2017年全英オープンゴルフ



上の写真は、世界4大ゴルフトーナメントの一つである全英オープンの会場(2017年)「ロイヤル・バークデール・ゴルフクラブ」です。

ビートルズ発祥の地と言われる「リバプール」から北へ約30分ほど行った海浜リゾート地「サウスポート」にあるリンクスコース(海岸線沿いにあるゴルフ場)です。

1897年に開場したコースですから、今年で120年もの歴史を有しています。

今年が10回目の全英オープン開催となる英国を代表するゴルフ場です。



英国と言えば、「一日の内に四季がある」と言われるほど天候が変わり易いことが知られていますが、それに加えて、リンクスコースは海からの強風が吹くことでも有名です。

風が強い日と風が無い日では、クラブの選択において4〜5番手ぐらいの違いが生じます。



土地を造成して造られた箱庭のような美しさの日本のゴルフ場とは異なり、英国のリンクスコースは自然の地形のままであり、フェアウェイもグリーンもうねっており、ラフが深く、全英オープンに出場するようなゴルフの名手と言えども手こずります。

全英オープン開催のリンクスコースで、優勝スコアが悪いことで有名なのは、カ—ヌスティとバークディールです。



初日は、気温こそ低かったようですが、風は殆ど無く、バークデールとしては、意外とスコアは良かったようです。

しかし、2日目は一転して強風が吹き荒れ(最大風速15m)、日本の谷原選手、池田選手、宮里選手は、揃って大崩れし、予選落ちしてしまいました。

そんな状況の中、松山選手は10位と健闘し、世界トップレベルの選手であることを証明しています。



上の写真は、リンクスコースの典型的なバンカーです。

日本のように浅くて土手が低いバンカーではなく、小さくて深く、かつ土手が垂直に切り立っています。

この為、バンカーに入ったボールの位置によっては、打ちたい方向とは逆の方向に打たなくてはいけないケースも多々生じます。

寝不足を堪えながら、あと2日間、全英オープンを楽しみたいと思います



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テーマ : ゴルフ
ジャンル : スポーツ

イーグル・ジャンプ



本日は、2つ目の映画「イーグル・ジャンプ」を御紹介したいと思います

ミシェルのお父さんがロンドンへの出張を終えて、英国に正式に赴任したのは1987年早々のことでした。

その頃の英国は、スコットランドやヨーロッパまで行かないとスキーができないこともあって、スキー競技人口は少なく、競技の成績も低かったように記憶しています。

スキー競技に参加していた人もアルペン競技(回転、大回転、滑降)だけで、ジャンプ競技に出場していた英国人選手はいなかったように思います。

この映画は、その当時が舞台になっています。



イングランド南西部のチェルトナムで生まれたエディ・エドワーズは、幼い頃からオリンピック選手に憧れていました。

しかし、周囲の人達からは「近眼で運動音痴なエディには到底無理な話」だと馬鹿にされていました。

実際、色々なスポーツに挑戦しましたが、何れも大成することはありませんでした。

そんなエディが、ある日、テレビでスキージャンプ競技を見て「これならオリンピックに出られるかもしれない」と思います。

早速、英国のオリンピック委員会に行きますが、そこで、英国にはスキージャンプ競技者もスキージャンプチームも無いことを知らされます。

それではと、自分がスキージャンプの英国代表選手になるべく、練習場があるドイツのスキー場「ガルミッシュ・パルテンキルヘン」へと向かいます。



それまで、エディーはジャンプ台を飛んだことはありません。

そこで、エディは15m級のジャンプ台から練習を始めました。

この時、エディは22歳でしたが、殆どのジャンプ競技者は、ジャンプの練習を5歳前後から始めます

15m級のジャンプ台を飛べたエディは、次に40m級のジャンプ台に挑戦します。

スキー・エキスパートであるミシェルのお父さんの経験から言っても、ジャンプ競技の経験が無い者が、40m級のジャンプ台に挑戦することは自殺行為に等しいと思えます。

案の定、エディは無時に着地することはできなく、転倒の連続です。

しかし、40m級のジャンプ台を飛ぼうとすること自体は、恐るべき勇気と情熱だと思います。

ここで、エディは、いつも酒ばかり飲んでいるスキー場の整備係と知り合います。

そして、その人物はブロンソン・ピアリーという名前で、過去には天才スキージャンパーと称され、アメリカチームのオリンピック最有力候補だったことを知ります。

しかし、ピアリーは、傲慢な態度と素行不良が原因でアメリカチームを追放され、ドイツのスキー場で整備係として酒に溺れた日々を送っていました。

それを知ったエディは、ピアリーに「コーチになって欲しい」と頼みますが、22歳でジャンプを始めるエディは全く取り合ってもらえません



仕方なく、エディは一人で40m級の練習を続け、なんとか着地できるようになります。

そして、5歳頃からジャンプを始めた選手でも「飛ぶ時は怪我を覚悟する」と言われる70m級ジャンプ台に挑戦しようとします

そんなエディの情熱に心を動かされたピアリーは、エディのコーチを引き受けます。

二人でジャンプの練習を続け、エディはスキージャンプの英国代表の資格を獲得すべく、ついに競技会に出ることになります。



競技会で英国のスキージャンプ記録(41m)を樹立したエディでしたが、英国のオリンピック委員会がエディがオリンピック代表になる為に要求したのは、70m級で61mと言う記録でした。

エディがオリンピック代表になる為には、更に20mも遠く飛ぶ必要があります

エディは、練習で61m飛ぶことができましたが、本番では61mに届きません。

オリンピック代表になれなかったと失望したエディでしたが、練習で飛んだ61mが公式記録として認められ、ついに子供の頃からの夢であったオリンピック選手に選ばれます



エディは、1988年に開催されたカルガリー・オリンピックの英国代表として、70m級スキージャンプに挑みました。

優勝したのはフィンランドの「鳥人」と言われたマッチ・ニッカネンで、記録は2本とも89.5mでした。

そして、エディの記録は2本とも55.0mで、58人中58位でした。

しかし、エディの勇気と情熱が多くの人々の感動を呼び、エディは「エディー・ジ・イーグル(Eddie The Eagle)」というニックネームを与えられて一躍大人気を博しました。

エディは、その人気に甘えることはありませんでした。

70m級だけに出場予定だったのですが、なんと飛んだことが無い90m級にも出場することになったのです

90m級は、スタート地点から着地点までの標高差が約140mもあり、踏み切る時のスピードは時速100㎞前後です。

5歳頃からジャンプを始めた選手でも、90m級ジャンプ台を飛ぶ時は「死ぬことも覚悟する」と言われています

また、90m級ジャンプ台を飛ぶ感覚は、日本初の超高層である「霞が関ビル(高さ147m)の屋上から飛び下りる感じ」とも例えられます

90m級ジャンプ台のスタート地点周辺には、恐怖と緊張に包まれた選手達のオシッコの跡を数多く見かけます。

そんな恐ろしい90m級ジャンプ台に、一度も飛んだことが無いエディが挑んだのです。

勇気を振り絞って飛んだエディは、見事に着地することができました

優勝したフィンランドの「鳥人」マッチ・ニッカネンの記録は、118.5mと107.0mでした。

そして、エディの記録は71.0mと67.0mで、55人中55位でした。

1988年にテレビで競技の中継を見た時には、ミシェルのお父さんは「なんで、こんな選手がオリンピックに出たんだろう?」と不思議に感じましたが、今回、映画を観終った時には、お父さんの胸と目頭に熱いものがこみ上げてきました。



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テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

ハドソン川の奇跡



最近、2つの映画を観て感動しました。(最新レンタルDVDにて)

本日は、その1つである「ハドソン川の奇跡」を御紹介したいと思います。

ミシェルのお父さんは何度も飛行機に乗り、何度か地球1周の旅行をしたこともありますが、それでも飛行機に乗る度に不安を感じます。

いかに安全に造られていても、あんなに重い機体が、重力の法則に逆らって飛んでいるのですから

映画「ハドソン川の奇跡」は、2009年1月15日(オバマ大統領就任直前)に実際に起きた飛行機事故を題材にしています。



ニューヨーク発シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ1549便は、乗員・乗客155名を乗せて、ニューヨークのラガーディア空港を定刻に飛び立ちました。

しかし、USエアウェイズ1549便は、ラガーディア空港離陸直後にカナダガンの群れに遭遇し、両エンジンが同時にバードストライク(エンジン内に鳥が吸い込まれてしまう事故)によってエンジンがフレームアウト(停止)してしまいます

カナダガンは、体重4kgもある大きな鳥で、その鳥が両エンジンに致命的な損傷を与えてしまったのです。

その為、飛行スピードは極端に落ち、飛行高度の維持もできなくなってしまいます。



機長のチェズレイ・サレンバーガーは、即座に操縦を副操縦士から交代し、同時に空港管制に対して事故の状況報告と非常事態を宣言します。

そして、副操縦士のジェフリー・B・スカイルズは、事態を改善すべくQRH(クイック・リファレンス・ハンドブック)を実施します。

事故発生直後、機長は最寄りの空港への着陸を目指し、ラガーディア空港かテターボロ空港への着陸を検討しますが、高度と速度が低すぎる為に空港への着陸は不可能と判断し、マンハッタンへの墜落を防ぐべく、ハドソン川への緊急着水を決断します。



その後、USエアウェイズ1549便はジョージワシントンブリッジをギリギリで回避しながら減速し、機長は着水間近に乗客に対して「衝撃に備えて下さい」とのみ伝えます。

事故発生から不時着水までの時間が、わずか208秒しかなかった為、機長は乗客に事故状況を詳細を伝える余裕はありませんでした。

しかし、3名のキャビンアテンダントは事故状況を察知し、乗客に対して適切な対処を行っていました。



事故発生から約3分が経過した時、USエアウェイズ1549便は、マンハッタンの西側を流れるハドソン川へ時速約270kmで滑るように着水しました。

幸いにも着水進入方向と川の流れが一致していた為、着水時に機体が受ける衝撃は少し抑えられました。

加えて、機体の姿勢も水面に対し水平に近かった為、機体の致命的な破損も避けられました。

スムーズな着水によって機体損傷は後部壁下部の一部だけで済み、乗客全員が迅速に機内から脱出シューター(着水時には救命いかだになる構造)及び両主翼に避難することができました。

着水後、損傷した後部から浸水が始まり、客室内にも浸水が始まりました。

機長とキャビンアテンダントは、決められた手順に従って行動し、乗客を機体前方へ誘導し、毛布や救命胴衣を乗客へ手渡しました。(この時の機外の気温は、氷点下6℃でした)

機長は最後まで機内に残り、既に浸水が始まっていた機体後方まで行って残された乗客の確認を2度行ない、乗員乗客全員が脱出したのを確認してから機外に脱出しました。



離陸直後に両エンジンがバードストライクで停止してしまうという未曽有の事故にもかかわらず、乗員乗客155名全員が無事であったことで、機長は「ヒーロー」として称賛されます。

一方で、機長と副機長は、何日もの間、まるで犯罪人であるかのように、事故調査の為の国家輸送安全委員会の厳しい質問に晒されます。

国家輸送安全委員会の嫌疑は、「極めて危険なハドソン川への不時着水ではなく、最寄りの空港に着陸できたのではないか」というものでした。

コンピューターに残ったデータが、その可能性を示していた為です。

更に、飛行機を製造したのがエアバス社だったこともあり、フランスで事故当時のシミュレーションが行われました。

そして、「USエアウェイズ1549便は、ラガーディア空港にもテターボロ空港にも着陸可能であった」という検証結果が出てしまいます

しかし、機長は「シミュレーションには事故直後のQRH作業などの時間が含まれていない」という問題を指摘し、その結果、QRH作業などの時間を含めたシミュレーションが再度行われます。

再シミュレーションでは、USエアウェイズ1549便は空港到着前に墜落する結果となり、更に市街地に墜落してより大きな惨事になっていた可能性も示され、ようやくハドソン川への不時着水が正当な判断であったことが立証されるのです



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テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

ベル&セバスチャン続編



第二次世界大戦が終わり、ベルとセバスチャンが住む村にも平和が訪れました。

セバスチャンは、10歳になりました。

そして、前作でユダヤ人家族をスイス国境まで送り届けた後、イギリスに渡ってレジスタンスとしてドイツ軍と戦っていたおじいさんの姪のアンジェリーナが、村に戻って来ることになりました。

しかし、乗っていた飛行機がフランスとイタリアの国境にある山岳地帯で事故に遭い、アンジェリーナが行方不明になってしまいます。



アンジェリーナの生存を信じていたおじいさんは、飛行機を持っていたピエールに捜索を頼みます。



おじいさんが目を離した隙に、ベルとセバスチャンはピエールが操縦する飛行機に潜り込み、一緒に墜落現場へ向かってしまいます。



続編では、セバスチャンが実父と遭遇するそうです。

また、捜索の途中で大きな熊や山火事に遭遇したり、イタリア人の少女と出会ったりもするそうです。



続編は、日本では劇場未公開のようですが、2月下旬にレンタルDVDがリリースされるようです。

美しいヨーロッパアルプス、そして可愛いベルとセバスチャンの活躍を観るのが楽しみです



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テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

ベル&セバスチャン



ミシェルのお父さんは映画が好きなので、河口湖に映画館が無いことを残念に思っています。

映画を観る為には、甲府まで行くか、レンタルDVDを借りることになります。

以前にも御紹介したのですが、犬と少年が主人公の映画「ベル&セバスチャン」がレンタルDVDになっていることを知りました。

そこで、早速、レンタルDVDを借りることにしました



この映画は、「名犬ジョリィ」としてアニメ化されて人気を博したセシル・オーブリーの世界的ベストセラ―文学「アルプスの村の犬と少年」を、自然と犬に人生を捧げるニコラ・ヴァニエ監督が戦時中のアルプスを舞台に映画化したものです。

フレンチアルプスの麓の小さな村で暮らす孤児セバスチャンは、学校にも行っておらず、友達もいない孤独な生活をしていました。

一緒に暮らすおじいさんからは「母親は、山の向こう側のアメリカに居る」と教えられ、いつか母親と会えることを待っていました。



羊を飼って生活しているおじいさんと一緒に「野獣」を探しに行きます。

その「野獣」とは元々近所で飼われていた犬なのですが、飼い主の虐待にあって逃げ出し、野生化してしまったのです。

村では、その「野獣」が羊を襲ったり、人を襲ったりしていると信じられ、狩猟の対象になっていたのです。



ある日、一人で居たセバスチャンの前に大きな灰色の犬が現れます。

セバスチャンは「この犬が野獣だ」と判りましたが、なぜか怖くなく、直ぐに友達になってしまいます。

友達がいなかったセバスチャンにとって、その日から、その犬が唯一の友達になります。

川で犬の身体を洗ってあげると、灰色に汚れていた毛は真っ白になりました。

犬の美しさと、犬が女の子であることを知ったセバスチャンは、その犬を「ベル(フランス語で美しいという意味)」と名付けました。



村を占領していたドイツ兵が、子育て中の鹿の母親を撃つのを見たセバスチャンは止めに入ります。

ドイツ兵によって地面に抑え込まれたセバスチャンを見て、ベルが助けに行きます。

ドイツ兵がベルに手を噛まれたことで、ドイツ軍は村人にベルの狩猟を命じます。

村人達による狩猟によって右後ろ足を撃たれたベルは、命の危険にさらされます。

セバスチャンの必死の介護で回復したベルは、羊を襲いに来た狼の群れを追い払います。

それを知ったセバスチャンのおじいさんは、自分が誤解していたことを謝ります。

丁度その頃、セバスチャンは、自分の母親が出産と同時に亡くなり、母親が生まれたばかりのセバスチャンをおじいさんに託したことを知ります。



当時のフランスはドイツ軍に占領されていて、ユダヤ人が捕らわれていました。

その為、フランスに住むユダヤ人はスイスなどに亡命していたのですが、セバスチャンの村でもユダヤ人の亡命を手助けしている人がいました。

亡命の手助けをしていた医者が足を負傷してしまい、代わりにおじいさんの姪がアルプスを越えてスイスの国境まで案内することになります。

しかし、途中でドイツ軍が見張っていることを知り、危険な氷河地帯を越えて行くことになります。

氷河地帯には危険なクレバスが多く存在し、その危険を察知する為にベルとセバスチャンも同行することになります。

そして、ベルとセバスチャンの活躍で、ユダヤ人家族は無事にスイス国境まで到達することができます

この映画を観ると、改めて犬が好きになったり、益々犬が好きになったりします。

ミシェルのお父さんもその一人で、映画を観終わった途端、横で身体をくっつけて寝ていたミシェルを思わず抱きしめました

訳が解らないミシェルは、「お父さん、どうしたの?」と不思議そうな顔をしていました



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テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

And so it goes



ミシェルのお父さんは映画が好きなので、横浜に住んでいた当時は、近くのアウトレットモール内にある映画館に度々行きました。

しかし、河口湖には映画館が無いので、テレビかレンタルDVDで映画を観ることになります。

昨日、CSテレビのムービー・チャンネルを見ると、マイケル・ダグラスとダイアン・キートン主演の映画が放映されていました。

アメリカでは2014年に公開されましたが、日本では未公開の映画です。

オリジナルの題名は「And so it goes」ですが、日本語の題名は「最高の人生のつくり方」です。

「And so it goes」はビリー・ジョエルの曲名ですが、映画の題名としても「And so it goes」が相応しいように感じます。

ちなみに、「And so it goes」は哲学的な言葉で日本語に直訳するのは難しいのですが、敢えて訳すと、 「そして今は・・・」とか、「時と共に移り行く・・・」とかいった感じでしょうか。



名優のマイケル・ダグラスが演じるのは、自己中心的で頑固で変わり者と思われている不動産エージェントのオーレン(70歳位の役)です。

同じく名優のダイアン・キートンが演じるのは、かっては売れない俳優で、今はクラブ歌手をしているリア(65歳の役)です。

二人とも伴侶を亡くして、今は同じアパートで一人で暮らしています。

実は、このアパートはオーレンがオーナーなのですが、彼は他にも860万ドル(約9億円)の豪邸と閑静な田舎にリタイヤ後に住む為の家を持っています。

豪邸の方は売りに出していますが、見に来るお客さんに失礼なことを言っては売却に失敗しています。



同じアパートの隣りに住むオーレンとリアでしたが、オーレンの性格のせいもあって、最初は相手を理解するのが難しい状態でした。



ある日突然、疎遠になっていたオーレンの息子のルークが訪ねてきて、「娘のサラ(9歳)を預かって欲しい」と頼みます。

その理由は、自分が刑務所に入ることになったからです。

孫の存在すら知らなかったオーレンは驚き、「我が家は狭くて部屋が無い」と預かることを拒否します。

そんな様子を見ていたリアは、「私が預かる」と縁も無いサラを引き取ります。

リアからルークのことを問われたオーレンは、「全てが長続きしない。学校は途中で退学。スポーツも直ぐに止め、長続きしたのはドラッグだけ」と、疎遠になった理由を語ります。



最初は反発し合っていたオーレンとリアでしたが、サラを通じて、少しずつ相手を理解し始めます。

結局、最後は全ての人達がハッピーエンドに終わるのですが、もし御興味があれば、レンタルDVDで御覧ください

ミシェルのお父さんと同世代のオーレンとリアが少しずつ理解し合い、徐々に相手の優しさに惹かれていくストーリーは、殺伐とした現代社会において、身も心も暖かくしてくれるホットワインのような味がしました



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テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

ケアレス・ウィスパー



1986年2月か3月、ミシェルのお父さんがニューヨーク駐在員事務所に勤めていた頃、マンハッタンを歩いていると、1曲の音楽が耳に飛び込んできました

その哀愁に包まれた美しい調べに、お父さんの心は直ぐに魅了されてしまいました。

しかし、その音楽が何という曲名かも分からないまま月日は過ぎました・・・。

1986年12月にロンドンに赴任した後も、その曲のことは気になっていました。

そして、ロンドンの街中を歩いていた時に、偶然、あの曲を耳にしたのです。

お父さんは、必死になって曲名を調べました。

その結果、ワム(WHAM)という2人のイギリス人が歌っている「ケアレス・ウィスパー(CARELESS WHISPER)」という曲であることが判りました。



そのケアレス・ウィスパーを作曲したジョージ・マイケルが、今年のクリスマスに53歳という若さで亡くなりました。

ケアレス・ウィスパーは、17歳だったジョージ・マイケルが、アルバイト先の映画館へ向かうバスの中で書き留めたもので、発表時に相方だったアンドリュー・リッジリーが手を加えたと言われています。

ケアレス・ウィスパーは、不用意な一言で別れてしまった恋人を想い、後悔の念を歌っています。

イントロ部分の哀愁感が漂うサックスの音色が、聴く者の胸を締め付けます。



I feel so unsure as I take your hand
(僕は正気じゃいられないよ)
And lead you to the dance floor
(君の手を取りダンスフロアに連れて行きながら)

As the music dies
(音楽が途絶えて)
Something in your eyes
(君の瞳が語りかけるんだ)
Calls to mind a silver screen
(いつか見た映画であったように)
And all its sad goodbye
(悲しいけどこれでさよならねと)

I'm never gonna dance again
(もう踊る気になれないんだ)
Guilty feet have got no rhythm
(罪の意識にさいなまれてのれないんだ)
Though it's easy to pretend
(気持ちを隠すのは簡単だけど)
I know you're not a fool
(隠し通してもいられない)

I should have known better,than to cheat a friend
(君のような友達を騙したことを後悔してるんだ)
And waete the chance,that I'd been given
(でも償うチャンスをふいにしたんだ)
So I'm never gonna dance again
(だからもう踊れないよ)
The way I danced with you-ooh...
(君と今までのようにね)

Time can never mend
(時がたっても消えやしないね)
Careless whispers,of a good friend
(親友だったはずの僕が言った不用意な一言は)

To the heart and mind
(君の心のうちを思えば)
Ignorance is kind
(知らない方がよかったね)

There's no comfort in the truth
(真実は君を苦しめ)
Pain is all you find
(君を傷つけただけさ)

I'm never gonna dance again
(もう踊る気になれないんだ)
Guilty feet have got no rhythm
(罪の意識にさいなまれてのれないんだ)
Though it's easy to pretend
(気持ちを隠すのは簡単だけど)
I know you're not a fool
(隠し通してもいられない)

I should have known better,than to cheat a friend(should have known better)
(君のような友達を騙したことを後悔してるんだ)
And waete the chance,that I'd been given
(でも償うチャンスをふいにしたんだ)
So I'm never gonna dance again
(だからもう踊れないよ)
The way I danced with you-ooh...
(君と今までのようにね)

Never without your love
(君無しでいられないのに)

Tonight's music seems so loud
(今夜の音楽は耳障りだ)
I wish that we could lose this crowd
(人ごみに紛れて消えちゃいたいよ)
Maybe, it's better in this way
(そのほうがいいかもね)
We'd hurt each other,with things we want to say
(僕らは言うだけのことをいって互いに傷ついてしまったね)

I'm never gonna dance again
(もう踊る気になれないんだ)
Guilty feet have got no rhythm
(罪の意識にさいなまれてのれないんだ)
Though it's easy to pretend
(気持ちを隠すのは簡単だけど)
I know you're not a fool
(隠し通してもいられない)

I should have known better,than to cheat a friend
(君のような友達を騙したことを後悔してるんだ)
And waete the chance,that I'd been given
(でも償うチャンスをふいにしたんだ)
So I'm never gonna dance again
(だからもう踊れないよ)
The way I danced with you-ooh...
(君と今までのようにね)

I'm never gonna dance again
(もう踊る気になれないんだ)
Guilty feet have got no rhythm
(罪の意識にさいなまれてのれないんだ)
Though it's easy to pretend
(気持ちを隠すのは簡単だけど)
I know you're not a fool
(隠し通してもいられない)

We could have been so good together
(ずっと君と一緒にいたかったのに)
We could have lived,this dance forever
(一緒にずっと踊れればと思ったのに)
But now,who's gonna dance with me
(でも誰とも僕は踊る気にならないよ)
Please stay
(お願い行かないで)

(Now that you're gone)now that you're gone
((もう君は行ってしまった)もう君は行ってしまった)
(Now that you're gone)was what I did so wrong-so wrong?
((もう君は行ってしまった)そんなに僕は間違ってたのかい)
That you had,to leave me alone
(僕を置き去りにするほどのかい)






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テーマ : 80年代洋楽
ジャンル : 音楽

ブリッジ・オブ・スパイ



本日は、久し振りに映画の紹介をさせていただきます。

日本では、今年の1月に公開された「ブリッジ・オブ・スパイ」です。

スティーヴン・スピルバーグ監督、トム・ハンクス主演の史実に基づいて製作された映画で、1957年当時のアメリカとソビエトの冷戦状態が背景となっています。

話題を呼んだ映画ですが、地味なテーマであり、正直言って、観る前は「途中で退屈するかな」と思いました

しかし、名優トム・ハンクスの迫真の演技に、最初から最後まで画面に釘付けで、間違いなくスティーヴン・スピルバーグ監督の代表作と言っても過言ではない作品であることを認識させられました。



1957年、ニューヨークのブルックリンで画家を装い諜報活動を行っていたソビエトのスパイだったルドルフ・アベルは、FBIによって逮捕されました。

冷戦相手のソビエトのスパイということで、誰も弁護士になりたがらない状況下でしたが、ワターズ&コワン&ドノヴァン法律事務所の保険担当弁護士であったジェームズ・ドノヴァン(トム・ハンクス)は、共同経営者のトーマス・ワターズと連邦裁判所のリン・グッドナフから「公平性を演出する為、連邦裁判所弁護士会の弁護士全員の推薦を受け、ドノヴァンがアベルの弁護士として選出された」と伝えられます。

ドノヴァンは、刑事事件を何年も担当していないことや敵国のスパイを弁護して国中の非難を浴びることを心配して即答を避けようとしましたが、結局は弁護を引き受けてしまいます。

妻のメアリーからも「家族に危険が及ぶ」ということで反対されますが、実際、裁判が始まってからドノヴァンはアメリカ国民から白い目で見られ、家に銃弾が撃ち込まれたりします。



ドノヴァンは拘置所を訪れ、アベルと対面し、アベルがドノヴァンの弁護を承諾するか確認します。

アベルが、ドノヴァンに「このような裁判の経験があるのか?」と尋ねますが、ドノヴァンは「無い。しかし、あなたも初めてでしょ」と答えます。

アベルは、ドノヴァンの中に幼い頃に見たパルチザンの暴力に決して負けなかった男性の面影を見出し、裁判で弁護してもらうことを承諾します。

そして、アベルは、決して暴力に負けなかった男性がパルチザンに「不屈の男」と呼ばれたことをドノヴァンに伝えます。

ドノヴァンは、アベルに対して「アメリカ政府に協力すれば罪に問われないが、どうするか?」と問いますが、アベルは「協力はせず、裁判を受ける」と答えます。

この時、ドノヴァンもアベルの中に国家に忠誠を尽くす「不屈の男」を見出します。



ドノヴァンは、裁判の担当であり旧知の仲であるモーティマー・バイヤーズ判事に裁判の日程延期を申し入れますが、バイヤーズ判事に「どうせ有罪は決まっているのだ」と却下されます。

CIAのホフマンからも「アベルが何を話したのか?」問い詰められますが、ドノヴァンは「依頼人との守秘義務だ」と言って答えません。

敵国スパイを弁護したことで国中を敵にしてアベルの弁護をするドノヴァンでしたが、陪審員は全員一致で「有罪」と判決します。

しかし、予想された「死刑判決」だけは回避したいと願ったドノヴァンは、非公式にバイヤーズ判事の自宅を訪問し、判事に「将来、アメリカのスパイがソビエトの捕虜となった場合の対策として、アベルは捕虜交換として使える」と言って説得を試みます。

ドノヴァンは、更に「捕虜交換だけではなく、人道的な面においても、アベルは祖国に忠誠を誓っているだけの無害な人物である」と語ります。

ドノヴァンの必死の説得が功を奏したのか、バイヤーズ判事は、アメリカ国民の誰もが確信していた死刑判決を宣告せず、代りに30年の懲役刑を宣告します。

死刑判決を避けられたことだけでも奇跡的なことでしたが、ドノヴァンは更に上告し、最高裁までアベルの為に戦います。

ドノヴァンは、最高裁で「アベルの人権を尊重するべき」と訴えかけますが、最高裁の判決は5対4で「有罪」となり、アベルの懲役刑が確定します。



1960年、パキスタンのペシャーワル米空軍基地で、アメリカの軍人であったフランシス・ゲイリー・パワーズ達はスパイ活動の為に造られたU-2偵察機を見せられます。

そして、もしソビエト上空で撃墜された場合に備えて、偵察機の自爆装置や1ドルコインに隠された自害用の毒針などの説明を受け、ソビエトに向かって飛び立ちます。

その後、ソビエト上空から特殊カメラで撮影を行っていたパワーズは、ソビエトの地対空ミサイルで撃墜され、自害することなく捕虜となってしまいます。

パワーズもソビエトの裁判にかけられ、禁固10年の判決が下されます。



ある日、ドノヴァンの手元に東ドイツから送られたアベルの妻だという人物の手紙が届きます。

この手紙をアベルに見せると、彼は「妻の手紙ではない。ソビエトがアメリカに探りを入れる為に出したものである」と断言します。

その後、ドノヴァンは、CIAのアレン・ダレス長官から「手紙は、アベルを国民と認めたくないソ連が東ドイツを経由して送ってきたものであり、アメリカ人スパイを捕まえたと伝えるものだ」と言われます。

それは、以前にドノヴァンが想定した捕虜交換を提案するもので、ダレス長官は、ドノヴァンに民間人としてスパイ交換の交渉役を要請します。

同時期、ベルリンの壁が建設されつつあった東ドイツでは、アメリカ人の留学生であったフレデリック・プライヤーがスパイ容疑で捕まってしまいます。

ドノヴァンは、命の危険さえありましたが、妻には「ロンドンに行く」と伝え、捕虜交換の交渉を行う為に東ベルリンにあるソビエト大使館向かいます。

映画は、このようなストーリーで展開されますが、興味を感じた方は、レンタルDVDでお楽しみください



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テーマ : 心に残る映画
ジャンル : 映画

オリンピックは必要なのか?



ミシェルのお父さんは、スポーツ万能だった父親の血を受け継いだこともあって、スポーツが大好きです。

しかし、最近のオリンピックを見ていると、「果たしてオリンピックは必要なのか?」と疑問を感じてしまいます。

その理由を列挙すると・・・

・商業主義が蔓延して、先ず金銭ありきのオリンピックになってしまった

・本来、アマチュア選手の為の大会だったが、プロ選手の為の大会になった

・参加することに意義があったはずなのに、国威発揚の為にメダル獲得が最優先

・勝利至上主義の為に、身体に悪いドーピングが横行

・オリンピック招致の為に、国とIOCの間で贈収賄が横行

・オリンピック開催の為に巨額の税金を投入

・本来、政治や利権とは無縁のはずのオリンピックに政治屋が深く関与



本来のオリンピック精神とは・・・(抜粋)

1.よい手本となる教育的価値、社会的責任、倫理的諸原則の尊重に基づいた生き方の創造

2.スポーツを人類の調和のとれた発達に役立てることにあり、平和な社会を推進すること

3.友情、連帯そしてフェアプレーの精神に基づく相互理解が求められる

4.人種、宗教、政治、性別、その他の理由に基づく国や個人に対する差別は相容れない。

しかし、これらは、今や死語となり、勝利の為には何でもするオリンピックになっています。



東京オリンピックの開催費は、招致段階で7340億円と見積もられていましたが、今や3兆円を超えると予測されています。

実質的には国家経済が破たんしているとも言われる日本ですが、一体どこから3兆円も捻出するのでしょうか?

新国立競技場など競技施設や周辺インフラの整備だけで経費は7640億円。

この内、約800億円と見込んでいた仮設施設(大会後に撤去)の建設費は2800億円程度に膨らむと言われています。

更に、大会中の警備や輸送などに1兆2000億~1兆6000億円の費用が掛かると試算されています。

組織委員会の森会長は「ロンドン五輪は2兆円、ソチ五輪は4兆2000億円の経費がかかった。そのぐらいの金額になるんです」と発言し、更に「元々、招致時の見積もりに問題があった」と強弁しています。



現時点で東京都が負担する金額は、2689億円になると見積もられていますが、それを超えないとは言い切れません。

招致段階で69億円だった「海の森水上競技場(上の写真のボート競技会場))」は491億円に、397億円だった「オリンピックアクアティクスセンター(水泳競技会場)」は683億円に、177億円だった「有明アリーナ(バレーボール競技会場)」は404億円と、予算が大幅に膨れ上がりました。

しかし、海の森水上競技場の491億円には橋の架け替え工事費用が含まれておらず、この工事も含めると、恐らく1000億円を超えるものと予想されます。

海の森水上競技場は、多くのボート関係者から「ボート競技会場には適さない」とも指摘されています。

海の森水上競技場周辺は、年間を通して風が強く(オリンピックが開催される7月~8月は最も強い)、ボートが風の影響を強く受けます。

また、海水は塩分によりボートが浮き易く、かつ海水は真水より粘り気がある為、漕ぎにくくなることも指摘されています。

更には、ここは羽田空港を利用する飛行機の航路直下になっており、78~82デシベルもの騒音に悩まされます。

オリンピック後の維持費も問題で、海の波を遮断する為の水門(新設)の開閉や水位を調節する為の揚排水機の作動など、通常のボート競技会場よりも維持費がかかると言われています。



1964年の東京オリンピックは、戦後の復興という観点で、意味のある開催だったように思えます。

しかし、2020年の東京オリンピックに果たして特別の意味があるのでしょうか?

今の日本には、オリンピックよりも優先して対処すべき問題が山積しているように思えます。

その一つが、福島第一原発の収束と避難されておられる人達の救済です。

一般には殆ど知られていませんが、先の伊勢志摩サミット開催中、福島第一原発の作業はストップしたそうです。

その理由は「リスクを少しでも避ける為」ということだったそうですが、そんなリスクに日本国民は常時晒されているのです。

オリンピック開催中は、どうするつもりなのでしょうか



最近、名古屋大学の南海トラフ調査で「超巨大津波の恐れが高まっている」ということが判りました

上の地図は、南海トラフや首都直下型地震が発生した時に起こるかもしれない海面上昇時(上の地図は7m上昇時を想定)の被害状況を予測したものです。

東京都では、足立区、葛飾区、荒川区、江戸川区、江東区、中央区の殆どは水没する可能性があります。

千葉県にあるディズニーランドやディズニーシーも水没しますし、埼玉県の川口市や戸田市も水没の可能性がありそうです。

もしオリンピック開催中に大地震が発生したら、政府や東京都はどうするのでしょうか

都内の地下鉄は水没する可能性がありますし、首都高速は倒壊する可能性がありますし、高層ビルからは家具やガラスが落下してくる可能性がありますし、東京湾岸沿いの土地は液状化する可能性があります。

必然性の無いオリンピックに3兆円もの税金を投入するよりも、既にある問題や確実に発生すると予測される問題の対策に、その税金を使えないものでしょうか。



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テーマ : オリンピック
ジャンル : スポーツ

代44回フジサンケイクラシック



昨日&今日と、男子プロゴルフ・トーナメントのフジサンケイクラシックを観戦に行って来ました。

試合会場の富士桜カントリークラブは、ミシェルのお家から歩いて10分程で行けるので、とても助かります



昨日&今日とも快晴無風。

コースは、完璧に整備されています。

フェアウェイは広く、ラフは短く、欧米のトーナメントコースと比べると、やはり好スコアが出易いように感じます。



ロングヒッターで、アメリカのトーナメントに参加していた石川遼選手にとっては、休養明けとは言え、やはりバーディを獲り易いコースのようです。

パー5では、同伴競技者(谷原選手&金選手)は2打目をアイアンで刻みますが、石川選手はウッドで2オンしてバーディというパターンでした。

腰痛で休養する前までは、上半身と下半身の捻転差を活かしてマン振り気味のドライバーショットでしたが、今は、体の回転と腕の振りの一体感が強いスイングに変わっているように見えました。

りきみが全く感じられないスイングで、そのせいか曲がりも少ないように思えました。(2日目の前半を終えて、トップタイに浮上)

それにしても、日本の男子プロゴルフ界は、石川選手の人気に頼り切っているような感じがします。

練習場にしろコース上にしろ、石川選手が居る所だけ黒山の人だかりです。

コース上では、石川選手の組には200人位のギャラリーが付いて歩きますが、他の選手の組には、ギャラリーが0~5人といった感じです。

お客を呼べる選手が何人もいる女子プロゴルフ界とは雲泥の差です。



今回、観戦していて腹立たしいこともありました。

尾崎将司選手は、もう「昔の名前」だけで出場している感じです。

体は殆ど回らず、初日の17番ホール時点で9オーバー。(この時点で最下位)

「この調子だと、また棄権するな」と予想したら、案の定、1日目が終わって棄権しました。

今年は、7つのトーナメントに出場していますが、予選落ちが2回、棄権が5回という結果です。

成績が悪いだけなら、まだ良いのですが、この人のマナーの悪さは、観客に不快感を与えるだけでなく、若手のプロゴルファーにも悪影響を及ぼすように思えます。(実際、同伴競技者の平本選手は、歩きながらタバコを吸っていました)

例えば、ティーグラウンドに行くと、キャディが用意した携帯椅子に腰を下ろしてタバコをプカプカ吸っているようなお粗末さです。

打ち終わると、クラブを杖代わりにして、フェアウェイを老人のようにノロノロと歩きます。

尾崎選手ということで、誰も注意をしないのでしょうが、もうお客様に見てもらえるような状態ではなく、出場禁止が妥当と思える程です。

真のプロゴルファーとは、技術の高さだけではなく、「ゴルファーとは、どうあるべきか」という規範をアマチュアに示すべき存在だと思うのですが、今の尾崎選手からは、そのようなプロ意識は全く感じられません。

一方で、故障上がりの石川選手でも直ぐに勝てる現状は、日本の男子プロゴルフ界の危機的状況を如実に表しているように感じます。

もし石川選手がアメリカのトーナメントで戦っていたら、世界の4大メジャー大会に出場するのは難しいのが実情です。(今の状態でアメリカに行っても、恐らく通用しないと思います)

しかし、石川選手が日本のトーナメントに参戦し続ければ、容易に世界ランキングポイントを稼ぐことができて、世界の4大メジャー大会に出場するのは難しいことではありません。

このことは、他の日本人選手達にも言えることで、これでは敢えて「海外ツアーに行って頑張ろう」と思わないのが当然です。

そんな訳で、楽しさ以上に危機感を覚えた今年のフジサンケイクラシックでした。



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テーマ : ゴルフ
ジャンル : スポーツ

プロフィール

カリーノパパ

Author:カリーノパパ
●シェリー(シェルティー母):
 とっても優しい理想的な家庭犬
 アンジェの母親です

2016.4.18永眠、享年15歳11ヶ月

●アンジェ(シェルティー娘):
 ボール遊びと食事が大好きです
 我が家で生まれました

●カリーノ(ラフコリーの女の子):
 ショードッグ
  【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 FCIインター・チャンピョン 
 【主な賞歴】
 2009年アジアインターBOB
 2010年ジャパンインターBOB
 2010年近畿インターBOB
 2010年東北インターBOB 
 2010年ペディグリーアワード
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

2014.12.9永眠、享年8歳5ヶ月

●ミシェル(ラフコリーの男の子):
 陽気で優しく、人が大好きです
 ショードッグ
 【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 【主な賞歴】
 2011年神奈川インターWD
 2014年熱海愛犬クラブ展WD
 2014年山梨東ドッグコ展WD
 2015年沼津愛犬クラブ展WD
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

●カリーノパパ(人間):
 ミシェル達のお父さん
 本職は建築家(一級建築士)
 犬、スキー、ゴルフ、車、絵画が大好き
 1974年から大手建設会社の設計部にて勤務
 1986年に海外部門に異動し、14年間海外勤務
 内13年間をロンドンにて勤務
 2012年に大手建設会社を定年退職
 同年5月から河口湖でスローライフ開始

●訪問ありがとうございます。
4頭の犬と一緒に暮らしながら、日々感じたことを綴っています。
ミシェルとミシェルのお父さんであるカリーノパパが、記事やコメントを書いています。

●コメントは、ありがたく拝見し、返信させていただきます。

●リンクフリーです。貼ったり剥がしたり、ご自由にどうぞ。

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