藤栄作と親交を持つようになります。

佐藤は、「沖縄の祖国復帰が実現しない限り、日本の戦後は終わったとは言えない」と演説したように、沖縄返還に熱意を示していました。

1967年、当時の自民党幹事長であった福田赳夫から「沖縄問題についての米国首脳の意向を内々に探って欲しい」と要請されたことを期に、佐藤首相の密使として度々渡米し、秘密交渉を行いました。

若泉氏が主に会ったのは、沖縄返還交渉の方針を決めた国家安全保障覚書13号の起草者であったアメリカ国家安全保障会議スタッフのモートン・ハルペリンでした。

ようやく「核抜き・本土並み」返還の道筋が見えてきた1969年9月、国家安全保障担当大統領補佐官であったヘンリー・キッシンジャーから「緊急事態に際し、事前通告をもって核兵器を再び持ち込む権利、及び通過させる権利を認める」という要求が提示されました。

1969年11月の交渉で、若泉氏は「『事前通告』を『事前協議』に改める」というように主張し、了承されました。

その結果、秘密交渉の合意内容に沿って共同声明のシナリオが練られることとなり、11月21日に発せられた佐藤・ニクソン共同声明で、3年後の沖縄返還が決定されることになったのです。

核持ち込みと繊維問題に関する日米秘密合意議事録については、佐藤首相とニクソン大統領が署名し、その書類は佐藤首相が自宅に持ち帰ったと言われています。

その後、若泉氏は政治に関与することなく、学究生活に戻りました。

1980年、若泉氏は故郷である福井に戻り、政界や論壇から距離を置くようになりました。

1992年に京都産業大学を退職しましたが、退職金全額を世界問題研究所に寄付し、同研究所は「若泉敬記念基金」を設立しました。

1994年、若泉氏は、日米秘密交渉の過程を著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」に記し、当時の沖縄県知事であった大田昌秀宛氏に「歴史に対して負っている私の重い結果責任を取り、国立戦没者墓苑において自裁(自殺)します」という遺書を送り、同日、国立戦没者墓苑に喪服姿で参拝しましたが、自殺は思い留まりました。

その後、著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の英語版の編集に着手し、完成稿を翻訳協力者に渡した1996年7月、福井県鯖江市の自宅にて亡くなりました(享年67歳)。

公式には癌性腹膜炎ということになっていますが、実際には青酸カリでの服毒自殺でした。

佐藤首相の密使として米国と秘密交渉を行い、沖縄返還を実現させましたが、「核の持ち込み」という密約に対する責任を自らの命を絶つことによって果たそうとされたのです。



若泉氏の自殺の報を聞いた大田沖縄県知事は「核密約を結んだことは評価できないが、若泉さんは交渉過程を公表し、沖縄県民に謝罪し、結果責任を果たした。人間としては信頼できます」とコメントしています。

大田氏は、後に、若泉氏のことを「若泉教授は一見柔和に見えるけど、芯は古武士の風格を備えた人物で、その行為は他の追随を許さない誠実な人柄による」と評されておられます。

日本政府と外務省は、長い間、核持ち込みに関する密約の存在を否定していましたが、2009年12月に佐藤栄作の遺品の中に密約を記した「合意議事録」が存在したことが報道されました。

そして、若泉氏が著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」で秘密交渉の過程を公開したことを受け、外務省は想定問答集を作成する一方で、核持ち込み密約を否定し「国民に責任を負う立場にない著者が、佐藤首相に秘密合意を結ぶように勧めたとすれば、かかる行為は極めて不適当」と若泉氏に責任転嫁をしました。

これに対して、米国立公文書館で合意議事録を発見した信夫隆司日大教授は、「若泉氏が秘密合意を勧めたことはない。選択肢として伝えただけで、選択するか否かの責任は佐藤首相自身にあった」と若泉氏を弁護しています。

ミシェルのお父さんも信夫教授が言われるとおりだと思いますし、責任を取るべき人は佐藤首相だと思います。

元NHKワシントン支局長だったジャーナリストの手嶋龍一氏は、「若泉敬氏は、秘密交渉をやり遂げて沖縄が日本に還ってくると、郷里の福井県鯖江に隠棲してしまった。そして、再び世に出ようとはしなかった。一切の沈黙を守り通して、国家の機密を墓場まで持っていくつもりだった。だが沖縄返還から日が経つにつれ、祖国の姿が次第に愚者の楽園と映るようになっていく。日米同盟に安易に身を委ねて安逸をむさぼり、アメリカの核の傘に身を寄せて、自国の安全保障を真摯に考えることを止めてしまった経済大国への憤りを抑えがたかったのだろう。今こそ密約の全てを明らかにし、主権国家が持つべき矜持を忘れ果てた日本に覚醒を促したい。かくして、密約の全貌を白日のもとに曝した『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』が1994に公刊された。日清戦争の後、三国干渉に遭って譲歩を余儀なくされた陸奥宗光の『騫々碌』の一節から採って標題とした。それは現代日本への諫言の書でもあった。」と語っています。

在日米軍が、日本を守る為ではなく、自国の戦略の為に存在することが明らかになったにも関わらず、それでもなお沖縄県民の反対を無視し、日本の税金で美しい辺野古の海を埋め立てて新たな米軍基地建設を強行する日本政府は、いったい誰の為の政府なのでしょうか



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テーマ : 政治
ジャンル : 政治・経済

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No title

凄い人がおられたのですね。
交渉力にも優れていたのでしょうが、責任の取り方が侍のようで感心しました。
政界にしろ、企業にしろ、幹部は権力ばかり欲して責任は取りたがりませんが、まだ若泉氏のような侍がいたことに、日本人として嬉しく思いました。

Re: No title

>MACさん
MACさんが仰るように、交渉力に優れ、侍のような心を持った人物ですね。
日本の政治家や企業の役員にも若泉さんのような人がいたら、もっと日本は良くなると思います。
プロフィール

カリーノパパ

Author:カリーノパパ
●シェリー(シェルティー母):
 とっても優しい理想的な家庭犬
 アンジェの母親です

2016.4.18永眠、享年15歳11ヶ月

●アンジェ(シェルティー娘):
 ボール遊びと食事が大好きです
 我が家で生まれました

●カリーノ(ラフコリーの女の子):
 ショードッグ
  【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 FCIインター・チャンピョン 
 【主な賞歴】
 2009年アジアインターBOB
 2010年ジャパンインターBOB
 2010年近畿インターBOB
 2010年東北インターBOB 
 2010年ペディグリーアワード
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

2014.12.9永眠、享年8歳5ヶ月

●ミシェル(ラフコリーの男の子):
 陽気で優しく、人が大好きです
 ショードッグ
 【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 【主な賞歴】
 2011年神奈川インターWD
 2014年熱海愛犬クラブ展WD
 2014年山梨東ドッグコ展WD
 2015年沼津愛犬クラブ展WD
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

●カリーノパパ(人間):
 ミシェル達のお父さん
 本職は建築家(一級建築士)
 犬、スキー、ゴルフ、車、絵画が大好き
 1974年から大手建設会社の設計部にて勤務
 1986年に海外部門に異動し、14年間海外勤務
 内13年間をロンドンにて勤務
 2012年に大手建設会社を定年退職
 同年5月から河口湖でスローライフ開始

●訪問ありがとうございます。
4頭の犬と一緒に暮らしながら、日々感じたことを綴っています。
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