2018年全米オープンゴルフ



上のゴルフ場は、今年の全米オープンが開催されるシネコックヒルズゴルフクラブです。

ニューヨークから近いロングアイランドのサウサンプトンにありますが、交通の便は良いとは言えません。

英国のリンクスに似たゴルフ場ですが、本場のリンクスよりもアップダウンがあるコースです。

今年で全米オープンが5度開催され、正式に組織されたゴルフクラブとしては全米最古(1891年創立)の名門ゴルフ場です。

また、ゴルフ場の世界ランクで、常にトップ10に入るゴルフ場としても有名です。



上の建物は、シネコックヒルズゴルフクラブのクラブハウスです。

全米最古のクラブハウス(1892年建設)でもあります。

シネコックヒルズゴルフクラブの創立は、ウィリアム・K・バンダービルト、エドワード・ミード、ダンカン・クライダーの3人が、1889年から1890年にかけて南フランスのビアリッツを旅行したことが発端と言われています。

3人は、そこでスコットランド出身のゴルファーであるウィリー・ダンに出会ったのですが、ダンは、このリゾート地でゴルフ場の建設を行っていたのです。

米国に戻ったミードとクライダーは、早速ニューヨークシティ近郊でゴルフコースを建設する場所を探し始め、最終的にロングアイランド鉄道線路沿いの砂丘地帯を選定しました。

そして、ゴルフ場建設計画に賛同するメンバー44人から100ドルずつの出資を受け、80エーカーの土地を2,500 ドルで購入してゴルフ場を建設したという訳です。



シネコック・ヒルズゴルフクラブが本当に脚光を浴びるようになったのは、ゴルフコース設計家のウィリアム・フリンがコースの改修を手掛けたあとで、その改修は彼の最高傑作と言われています。

コースはウォーターハザードが1つしかないものの、長く密度の濃い芝が特徴で、ラフは長いフェスキューが生い茂り、フェアウェイはウィンターライグラス、グリーンはベントが使用されています。

2004年に全米オープンが開催された時は、全長6996ヤードのパー70でしたが、最終日の平均ストロークが「78.727」という信じられないような超難関コースに仕上げられていました。

有名なパー3の7番ホールは、傾斜がきつい上に超高速グリーンで、世界トップクラスのゴルファーの技をもってしても、パーオン率が約18%だったというからビックリです。

今年は、全長が7445ヤードまで延び、更に難しくなったと思われますが、4名の日本人選手は如何相成りますでしょうか。



今日からサッカーのワールドカップも開催されます。

日本も参加しますが、グループリーグを突破し、決勝トーナメントに進むのは、とても難しそうです。

日本チームのプレイを見ていると、全てが予想できる動きで、想像を超えたような独創性のある動きが殆ど無いように思えます。

また、ゴールエリアに入ってもシュートを打つ選手は少なく(フォワードの選手でさえ)、「自分が決めてやる」というような強い意志が感じられません。

その結果、「相手チームは守備がし易く、得点も生まれにくい」というパターンから脱却できないでいるように思います。

これは、「監督やコーチの言うことは素直に聞き、言われた通りに行動する」とか「他人と同じ行動をとるのを良しとし、自分で独創的なことを考えて行動しない」といったような日本人の国民性が大きく影響しているようにも思えます。

政府や学校の立場からすると、「とても御し易い国民性」と言えるかもしれませんが、サッカーのワールドカップで優勝を争うようなチームになるには、子供の頃から「教えられたことを暗記するだけではなく、自分で考えて行動する」という習慣をもっと身につける必要があるように思います。



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2018年Mt.富士ヒルクライム



今日は、第15回Mt.富士ヒルクライムの開催日でした。

生憎、富士山の麓付近は、霧が出ていました。

しかし、気温が低いので、選手達にとっては良いコンディションだったかもしれません。



標高1,035mにある富士北麓公園をスタートして、標高約2,300mにある富士山五合目までの24㎞を走ります。

スタート地点とゴール地点の標高差は、1,270mもあります



このコースを、今年は約1万人もの人達が走られたようです。

優勝した選手の記録は約57分で、去年の優勝記録を約1分短縮されたようです。

全選手の記録を平均すると約1時間49分だそうですから、トップクラスの選手は半分以下のタイムで走ることになります。



参加者は、日本のトップクラスの選手から楽しみ優先の自転車愛好家までと、大変幅が広いようです。

一応3時間15分の制限時間が設けられていますが、約99%の選手が時間内に完走するそうです。

ちなみに、今までに参加した最高齢者は75歳といいますから、そのお元気さに驚きます



有名人も参加されているようです。

世界最高の自転車レースであるツールド・フランスに参加した最初の日本人である今中大介さん、元F1レーサーの片山右京さん、芸能人のアントキノ猪木さんなどなど・・・。

排気ガスを出さない自転車なら、富士山も歓迎してくれるものと思います



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2018年全英オープンゴルフ



上の写真のゴルフ場は、今年の全英オープンが開催(7月)されるカーヌスティ・ゴルフリンクスです。

1850年にオープンし、これまで全英オープンを7回開催しています。

「一日の内に四季がある」と言われるスコットランド特有のリンクスコース(海沿いのゴルフ場)であり、距離は7,421ヤードもあり、非常に戦略性が高い上に、他のリンクスコースには無い「バリー・バーン」と呼ばれる小川が流れています。

1968年にカーヌスティで優勝したゲーリー・プレーヤーは「世界で最も難しいコース」と語っていますが、実際のところ「全英オープンの開催コースの中でも一番難しく、世界のゴルフコースの中でも5本の指に入る難しさ」と言われています。



上の写真は、カーヌスティ・ゴルフリンクスの横にあるホテルと、コース内を流れる「バリー・バーン」です。

今年は、10人もの日本人選手が出場するそうです。

世界中の強豪選手が参加するアメリカツアーで活躍する松山選手は別格として、世界で殆ど実績が無く、海外のメジャー大会に出場しても予選落ちの連続である日本人選手が9人も出場できることに疑問を感じざるを得ません。

恐らくジャパンマネーの影響が大きいのだと思われますが、ヨーロッパツアーで全英オープン出場を目指してしのぎを削っている選手達からすると、日本人選手優遇とも思える不合理さが、なんとも恨めしく感じられるに違いありません。



1999年にカーヌスティで全英オープンが開催された時は、ミシェルのお父さんはロンドンに住んでおり、テレビでカーヌスティの難しさを見て驚嘆したことを覚えています。

低い気温、雨、風、深いラフ、深いバンカー、バリー・バーンなどにより、世界の名手達でさえ、パーを取るのが精いっぱいというプレイぶりでした。

易しい日本のコースでしかプレイしていない日本人選手が、カーヌスティのような難しいコースでプレイするのは、正直言って、無謀としか思えません。



1999年の全英オープンは、特別に印象的な大会でした。

メジャータイトルをあと一歩のところで逃した悲劇として、「カーヌスティの悲劇」よりも有名なシーンは今後も生まれないかもしれないと言われています。

当時33歳の無名のフランス人、ジャン・バンデベルデ選手は、18番パー4のティーグラウンドに立った時点で2位に3打差をつけて単独首位に立っていました。

ダブルボギーでも優勝という場面を迎え、誰もがバンデベルデ選手の勝利を確信していました。

ところが、それから30分ほどの間に、カーヌスティ・ゴルフリンクスに信じられないドラマが起こってしまったのです。



大会初日はアンダーパーでプレイした選手が一人もおらず、パンプリング選手がイーブンパー71で単独首位でした。(タイガー・ウッズ選手は3オーバー11位タイ、バンデベルデ選手は4オーバー24位タイ)

2日目に入ると、何人かの選手がアンダーパーをマークし、バンデベルデ選手は3アンダー68でプレイして、通算1オーバーの単独首位に躍り出ました。

バンデベルデ選手は、3日目も1アンダー70でプレイし、通算イーブンパーで単独首位を守りました。

一方、追いかける選手たちはスコアを崩し、カブレラ選手は6オーバー77で、通算8オーバー7位タイに後退しました。

バンデベルデ選手を追いかけるのは、首位と5打差の通算5オーバー2位タイに並んだクレイグ・パリー選手とジャスティン・レナード選手の2人でした。(首位と7打差の通算7オーバー4位タイにタイガー・ウッズ選手他2名)

しかし、この時点で後続に5打差をつけていたとはいえ、無名のバンデベルデ選手が楽に逃げ切ると思っていた人は恐らく少なかったでしょう。

実際、バンデベルデ選手は3番と5番と8番でボギーを叩き、このホールでバーディを奪ったパリー選手に並ばれました。

その後、16番までバンデベルデ選手とバリー選手の接戦が続きましたが、17番でバリー選手がダブルボギーを叩き、優勝争いから脱落してしまいました。

バンデベルデ選手が通算3オーバーの首位で18番ホールのティーグラウンドに立った時点で、ようやく殆どの人が彼の優勝を確信するに至りました。

ところが、バンデベルデ選手のティーショットは大きく右に曲がり、隣りの17番ホールに行ってしまいました。

そこからグリーンを狙った第2打はギャラリースタンドに当たり、跳ね返って深いラフに沈みました。

そして、3打目で悪夢が起きてしまいました。

難しいラフからのショットは、ボールが思わぬ方向に飛んでしまい、なんと「バリー・バーン」に入ってしまったのです。

バンデベルデ選手は靴を脱いで小川に入り、水の中のボールが打てるかどうか確認しましたが、結局、諦めてボールを拾い上げました。

小川の手前にドロップして第5打を放つと、今度はグリーン右サイドのバンカーに落ちました。

第6打となるバンカーショットをピンそば3メートルに寄せたものの、次のパットを決めなければプレーオフにも残れないという絶体絶命のピンチを迎えましたが、何とかこれをカップにねじ込みました。

結局、18番は計7打のトリプルボギーで、バンデベルデ選手とポール・ローリー選手とジャスティン・レナード選手との間でプレーオフが行われました。(優勝スコアは、通算6オーバー)

プレイオフの結果、ポール・ローリー選手が優勝しましたが、勝者よりも敗者の方が脚光を浴びるという大変印象深い大会でした。



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テーマ : ゴルフ
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布の彫刻



上の紳士は、日本が世界に誇る人形作家の与勇輝(あたえ ゆうき)さんです。

ミシェルのお父さんが河口湖に引っ越してきて「良かったな~」と思うことは多々あるのですが、その一つに「河口湖ミューズ館」という美術館があり、そこでいつでも与さんの素晴らしい人形さんを見れることです。

与さんは80歳になられますが、2月~3月にパリの日本文化会館で個展を開催されました。

その凱旋と傘寿を記念して、8年ぶりに東京で展覧会が開催されています。(神奈川と京都でも開催予定)

与さんの人形さんは布で作られていますが、まさに命を吹き込まれたように、イキイキと見る者に語りかけてきます。



学校に通う少年が、ハーモニカで「埴生の宿」を奏でています。



少女が、「タマ」という名の猫を抱いています。



少年が、ちゃん(父親)のお酒を買いに行きます。



ピーターパンのような不思議な雰囲気を持った少年です。



靴磨きの少年です。



忘れな草を持った少年です。



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アメリカ人日本画家



本題に入る前に、ミシェルのお父さんが驚いた2つのことを書きたいと思います。

1つ目は、YUKIお姉さんのことです。

YUKIお姉さんはロンドン生まれ・ロンドン育ちですが、高校のクラブ活動で「弓道(和弓)をやりたい」と言った時にはビックリしました

それまで弓道に触れたことが無かったYUKIお姉さんが、「何故、純日本的な武道をやりたいのか?」と不思議に思ったからです。

YUKIお姉さんは頑張って、高校生の内に2段になりました。

高校卒業後、YUKIお姉さんは美大でデザインの勉強をしたのですが、卒業後に「日本画を勉強したい」と言って、更に他の美大に入学しました。

それまで日本画に触れたことは無いと思っていたので、またまたビックリしてしまいました

しかし、今は、ロンドンで生まれ、ロンドンで育ったYUKIお姉さんが、日本の伝統武道や伝統芸術を学ぶことは素晴らしいことだと思っています。

2つ目は、日本の伝統工芸や伝統芸術などを学んでおられる外国人の存在です。

日本刀に魅入られ刀匠になった外国人、日本庭園に魅入られて庭師になった外国人などなど・・・

日本人の中で、素晴らしい日本の伝統が忘れ去られていく現代にあって、外国人の方々が、日本の伝統に興味を持ち、その技を習得しようという心に感動を覚えます。

上の写真の人物、アラン・ウエストさん(1962年生れ)も、そんな一人です。



アラン・ウエストさんは、アメリカ合衆国ワシントンD.C.生れの日本画家です。

アラン・ウエストさんが画家になりたいと思ったのは、8歳の頃でした。

小学校の先生に「人生を決めるには、今(8歳)のタイミングがちょうどいい」と言われ、絵が大好きで、既に多数の絵を描いていたアラン・ウエストさんは「画家になろう」と決めたそうです。

そして、本格的に絵の描き方を学ぼうと、9歳から油絵の教室に通うようになりました。

14歳の時、ある劇団から舞台の背景画を描いて欲しいと頼まれたことが、最初の注文制作でした。

アランさんは「14歳という早い時期から、依頼者がどういう絵を描いて欲しいのか、希望していることを全て聞いて引き出すだけではなく、解らない所があれば積極的に聞いて確認し、下図を見せて提案しながら徐々に要望に沿った絵に仕上げていくということを学び、その結果、お客様に喜んでもらえることの嬉しさを覚えたことが、凄くいい経験になりました。また、締め切りに間に合わせることの大切さを学べたことも良かった」と語っています。

しかし、高校の頃、油絵に対する不満がピークに達したそうです。

油絵の具はネトネトしているので、植物の枝や葉っぱのディティールがイメージ通りに上手く美しく描けないことが解ってきたのです。



アランさんは、「水彩画は植物系の染料なので、月日が経つとペンキと同じように色が全部あせるんですよ。せっかく絵を描くなら長い年月が経っても色あせしないものにしたかったので、ストレスを感じつつも、油絵の具を使うしかなかったんです」と言います。

そこで、アランさんは「同じ油絵でも中世ヨーロッパ時代の作品の方がディティールが全然綺麗である」と知って、「それができたのは何故だろう?」と色々調べました。

その結果、キャンバスが違うことが判りました。

現在、使われているキャンバスは凹凸が目立ちますが、昔は麻を使っていて平らでした。

その上に兎膠(にかわ)を塗って紙やすりで研ぐというのを繰り返して、凹凸をどんどん落としてツルツルの表面にしていたのです。

次に、油絵の具のネトネトをもっとサラサラにする方法を調べてみました。

キャンバスに兎膠を塗るのなら、顔料に兎膠を混ぜて絵の具を作ったらどうかと思ってやってみたら、すごくサラサラした液体的な絵の具になり、より植物をイメージ通りに表現できる絵の具に近づいているなという手応えを感じたそうです。



高校生の頃も画家になりたいと本気で思っていたアランさんは、美大へ進学するつもりでした。

しかし、弁護士だった父親は「絵を描くことは趣味ならいいけど、職業にするのは駄目だ」と大反対しました。

画家は自立して生活するのが難しい職業だし、結婚や子供を持ちたいなら尚更無理があると。(ミシェルのお父さんも親に同じことを言われ、建築デザインに進みました

それでも、「一生一人になっても構わないから画家になりたい」と思っていたアランさんは、父親と相当やりあったそうです。

親子の関係が険悪になったのを見かねた祖母が、アランさんの父親に「お前も若い頃は夢を抱いていたことを忘れたのかい? 子供の夢を応援してやりなさい」と説得してくれました。

父親も自分の母の言葉には逆らえず、「アメリカでトップの美術大学に入学して、美術家としてちゃんとした教育を受けるならば許す。もし入学できなければ画家の道は諦めろ」と条件付きでチャレンジすることだけは認めてくれました。

この時、父親は「アランさんが、この条件をクリアするのは絶対に不可能だと思っていたからこそ認めたのだ」と、後になって告白したそうです

アランさんが受験した大学は、スミソニアン美術館の館長が学長を務めるカーネギーメロン大学という全米トップクラスの大学の芸術学部で、入学倍率は50倍という難関でした。

更に大変だったのは、試験を受けるに際して、50点もの作品を提出しなければなりませんでした。

大学はアメリカでトップクラスの芸術学部だけあって大変厳しく、入学時に90名いた同級生は、最終的に15名しか卒業できませんでした。



大学に入学した頃、アランさんがプロの画家になるきっかけとなった大きな出来事がありました。

ある公募展に、膠を混ぜた絵の具で描いた作品を出品したところ、それを見たお客さんから「よく解らないけど、この絵は昔から日本で使われている技法で描かれた絵と似ているね」と言われたそうです。

それを聞いて、アランさんは「自分の発明だと思っていた技法が、日本ではずっと昔からあったのか!」 と大きな衝撃を受けました。

アランさんは「日本に行ってもっと知りたい」と思い、大学入学後1年が終わったタイミングで休学し、日本に行くことにしました。



来日して最初に住んだのは愛媛県の新居浜市でしたが、そこの画材店で天然の鉱石を粉末状にした顔料である岩絵具と出会った時は衝撃を受けたそうです。

アランさんがアメリカで使っていた化学顔料はプラスチック的で、植物などの自然を表現するにはどうしても好きになれず、大きな悩みのタネでしたが、岩絵具は色あいや発色が素晴らしく、色あせもしない素晴らしい絵の具だと感じたのです。

アランさんは、アメリカで兎の膠を使っていましたが、もの凄く臭くて濁っていました。

しかし、日本では昔から鹿の膠が使われていて、臭わないし透明度が凄く高いので、顔料が綺麗に見えることにも感動しました。

カーネギーメロン大学を卒業したアランさんは、1987年、日本へ移住して画家活動をすることを決めました。

1989年には東京藝術大学の加山又造研究室に入学し、日本画を本格的に学びます。

その後、東京の谷中に自動車整備工場を改築したアトリエ兼ギャラリー「繪処アラン・ウエスト」を構え、日本画の制作に勤しんでおられます。

余談ですが、アランさんは、東京藝術大学大学院に合格した頃、日本人女性と婚約しました。

しかし、最初は女性の父親に反対されたそうです。

アランさんは「当然ですよね。こんな20代の素性もよく判らない絵描き志望の外国人が娘を幸せにできるのかと父親は不安に思うでしょ。もし僕に娘がいて、僕のような男を連れてきたら同じように思います」と笑います

それでも、アランさんが「娘さんと結婚させてください」とお願いに行ったら、父親は「東京藝術大学の大学院に合格したら結婚を許す」と言ってくれたそうです

アランさんの父親と奥様の父親は、共に、自分の子供のことを心配して同じような厳しい条件を設定したのでしょうね



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テーマ : art・芸術・美術
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憧れのスキー選手達



上の写真の中央にいる人物は、1956年のコルチナ・ダンペッツオ・オリンピックにてアルペンスキー3種目(回転・大回転・滑降)で金メダルを獲得したトニー・ザイラーさんです。

このオリンピックの回転で銀メダルを獲得したのが、写真の右側にいる猪谷千春さんです。

その速さから「黒い稲妻」とも言われたトニー・ザイラーさんは、大変ハンサムでもあったので、引退後は映画俳優としても活躍しました。

ミシェルのお父さんがロンドン勤務当時に家族で、オーストリアの有名なスキー場であるキッツビュールにスキー旅行に行きました。

そして、YUKIお姉さんが、トニー・ザイラーさんが校長を務めるスキー学校に入学しました。

最後の日にフランス国家検定のスキー試験を受けたのですが、見事に合格し、校長のトニー・ザイラーさんからメダルを授与してもらいました。

これには、YUKIお姉さんよりも、ミシェルのお父さんの方が興奮してしまいました

余談ですが、猪谷千春さんは、引退後にAIU(アメリカの保険会社)の社長・会長にまで出世されました。

猪谷千春さんは、現在の天皇が皇太子であった頃にテニス友達だったのですが、その頃、美智子様は皇太子よりも猪谷千春さんの方に憧れていたという噂もあるようです



上の写真の中央にいる人物は、1968年のグルノーブル・オリンピックにてアルペンスキー3種目(回転・大回転・滑降)で金メダルを獲得したジャン・クロード・キリーさんです。

キリーさんが活躍した頃は、ザイラーさんの頃よりも専門化(回転・大回転の専門選手や滑降の専門選手)が進んでいたので、3種目に金メダルを獲得するのは奇跡とも言えました。

キリー選手は、滑降用のスキーだけで15本も用意し、それぞれに異なるワックスを塗っていたと言われていますが、気に入ったスキーのワックスが練習で殆ど無くなった状態で試合に臨んだにもかかわらず優勝しました。

ワックステクニックというのは大変難しく、距離3km程度で標高差1,000m程度の滑降コースの場合、標高差の雪質に合わせて3種類位のワックスを重ね塗りします。

そして、ワックスは極秘扱いされ、ワックスの専門家(ワックスマン)が他のチームに見られないようにして塗っています。

ザイラーさんは、世代が違い過ぎて名前に憧れていましたが、キリーさん世代が近いこともあって、ミシェルのお父さんにとっては真の憧れの選手でした



上の選手は、フランスの回転スペシャリストであったパトリック・リュッセルさんです。

パトリック・リュッセルさんは都会育ちの大学生スキー選手でしたが、1969~1970年頃のワールドカップにおける回転と大回転で何度も優勝しました。

彼が活躍する以前のスキーは、「前傾」と言ってスキーの前側に荷重するのがセオリーでしたが、リュッセルさんは、まるで椅子に腰かけているような姿勢でスキーの後ろ側に荷重し、ターンの後半でスキーを加速していたのです。

この技術は、それまでのセオリーとは対極的なもので、スキー界に大きな衝撃をもたらしました。

グルノーブル大学教授であったジョルジュ・ジュベールさんが当技術を研究し、グルノーブル大学の学生だったパトリック・リュッセルさんを通じて、その技術の優秀さを実証したという訳です。

余談ですが、当時のフランス男子チームには、アンリ・デュビラールという名の滑降スペシャリストがいました。

日本人のように小柄だったのですが、滑降で何度も優勝し、ミシェルのお父さんにとっては憧れの選手の一人でした。

ANRIお姉さんの名前の由来の一因でもあります



上の写真の女性は、1976年のインスブルック・オリンピックに西ドイツ代表として出場し、滑降と回転の2種目で金メダルを獲得し、大回転で銀メダルを獲得したロジー・ミッタ―マイヤーさんです。

ミシェルのお父さんより1歳年上のミッタ―マイヤーさんは、ドイツ人として、スキー選手としては小柄な女性でした。

それにもかかわらず、回転・大回転・滑降とも強い稀有な選手でした。

ミッタ―マイヤー選手は、滑降競技中の転倒で2回ほど頭がい骨骨折を経験しています

当時の滑降競技は、安全対策は殆ど無く、生身の身体で最高130~150km/時の速さでコースを滑り降りていたのです。

選手はヘルメットをかぶっていますが、高速でアイスバーン状のコースを転倒すると、ヘルメットが割れてしまいます。

当時は、コース脇に安全ネットも緩衝材も無かったので、岩肌にぶつかったりして、毎年何人かの選手が死亡しました。



上の写真の人物は、オリンピックで3つのメダルを獲得したイタリアのグスタヴォ・トエニさんです。

トエニさんが活躍する以前のイタリアは、スキーのアルペン競技において強い国ではなかったのです。

しかし、トエニさんがパトリック・リュッセルと同様のテクニックを駆使して回転と大回転に優勝するようになり、一躍アルペン競技の強豪国の一つになりました。



上の写真の人物は、「史上最強の天才スラローマ―(回転選手)」と言われるスウェーデンのインゲマル・ステンマルクさんです。

ステンマルクさんが活躍する以前のスウェーデンは、スキーのアルペン競技においては弱い国でした。

また、ステンマルクさんが活躍する以前の回転や大回転競技は、100分の1秒単位で順位が争われていました。

しかし、ステンマルクさんが優勝しだすと、1位と2位の差が、しばしば5秒前後という異次元の大差となることがありました

そんなステンマルクさんの圧倒的勝利が続くと、ライバル選手達は「ステンマルクに次ぐ2位は、優勝と同じ価値がある」と言うほどになりました。

ステンマルクさんが、それまで無名だった「ELAN(エラン)」というスキーを使用していたことも衝撃でした。

当時は、フランスやオーストリア製のスキーが主流だったので、ステンマルクさんの活躍によって、スロベニア製のELANは一躍注目を浴びました。

ミシェルのお父さんは、早速、ステンマルクさんが使用していたスキー帽子とELANを購入しました



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テーマ : スキー
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任命責任



日本相撲協会は、今日、東京・両国国技館で諮問機関である横綱審議委員会の臨時会合を開きました。

10月に起きた元横綱日馬富士の貴ノ岩への暴行について、北村正任委員長(元毎日新聞社長)は「日馬富士はすでに自ら引退を表明しておりますけど、当委員会としても、この暴力事件・傷害事件は『引退を勧告するに相当する事案』だったと判断いたしました」と発表しました。

また、現場に居合わせながら、事件に発展することを防げなかったとして、白鵬と鶴竜の両横綱に「責任を軽く見るべきではない。協会全体として取り組んでいる暴力絶滅への心構えに徹するように、両横綱に厳重に注意すべき」とする進言を相撲協会に行うと明かしました。

このニュースをテレビで見て、ミシェルのお父さんには、疑問に感じることがありました。



今日の横綱審議委員会の北村委員長の発言を聞いて、「まるで安倍首相と一緒だな」と思ったのです。

安倍政権になって、不祥事の為に数多くの大臣が任期途中で辞任しています。

その度に、安倍首相は「任命したのは私であり、任命責任は総理大臣である私にあります」と語っています。

しかし、これまでに安倍首相が責任を取った姿を一度も見ていません。

組織のトップというものは、部下だけに責任を押し付けるのではなく、自らが部下が犯した責任を取り、潔く身を引くのが本来あるべき姿ではないでしょうか。



今の日本の政財界やスポーツ界の組織を見ると、問題が発生した時には「トカゲの尻尾切り」が行われ、トップは権力の座にしがみ続けるというケースがあまりにも多いように感じます。

2007年の時津風部屋の力士暴行死事件で再発防止検討委員会の外部委員を務めた漫画家のやくみつるさんは、次のように語っています。

相撲の世界には「国もん」という言葉があって、生まれた土地での結びつきが強い競技であることは間違いない。

でも、土俵をずっと見ている方には判る。

モンゴル勢同士の中で優勝争いは起こりません。

「これはどうしてでしょう?」ということですよ。

かつて、八百長問題が浮上した際に、相撲協会自身が「八百長はあった」と認めましたね。

あの処分の際に解雇されたのは、主に十両以下と幕下の力士でした。

しかし、当時から私が言っているのは「巧妙に影響のないところ(立場が下の力士)を切ったのでは」ということです。

興行に影響のありそうな(高い)地位の力士達の中で、それを推認させるような傾向もあった。

しかし、協会は「知らぬ、存ぜぬ」で通した。

「その時の(八百長の)温床を残したりはしていないんですか?」と思います。

やくさんが指摘するように、週刊誌でもモンゴル出身力士同士の「星のやり取り疑惑」が報じられています。

そんなこともあってか、貴乃花親方は、弟子の貴ノ岩にモンゴル会などへの出席を禁じていたといいます。

ミシェルのお父さんがテレビのニュースを見ていて疑問に感じたのは、「引退勧告に相当するような力士を横綱に推挙した横綱審議委員会のメンバーには、全く責任は無いのですか?」という点です。

もし、ミシェルのお父さんが横綱審議委員会の委員長なら、真っ先に「横綱審議委員会が推挙した横綱が、あってはならぬ暴力事件を起こした責任を取り、私自身も辞任させて頂きます」と謝罪し、自らの責任を明確にすると思います。



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テーマ : 大相撲
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違和感



上の写真は、先日開催されたグランドスラム東京大会の男子100キロ超級決勝の様子です。

オリンピック銀メダリストの小川直也氏を父に持つ小川雄勢選手(明大3年)が、リオデジャネイロオリンピック100キロ級金メダリストのルカシュ・クルパレク(チェコ)に、延長戦の末、優勢勝ちして初優勝を飾りました。

しかし、この試合を含めた柔道の試合を見ていて、ミシェルのお父さんは、いつも違和感を抱いています。

例えば、今回の小川選手の試合ぶりですが、決勝戦まで5戦して、内4戦が「相手の反則負け」による勝利でした。

この「反則負け」は、なにも乱暴なことをしたから「反則負け」ということではありません。

積極的に技を仕掛けず、消極的な姿勢を取った場合などに「指導」が与えられ、「指導」を3回受けると「反則負け」となるのです。

「指導」を受けたのは、小川選手の相手だけではなく、小川選手も「指導」を受けており、たまたま相手の選手が先に3回の「指導」を受けてしまったという状況でした。

本来の柔道の試合らしい動きは殆ど見られず、ただ選手同士が組み合っていただけのような試合なので、両方の選手とも全くダメージは無く、正直言って「これが柔道なの?」「これで優勝なの?」と違和感だけが残りました。



ミシェルのお父さんは、父親が柔道4段だったこともあって、子供の頃、「柔道」に関して「柔よく剛を制す」という言葉をよく耳にしました。

柔道の技の極意を言い表した言葉だと思いますが、その結果、「柔道」とは「身体の小さい者でも身体の大きな者に勝つことができる武術」と理解していました。

しかし、今の「柔道」は体重制になり、身体の小さい者が身体の大きな者を投げ飛ばすシーンは全く見られなくなり、「剛よく勝敗を制す」かのようになってしまいました。

また、「柔道」とは、本来、武術であると同時に「心の修練」も求められるものと理解していますが、今の「柔道」は、オリンピックを始め「勝利至上主義」になってしまったように思えます。

その結果ゆえか、オリンピックで2度も金メダルを獲得した日本の柔道選手が、婦女暴行の罪で実刑判決を受けるという誠に情けない事件まで発生しています。



国際柔道連盟の規約前文においては、「柔道は、1882年、嘉納治五郎によって創始されたものである」と謳っています。

嘉納治五郎は、1860年12月10日、兵庫県神戸市東灘区御影町で生まれました。

嘉納家は御影に於いて屈指の名家であり、祖父の治作は酒造・廻船にて甚だ高名があったといいます。

その長女・定子に婿入りしたのが、嘉納治五郎の父・治朗作でした。

治作は治朗作に家を継がせようとしましたが、治朗作はこれを治作の実子である義弟に譲り、自らは廻船業を行って幕府の廻船方御用達を務め、勝海舟のパトロンともなったそうです。

ちなみに、同じ嘉納家で「嘉納三家」と呼ばれる家には、菊正宗酒造や白鶴酒造があるそうです。

嘉納治五郎は、1870年、明治政府に招聘された父に付いて上京し、東京で書道や英語などを学び、後に現在の東京大学に進学しました。

嘉納治五郎は、当時、自身の虚弱な体質から力の強い者に負けていたことを悔しく思っていて、「非力な者でも強い者に勝てるという柔術を学びたい」と考えていたそうです。

そして、天神真楊流柔術の福田八之助に入門します。

嘉納治五郎は、天神真楊流と起倒流柔道の乱捕技を基礎に、起倒流の「崩し」の原理を研究して整理体系化し、修身法、練体法、勝負法としての修行面に加えて人間教育の手段であるとして「柔道」と名付けました。

そして、1882年、下谷にあった永昌寺という寺の書院12畳を道場代わりとして「講道館」を創設しました。

嘉納治五郎の「柔道」が全国に広まったきっかけは、1888年頃に開催された警視庁武術大会での勝利でした。

この試合で講道館の実力が認められ、講道館柔道が警視庁の柔術として採用されたのです。

嘉納治五郎は、教育者としても有名で、1882年から学習院教頭、1893年から現在の筑波大学の校長を務めました。



上の写真は、「講道館四天王」の一人であった西郷四郎です。(前列左側。153㎝、53㎏)

西郷四朗は、映画やテレビのヒーローであった姿三四郎のモデルと言われています。

ミシェルのお父さんも子供の頃、テレビの姿三四郎(竹脇無我さんが演じる)を見て憧れたものです

美空ひばりさんが歌った「柔」の「勝つと思うな、思えば負けよ」という歌詞にも、心を打たれました

西郷四朗は、会津藩士・志田貞二郎の三男として若松に生まれ、16歳の時に会津藩家老・西郷頼母の養子となりました。

1882年に上京して陸軍士官学校の予備校であった成城学校に入学し、天神真楊流柔術の井上敬太郎道場で学んでいた時に同流出身の嘉納治五郎に見いだされ、講道館に入門したのです。

西郷四朗の得意技は有名な「山嵐」でしたが、嘉納治五郎をして「西郷の前に山嵐なく、西郷の後に山嵐なし」と言わしめるほどの技でした。

テレビで姿三四郎が、自分よりも強いと思われる柔術家の村井半助や檜垣源之助や檜垣鉄心・源三郎兄弟らと戦い、激闘の末に「山嵐」で勝利するシーンに拍手喝采したものです

そんな姿三四郎が、戦いの合間に、師範から教えられた「人間として大切な心」と葛藤するシーンにも、子供ながらに「何が本当に大切なことか」を考えさせられたものでした。



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「ゴルフの精神」とは


日本ゴルフツアー機構(JGTO)は、今年10月の国内男子下部ツアー「太平洋クラブチャレンジトーナメント」で、齋藤拳汰選手がスコアカードを改ざんしたとしてジャパンゴルフツアーへの出場を10年間停止とすると発表しました。

齋藤選手は、大会最終日にマーカーが記載したスコアカードの2箇所を消しゴムで消し、実際のスコアよりも1打ずつ少なく書き直したというのです

処分理由として、JGTOは「ゴルフ規則第1章に規定する『ゴルフの精神』に反する重大な違反行為であり、除名処分も考えられたが、会長をはじめとする各委員から今回が初めての行為であること、本人が20歳の若者であり、深く自省することにより将来に向けての更生を強く期待している為」と説明しました。

しかし、全てのゴルファーの見本となるべきプロゴルファーが、意図的にスコアの改ざんをしたというゴルフの根幹を揺るがす違反に対し、果たして10年間の出場停止で妥当なのか否かが議論の的となっています。



齋藤選手は若手のプロゴルファーですが、有名なプロゴルファーの中にも違反の疑惑を持たれた選手はいます。

1994年のマスターズ初日の18番ホールで事件は起きました。

尾崎将司選手がアドレスした際にボールが動いたのですが、尾崎選手は、そのままボールを打ったのです。

そのルール違反を目の前で見ていたギャラリーの指摘により、尾崎選手には2打罰が課せられました。

また、尾崎選手は、度々、ライの改善疑惑が指摘されていますが、1997年の中日クラウンズ最終日でもグレグ・ノーマン選手によって疑惑が指摘されました。

2番ホールでティーショットをラフに打ち込んだ尾崎選手は、ドライバーを持ったままセカンド地点まで行き、一旦ドライバーでアドレスをした(ボールの後方の芝をドライバーのソールで抑えた?)後、アイアンに持ち替えてショットをしたのです。

一連の動作を見ていたノーマン選手は、競技委員に「尾崎の行為は、ライの改善ではないのか」と指摘しましたが、何故か日本の芝の違いを理由に抗議は受け付けられなかったのです

ノーマン選手は、競技終了後に「ゴルフのルールは誰に対しても平等であり、世界共通でなければならない」という言葉を残して会場を去りました。



一方で、今年のBMW―PGA選手権(欧州ツアー)では、賞賛すべき出来事がありました。

アーニー・エルス選手が打ったボールが、バンカー際の土の中に深く埋まってしまったのです。

エルス選手は、自分のボールかどうかを確認するため、ルールに従って埋まったボールを一旦取り出し、自分のボールであることを確認し、再び元の埋まった状態に戻しました。

そして、そのボールを打ったら、そのままカップに転がり込み、チップイン・イーグルを達成しました。

ギャラリーの拍手喝采に手を挙げて「サンキュー!」と応えたエルス選手でしたが、直ぐに競技委員を呼び、「こんなに簡単に打ち出せるはずがないくらいボールは深く埋まっていた。つまり、私がボールを元通りの状態に埋め戻せずに打ってしまったということになる。このままでは、自分自身が納得いかない」と主張したのです

エルス選手は、結局、このホールのスコアをイーグルからパー(2打多い)に変えてスコアカードを提出しました。

誰に指摘された訳でもないのに、自ら疑惑を申告したのです。

これこそが、まさに「ゴルフの精神」と言えるのではないでしょうか。



2016年のパナソニックオープン2日目、18番ホールのプレイを終えたケーシー・オトゥール選手は、競技委員に「18番のバンカーショットで、バックスウィングの際にクラブのヒールが砂に触れたかもしれない。VTRで確認して欲しい」と申し出ました。

しかし、同伴競技者の高山選手と競技委員は、VTRを見てもクラブが砂に触れた様子は確認できませんでした。

それにもかかわらず、オトゥール選手は「疑わしいと自分が思う状況で、これ以上プレーは続行できない」と言い、予選通過ができなくなることが解っていながら、自ら2打罰を課したのです。



2011年の全米オープンでは、ウェブ・シンプソン選手が「アドレスした際にボールが動いた」と自己申告し、優勝のチャンスを逃して2位になりました。

この時、競技委員としてシンプソン選手についていた川田太三氏は、シンプソン選手に「リスペクトします。このことは、ゴルフの神様が見ていて必ず返してくれますよ」と声をかけたそうです。

翌年、その言葉どおりとなり、シンプソン選手は、念願の全米オープンを制しました



ゴルフの「自己申告」で最も有名なのは、1925年の全米オープンで起きた出来事です。

球聖ボビー・ジョーンズ選手が打ったボールは、深いラフの中に飛び込みました。

深いラフの中のボールは、ジョーンズ選手以外の誰にも見えない状態だったにもかかわらず、ジョーンズ選手は「草か風かによって、ボールが動いたような気がした」と同伴競技者に自己申告したのです。

このことで1打罰が加算され、ジョーンズ選手は他の選手と首位タイとなり、その後のプレーオフで敗れて優勝を逃しました。

メディアはジョーンズ選手の行為を賞賛しましたが、ジョーンズ選手は「スコアを誤魔化さなかったのを褒めてくれるのは、銀行強盗をしなかったと褒めてくれるようなものだ」と語り、ゴルフが極めて精神性の高いスポーツだと世間に知らしめました。



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角道の精華



日馬富士と貴の岩の間で起きた暴行事件について、テレビでは色々なコメントが報道されています。

そして、暴行事件そのものに留まらず、相撲道や横綱の品格にまで話は及んでいます。

貴の岩の親とも言える貴乃花親方は、九州場所が終わった時に次のように語っています。

今場所が終わった次の日から、身体を休める、身体を鍛える、精神を養う、精神を休める、よく眠る、熟睡する。

その心掛けが、次の場所への土台になっていきます。

15日間というのは、とても過酷です。

それだけに、夜も朝も昼も鍛錬、食事、睡眠、これを心がけて三位一体で努力は勿論のこと、精進していく構えであるべきと考えております。

私が自分でこの部屋の代を継いだ後にも、その以前から私の師匠の教えでもありました。

けれども、私は自分の弟子で本気で相撲道に向き合う力士しか育てたくありません。

決して相手を傷つけることなく、勝負が終わったならば、相手に手を差し伸べられるだけの度量、器量、実力を身につけさせたいと思います。

そしてやはり、日本国体を担う相撲道の精神、相撲道の精神とは、角道と言います。

角(くら)べる道と書きます。

私どもが相撲協会教習所に入りますと、陛下が書かれた角道の精華という訓があります。

これを見て、いちばん最初に学びます。

この角道の精華に嘘つくことなく、本気で向き合って担っていける大相撲を。

角界の精華を貴乃花部屋は叩かれようが、さげすまれようが、どんな時であれども、土俵にはい上がれる力士を育ててまいります。

その為には、私自身も、親方・師匠として腰引くことなく、身を引くことなく、まっすぐと向き合って皆さまのご支援に報いるよう精進いたします。



上の言葉が、角道の精華です。

その意味は・・・

1年を通して心と技を磨き、日々鍛錬に励む

学問と武士の精神を学び、両方を修める

立ち合いの際、相手との呼吸を合わせる

相撲道に精進してこそ日本に輝ける



貴乃花親方は、次のようにも語っています。

私は15才で入門して以来、ひたすら相撲道を邁進して参りました。

相撲界は一般の方から見ると特殊な世界のようで、未だに国技である「相撲」は完全に理解されているとは言えません。

例えば、「横綱」についてですが、横綱とは「力士の中で最も強い者」「相撲という格闘技のチャンピオンである」と解釈されている方がおられることが残念でなりません。

同様に、相撲は「日本古来の格闘技」ではありません。

相撲とは、「神道」に基づき、男性が神前にその力を捧げる神事がその根源です。

横綱に強さだけではなく、品格や厳格さが求められるのは、相撲が神事である証しと言えるでしょう。

横綱とは、力士番付における最高位ではありますが、ただ勝ち星が多ければ良い、他の力士に比べて力や技に勝り、誰よりも強ければそれで良いという存在では決してありません。

相撲の道を志すものは、「強くなりたい」という思いと同時に、「日本の伝統文化を守る」という強い意志が必要だと私は常々考えて参りました。

それと同時に、相撲を通じて古来から脈々と受け継がれてきた日本文化の美学を後世に伝えていくことが、相撲に関わる全ての人間に課せられた義務であると考えております。

一方で、現役横綱の白鳳は、「いくら優しくて品格のある横綱であっても、結果を残さなければ引退です。そのことを考えると、勝つことが品格なんじゃないか」と語っています。

勝利数の点では偉大な横綱であることは間違いありませんが、貴乃花親方が語る「横綱」とは明らかに異なる点があるように思えます。



貴乃花親方は、万葉学者の中西進先生との対談を通じて、次のようなことも語っています。

相撲の立ち合いで、行司がかける「見合って、見合って」というかけ声については、日本語で「見合う」というのは「誉める」という意味があるそうです。

「これは、お互いに尊敬し合えるからこそ、真剣勝負ができるという深い意味が込められている証拠と言えます」という言葉を中西先生からお聞きし、中西先生が相撲道の本質を見抜いておられることに深く感じ入りました。

また、中西先生から「女性が土俵に上がれないのはどうしてですか?」と聞かれました。

この質問に対し、私は「相撲とは、元々、力士のどちらかが死ぬまで競い合うもの。土俵という闘いの場に、本来守るべき存在の女性を上げるわけにはいかない。女性を土俵に上げないのは、この精神があるからなのです」とお答えしました。



高野山別格本山清浄心院の池口恵観法主が貴乃花親方を励ますメールを送ったところ、貴乃花親方から「今の状況、若い頃から慣れております。全国民の皆様及び観衆の皆様の本来の幸せを感動という繋ぐ心で思慮深く究明し、心動かされる人の心を大切に真摯な姿勢を一貫して、この心の中に角道の精華として樹立させたいと思います」という内容のメールが返ってきたといいます。

その言葉を受けて、池口法主は「本当の相撲道に徹していけるような相撲協会になってもらいという気持ちがあると思う」と語っておられます。



貴乃花親方は、「暴力事件については警察にお任せしてある」ということで、敢えて沈黙を守っています。

その貴乃花親方の気持ちを代弁するかのように、妻であり女将である花田景子さんが、講演で次のようなことを語っています。

「綱は神聖なもの。神社のしめ縄と同じ。綱を締めている横綱は、神様に近い存在でなければいけない。だから10人の付き人がいて、横綱の生き様で、彼らに力士道、相撲道を見せていかなければいけない。これが力士の最高峰・横綱の使命だと思います」

「勝負師がいかに過酷か、横綱がいかに過酷で、その重責がいかほどかを夫の生活を目の当たりにして学んだ。土俵上には神がいますから神様を冒涜するような行為はしてはいけない」

「現役の頃は、お酒も殆ど飲まなかった。引退する直前ぐらいから、赤ワインは体にいいらしいわよ、と私が勧めましたけど、『感覚が鈍る気がする』と殆ど飲みませんでした。そんな話を弟子にすると、師匠が憧れの存在なので、弟子も殆ど飲みません」

「結婚したら、ペットボトルの蓋も開けてくれなくなった。そういうことで筋をおかしくすることもあるそうです。爪も、まわしを握る感覚が違ってくるからと、ヤスリで削っていました。彼の日々の生活を見ていると、それだけ身体を気遣わなければ、土俵で集中できないのかと思います」

沈黙を守ることで色々な誤解も生じているように思えますが、雑言に負けず、これからも「角道の精華」を極めていってもらいたいと思います。



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テーマ : 大相撲
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プロフィール

カリーノパパ

Author:カリーノパパ
●シェリー(シェルティー母):
 とっても優しい理想的な家庭犬
 アンジェの母親です

2016.4.18永眠、享年15歳11ヶ月

●アンジェ(シェルティー娘):
 ボール遊びと食事が大好きです
 我が家で生まれました

2018.5.5永眠、享年14歳10ヶ月

●カリーノ(ラフコリーの女の子):
 ショードッグ
  【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 FCIインター・チャンピョン 
 【主な賞歴】
 2009年アジアインターBOB
 2010年ジャパンインターBOB
 2010年近畿インターBOB
 2010年東北インターBOB 
 2010年ペディグリーアワード
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

2014.12.9永眠、享年8歳5ヶ月

●ミシェル(ラフコリーの男の子):
 陽気で優しく、人が大好きです
 ショードッグ
 【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 【主な賞歴】
 2011年神奈川インターWD
 2014年熱海愛犬クラブ展WD
 2014年山梨東ドッグコ展WD
 2015年沼津愛犬クラブ展WD
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

●カリーノパパ(人間):
 ミシェル達のお父さん
 本職は建築家(一級建築士)
 犬、スキー、ゴルフ、車、絵画が大好き
 1974年から大手建設会社の設計部にて勤務
 1986年に海外部門に異動し、14年間海外勤務
 内13年間をロンドンにて勤務
 2012年に大手建設会社を定年退職
 同年5月から河口湖でスローライフ開始

●訪問ありがとうございます。
4頭の犬と一緒に暮らしながら、日々感じたことを綴っています。
ミシェルとミシェルのお父さんであるカリーノパパが、記事やコメントを書いています。

●コメントは、ありがたく拝見し、返信させていただきます。

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