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2019年全英女子オープン



上の女性は、今季の海外女子メジャー最終戦「全英AIG女子オープン」で、1977年「全米女子プロゴルフ選手権」を制した樋口久子さん以来となる、日本人42年ぶりの海外女子メジャー制覇を成し遂げた渋野日向子さんです。

今朝のテレビは、この話題で持ち切りでした



予選ラウンドや決勝ラウンドで、渋野選手が上位にいても、渋野選手を知らなかったミシェルのお父さんは、正直言って「この子、誰?どうせ勝てないでしょ」と思っていました。

ところが、優勝してしまったからビックリです

ミシェルのお父さんが、渋野選手のことを知らなかったのも無理はないかもしれません。

何しろ、去年にプロテストに合格して、今年が初参戦のシーズンというのですから。

しかし、デビューの年に、国内ツアーのメジャー大会である「ワールドレディス・サロンパス・カップ」に優勝し、計2勝しているというからビックリです

そんな成績が認められて、海外メジャー大会の「全英AIG女子オープン」にも出場できたのですね。



今年の「全英AIG女子オープン」の試合会場は、ウォバーン・ゴルフ・クラブでした。

ここは、ロンドンの中心部から北北西に50㎞程の所にあり、車だと高速道路の「M1」を利用すれば40分程で行くことができます。

お父さんも4回ほどプレイしたことがありますが、英国のゴルフ場としては新しい方で、林の中に「デューク」、「ダッチェス」、「マーケス(今回の使用コース)」と名付けられた3コースを有しています。

各ホールが木々でセパレートされており、日本的なゴルフ場と言えます。

男子の全英オープンは、日本には無い「リンクス」で常に開催されますが、今年の全英女子オープンは日本的なゴルフ場だったことも、渋野選手にとっては良かったのかもしれません。



今朝のテレビを見て、少し渋野選手のことを知り、ミシェルのお父さんは好感を抱きました。

試合中でも笑顔を絶やさない渋野選手は、英国でも「スマイル・シンデレラ」と人気を博したようです。

日本人選手は、勝負にこだわり過ぎるせいもあって、ミスショットをすると、ふてくされたような顔をする選手が多いように感じますが、韓国選手は、ミスショットをしても、笑っている選手が多いように感じます。

観客としては、やはり後者の方が好ましく感じることが多いので、笑顔を絶やさない渋野選手も、英国人に好かれたのだと思います。

殆ど笑顔を見せることはなく、実力はあっても人気がイマイチの松山選手とは、対照的な選手のように思えます。



優勝記者会見で、「コースで何を食べた?」と質問されると、渋野選手は「『タラタラしてんじゃねーよ』ってお菓子なんですけど、魚を固めたみたいな」と答えています

更に「18番のティに上がる前も観客とハイタッチ。18番のセカンドもキャディと笑顔で会話。普通は緊張するが」と問われると、渋野選手は「セカンド地点で何を考えていたかというのは、ここでシャンクしたらかっこ悪いなって(笑)」と考えていたと明かします

渋野選手は3姉妹の真ん中だそうですが、「姉妹は優しいですか?」と問われると、渋野選手は「姉はすごく優しいですけど、妹は頭が良いので、こんなのも知らないの?って思われちゃっていると思います」と答えています

「賞金で自分にご褒美を?」と問われると、渋野選手は「ちなみに賞金いくらなんですか(笑)」と尋ね、「すごく良いものを買える額です(7,200万円)」と教えてもらうと、渋野選手は「何買おうかな。死ぬまでのお菓子を買いたいです」と答えました

更に「日本のどんなお菓子が特に好き?」と問われると、渋野選手は「一つに絞るのは大変ですけど・・・ん・・・『よっちゃんイカ』(カットよっちゃん)。あれ?日本にしかないか。あ、昆布」と答えています

海外メジャー大会に優勝したというのに、大変珍しい優勝会見でした



渋野選手を見ていて感心したのは、緊張する試合中だというのに、ファンを大切にする点です。

コースを歩いている最中に、突然、観客の方に走り出し、コース脇に居た少年にサインしたボールをプレゼントしたのにはビックリしました

更に、ホールからホールへの移動中にも、突然立ち止まり、自分がはめていた手袋にサインし、子供にプレゼントしたのにも驚きました

微妙な感触を大切にするプロゴルファーは、手袋一つにしても変えることを躊躇うものですが、渋野選手は技術だけではなく、強い心も持っているのでしょうね。

笑顔を絶やさない渋野選手ですが、「流した涙は、数知れず」といいます。

そんな渋野選手を、ミシェルのお父さんは「これから、もっともっと活躍してもらいたい選手だな」と思いました。


参考情報:
1984年にもウォバーン・ゴルフ・クラブで「全英女子オープン」が開催され、岡本綾子選手が2位に11打差をつけて、ぶっちぎりの優勝を果たしました。
しかし、当時の「全英女子オープン」は海外メジャー大会に認定されておらず、認定されたのは2001年からでした。



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テーマ : ゴルフ
ジャンル : スポーツ

報じられない芸能史



これまで芸能界のことを記事にしたことは無かったように思いますが、連日、テレビで吉本興業のことが報じられていると、少しは気になってしまいます。

そこで、吉本興業と反社会的勢力の関係を調べてみた結果、テレビでは全く報じられない事実が判りました。

上の写真は、吉本興業の創立者である吉本せいさんです。

NHK朝の連続テレビ小説「わろてんか」の主人公のモデルになった人物なので、彼女の一生を御存知の方も多いと思います。

吉本興業の創成期には、やはり色々な苦労があったようです。

その一つが、東京から関西に進出してきた「松竹」との関係だったようです。

当初は、互いに良い関係を保っていたようですが、その後、吉本興業は松竹による芸人の引き抜きに困った時期があったようです。



上の人物は、日本最大の反社会的勢力である「山口組」の初代組長だった山口春吉です。

山口春吉は、明治40年頃、神戸の港に沖仲士(船の荷揚げ荷下ろしを行う労働者)としてやって来ました。

山口春吉は、持ち前の頑強な肉体と寡黙な人柄で人望を集め、数年後には沖仲士仲間を集めた労働者組織のリーダーとなりました。

これが、後の山口組へと発展していくことになります。

小泉元首相の実家は横須賀にあった「小泉組」ですが、それと同じような成り立ちのようです。

山口春吉は、日々過酷な労働を続ける労働者をねぎらう為、浪曲や漫才といった寄席を開くことを決め、それを吉本興業に依頼したといいます。



上の人物は、山口春吉の長男の山口登です。

大正14年に山口登が山口組の2代目組長を襲名すると、吉本興業と山口組の関係は更に密接になります。

港湾ビジネスを父親に任せた山口登は、「山口組興業部」を創設し、浪曲興行に本腰を入れました。

そして、興行主であった吉本興業から用心棒や地ならしを請け負います。

この頃に始まったラジオ放送の普及と共に、浪曲や漫才は全国的なブームとなり、両組織の全国進出の足場を作ったといいます。



東京進出を図る吉本興業は、当時浅草で人気のあった浪曲師の広沢虎造を「吉本専属にしたい」と山口登に相談しました。

そこで、山口登は広沢虎造のマネジメントを手がける浪花家金蔵と話をつけ、吉本興業の専属となることを取り決めました。

ところがその数年後、広沢虎造は、吉本興業に無断で下関の反社会的勢力であった「籠寅組(現在の合田一家)」が制作する映画に出演することを決めてしまいます。

これに激怒した吉本興業は、山口登に籠寅組との調停を依頼し、山口登は広沢虎造の映画出演を白紙に戻させることに成功します。

しかし、その後の話し合いの際、山口登は籠寅組に襲われて重傷を負い、その傷がもとで亡くなりました。



上の人物は、昭和21年に山口組3代目組長になった田岡一雄です。

実業家としての才覚があった田岡一雄は、山口春吉と山口登が培ってきた芸能界との関わりをより深くし、昭和33年に「神戸芸能社」を設立します。



そして、美空ひばり、鶴田浩二、高田浩吉、川田晴久、里見浩太朗、山城新伍、田端義夫、橋幸夫、村田英雄、三波春夫、フランク永井、マヒナスターズ、舟木一夫、坂本九といった昭和のスター達の興行権を一手に握る「芸能プロモーター」として影響力を発揮しました。

しかし、時代は興行からテレビの時代へと移行し、有名芸能人達のメインステージが舞台からテレビに変わります。

その結果、興行先でのチケットの分配や地ならし、用心棒といった仕事を請け負っていた反社会的勢力と吉本興業などの芸能事務所との関係は、徐々に薄れていきました。

とは言え、芸能事務所と反社会的勢力の関係には長い歴史があり、今でも何らかの繋がりがあるのかもしれません。

そして、このようなことを全く報じないテレビ会社も、どこかで反社会的勢力と何らかの繋がりがあるのかもしれません。



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テーマ : 芸能界のニュース
ジャンル : アイドル・芸能

2019年全英オープン・予選ラウンド



2019年全英オープンの予選ラウンドが終了しました。

現時点での1位は、8アンダーで、J.・B・ホームズとシェーン・ローリーの2人です。

シェーン・ローリーは、地元とも言えるアイルランド出身の選手ですが、北アイルランド出身のロリー・マキロイやグレーム・マクダウエルやダレン・クラークに比べると、注目度は低かった選手です。

今大会、最も注目度が高くて優勝候補だったマキロイ選手は、初日の8オーバーが響いて予選落ちしてしまいました。

2日目は彼本来の実力を発揮して6アンダーでしたが、惜しくも1打足りずに決勝ラウンドに進むことができませんでした。

同じく地元出身のクラーク選手は、シニアにもかかわらず17番ホールまでは予選突破可能なスコアでしたが、18番ホールでトリプルをたたいてしまい、マキロイ選手同様、惜しくも決勝ラウンドに進むことができませんでした。

他の有力選手では、ジェイソン・デイが2オーバー、タイガー・ウッズが6オーバーフィル・ミケルソンが8オーバーで、決勝ラウンドに進むことができませんでした。(1オーバーまでの選手が決勝ラウンド進出)

世界のゴルフ界を牽引してきた2大スターとも言えるタイガー・ウッズとフィル・ミケルソンですが、2人そろって出場したメジャー大会は過去82試合もあるそうです。

しかし、その中で2人がそろって予選落ちを喫したメジャー大会は、今回が初めてのことでした。

日本人選手は8名出場しましたが、決勝ラウンドに進めたのは、稲森選手と浅地選手の2名だけでした。(共に1オーバー、58位タイ)

最も期待された松山選手は、3オーバー・87位タイで、2打足りずに予選敗退となりました。(2年連続予選敗退)



日本やアメリカの試合会場と今回のロイヤル・ポートラッシュ・ゴルフ・クラブを比較すると、後者は、フェアウェイが狭い、コース全体がうねっている、ラフが凄く長い、バンカーが小さくて深い等の違いが目立ちます。



今回、予選敗退となった有力選手達も、ボールを深いラフに入れて苦労していました。

日本やアメリカの試合で、1つのホールでトリプル以上たたくことは殆どありませんが、今回は、普段はボギーの少ない松山選手でさえトリプルをたたいていましたし、マキロイ純樹でさえダブルスコア(パー4で8打)を出していました。

かって世界1位にランクされたこともあるデビット・デュバルですが、今回は、なんと1つのホールで14打という信じられないスコアを出してしまいました。

リンクス(英国にある海沿いのゴルフ場)では、1つのホールで大たたきして崩れてしまうことが珍しくなく、名手と言えども最後まで気が抜けません。



上の写真の最も手前のティーグラウンドは、英国では「チャンピョンティー」と呼ばれている場所です。

バックティーよりも後方にあり、そこからコースを見ると、レギュラーティーやバックティーから見える景色とは完全に違った景色が見えます。

そこから、狭くてうねったフェアウェイにボールを飛ばさなければならないのですから、世界のトッププロ達でさえ、相当のプレッシャーを感じるものと思います。

今回の予選ラウンドは、リンクスとしては天候が良く(雨も風も穏やか)、地面も乾いているように思います。

このような場合、ドライバーで打ったボールは凄く転がり、想定以上に飛んでバンカーやラフに入ることもあるので要注意です。



上の写真は、16番ホール(パー3)のグリーン脇です。

グリーン脇が崖やOBというホールもあるので、グリーンを外すとパーを取るのが大変そうです。

また、もし天候が荒れたら、世界のトッププロと言えども更に苦戦すると思います。

コースの直ぐ横が海ですから、一旦強い風が吹き出したら、使うクラブが5番手位違うこともある程です。

実際、今回の予選ラウンドでも、16番ホール(パー3)で金谷選手がドライバーを使っていました。(金谷選手は「パー3でドライバーを使ったのは、小学生以来」と語っています)

加えて、雨が降り出すと、一気に寒くなり、寒さに慣れていない英国以外の選手達は大変だと思います。

今回の予選ラウンドでも、寒さに弱そうな松山選手は長袖シャツの上に防寒用ウェアを着ていましたが、英国で本格的に寒くなると、夏でも冬用の防寒着が必要になることがあります。

よく「リンクスは、自然との闘い」と言われますが、ゴルフの技術以外に自然の厳しさにも打ち勝つことを要求されることを意味しています。


追記:

2019年全英オープンが終わり、通算15アンダー、2位と6打差で、アイルランドのシェーン・ローリーが優勝しました。

最終日は、リンクスらしい海からの強風が吹き、殆どの選手がスコアを崩す中、ローリー選手は1オーバー・72と踏み止まり、念願だったメジャー制覇を成し遂げました。

2位は、イングランドのトミー・フリートウッドでしたが、英国出身の選手が1位と2位を占めたのは、やはり自然を相手にしたリンクスの戦い方を知っていたからでしょうか。

一方、決勝進出を果たした日本の浅地選手と稲盛選手は、最終日、浅地選手が5オーバーの76で、稲盛選手が9オーバーの80と、共に大きくスコアを崩しました。

その結果、浅地選手が通算6オーバーの67位、稲森選手が通算9オーバーの72位(最下位)という成績でした。

試合を終えて、浅地選手は「疲れました」と語り、稲盛選手は「歯が立たなかったです」と語っています。

共に良い成績を残すことはできませんでしたが、大変良い経験をしたことは間違いありません。



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テーマ : ゴルフ
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2019年全英オープン



明日から、世界4大トーナメントの一つである全英オープンが始まります。

ミシェルのお父さんは、全英オープンは英国本土だけで開催されるものと思っていましたが、今年は北アイルランドの名門ゴルフ場「ロイヤル・ポートラッシュ・ゴルフ・クラブ」で開催されます。

初めての開催かと思いましたが、実際には1951年に開催されており、今回は68年ぶりの開催ということです。

ロイヤル・ポートラッシュ・ゴルフ・クラブは、北アイルランドの中心都市ベルファストから北へ150Km以上離れた場所にあり、英国でも一、二位を争う美しさのアントリム海岸沿いに西へ進むと、ロイヤル・ポートラッシュが見えてきます。

ポートラッシュは、北アイルランド北部の人気リゾート地でもあります。



ポートラッシュの近くには、中世の古城「ダンルース城」があります。

ダンルース城は、14世紀以前に建造され、元々は要塞として使われていました。

その為、外敵が侵入しにくい切り立った岩壁の上に建てられています。

海沿いの岩壁に建てられたダンルース城は、長年の波風によって風化が進んでおり、今では外壁や道のみが残っています。



ロイヤル・ポートラッシュ・ゴルフ・クラブには、「ダンルース・リンクス」と「バレー・リンクス」という2つの18ホールのコースがありますが、今回の全英オープンが開催されるのは「ダンルース・リンクス」です。

ロイヤル・ポートラッシュ・ゴルフ・クラブは、1888年に9ホールで開場し、翌1889年には18ホールに拡張されました。

1895年には、イングランド以外で初めて「ロイヤル」の称号を得たゴルフ場でもあり、開場後わずか7年で王室が品質を認めたということからも、その偉大さが判ります。



1929年には、偉大なゴルフ場設計家のハリー・コルトが、ダンルース・リンクスを設計しました。

ハリー・コルトは、ケンブリッジ大学ゴルフ部出身の弁護士でしたが、1901年に名門ゴルフ場「サニングデール・ゴルフ・クラブ」の支配人となったのをきっかけに数々のゴルフ場の設計を手がけ、「近代コース設計の父」と呼ばれるようになった人物です。

マスターズが開催される「オーガスタ・ナショナル・ゴルフ・クラブ」を設計したアリスター・マッケンジーとも一時組んでいましたが、クリスチャンで真面目なコルトと酒好きでだらしないマッケンジーとでは、パートナーとして上手くいかなかったようです。



ロイヤル・ポートラッシュ・ゴルフ・クラブは、ストレートなホールは少なく、アップダウンがあり、フェアウエイは狭く、グリーンもアンジュレーションが複雑です。

加えて、海風が吹き出したら難度が一気に高くなり、これぞリンクスといった感じのゴルフ場です。

自然の大地が風に鍛えられ、必要最少限の人間の手を加えたコースは、「北アイルランド北部の宝石」の名に相応しいゴルフ場でもあります。



北アイルランドは人口180万人の小国ですが、これまでにフレッド・デイリー、ダレン・クラーク、ロリー・マキロイと3人の「チャンピオン・ゴルファー・オブ・ザ・イヤー」を生み出しています。

更に、世界4大トーナメント覇者でいえば、2010年の全米オープン優勝者であるグレーム・マクダウェルも輩出しています。

これだけでも、北アイルランドが、世界のゴルフ界にとって欠くべからざる国であることが解ります。

中でもマキロイは、今年30歳になったばかりですが、既に2011年全米オープン優勝、2012年&2014年全米プロゴルフ選手権優勝、2014年全英オープン優勝、2015年マスターズ4位と、信じられないような優秀な成績を刻んでいます。

今年の全英オープンには、松山選手、今平選手、堀川選手、池田選手、稲森選手、藤本選手、浅地選手、金谷選手(アマ)と、8名の日本人が出場しますが、果たして何名が予選を突破することができるでしょうか。



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テーマ : ゴルフ
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日本一の高校球児



今、夏の甲子園大会目指して高校球児が一生懸命プレイしています。

そこには、色々なドラマがあるものと思います。

名古屋大谷高校の3年生の津森慶二君も、その一人です。

7月9日、愛知大会2回戦、対国府高校戦の3点を追う8回表、津森慶二君が代打に送られました。

津森君は「打って流れをつくる」という思いを胸に込め、右打席に立ちました。

2ストライクを取られた後、津森君は高目のボールに手を出してしまい、三振に倒れました。

この瞬間、津森君の高校での野球が終わりを迎えました。

津森君は、試合後、悔しさをにじませながら「苦しいことや、できないことも結構あったけど、楽しかったことの方が多かった。野球という存在があって良かった」と語りました。

そんな津森君を見守りながら、お母さんは「同じような病気に苦しむ人達に、勇気を与えられたとしたら、こんなに嬉しいことはありません」というような趣旨の話をされました。

実は、津森君は脳梗塞の後遺症で、今も右半身に麻痺が残っているのです。

津森君は、小学4年生の時、地域の硬式野球チームでの練習中に不整脈で倒れました。

その後、体内にペースメーカーを入れて練習をしていましたが、小学5年生の春休みに脳梗塞を発症してしまいました。

その影響で、立つことも、指を動かすこともできなくなってしまいました。

その当時の気持ちを書いた作文が、「第36回全国中学生人権作文コンテスト愛知県大会中日新聞社賞」を受賞しました。

作文の題名は、「中身が大事」。

その内容は(抜粋)・・・

僕は、小学校6年生の初めに脳梗塞になり、そのため右半身不随と言語障害を伴った。

それまでは、右手も右足も自分の思い通りに動かすことができ、普通の人が感じる感覚で、何不自由ない生活を送っていた。

しかし、突然の脳梗塞の後遺症からは、右手を動かすことも、右足を動かすことも、言葉を失ってしゃべることもできなくなった。

普通のことがうらやましく、右手を動かせる、右足を動かせる、普通に歩ける、言葉が話せる人すべて、赤ちゃんでさえうらやましく思えた。

(中略)

・・・僕もベットの上でよく泣いていた。

でも、泣いていても先に進めない。

目覚めたら普通に戻っていたら・・・、夢だったら・・・といつも思っていたが、動かすことが出来ないのが現実・・・。

今できるリハビリを、つらいけど、苦しいけど、少しずつやって元の姿に戻るんだ!って気持ちに切り替えた。


「絶対元に戻ってやる」。

津森君は、入院生活中、必死でリハビリに取り組みました。

週末には、一時退院して、所属していたチームの練習を見学しました。

津森君は「僕みたいな体でも、居てもいいのかな?」と不安でしたが、チームメートはグラウンドで笑顔で迎えてくれました。

復帰した時は、100メートル走るだけで苦しく、右手でボールを前に投げることもできませんでした。

それでも、父親とボールを投げる練習を続けました。

津森君は「できないという言葉は嫌い。できる、できると思ってやってきた」と語ります。

中学生になると、少し前に投げられるようになりました。

高校では、仲間とほぼ同じ練習をこなしてきましたが、ずっとベンチに入れずにいました。

選手は46人。

津森君は、最後の夏にベンチ入りをめざし、打撃を磨くことにしました。

守備で捕球をしたり、走ったりするのは、人より難しいと思ったからです。

中学の時は軽いバットしか振れなかった津森君でしたが、少しずつ重くし、冬場に打撃練習と左腕の筋トレに励みました。

そんな津森君を見ている竹内湖舶主将やチームメートは、「人一倍バットを振っている。自分達も負けられないなと思う」と語っています。

努力が実り、津森君は、5月の練習試合で打撃で活躍しました。

「ここ一本という場面で試合に出すのは彼」と中原家康監督に認められ、津森君は初めて背番号(20)をもらうことができたのです。

高校野球に素晴らしい選手は大勢いますが、津森君のような選手こそ高校野球の「鏡」のように思えます。



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テーマ : 高校野球
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ハクソー・リッジ



昨日、以前から気になっていた映画をテレビで観ることができました。

映画の題名は、「ハクソー・リッジ」です。

第二次世界大戦中、「硫黄島の戦い」と並んで最激戦地と言われた「沖縄の戦い」を元に描かれた映画です。

沖縄の戦いは、第二次世界大戦末期の1945年、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍とイギリス軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いです。

連合国軍の目的は、日本本土攻略の為のマリアナの基地と共同体制をとれる対日本本土爆撃の為の航空基地確保と、日本本土進攻の補給基地の確保でした。

日本軍の目的は、特別攻撃隊を主力とする航空攻撃によって連合国軍に大打撃を与え、有利な条件で講和を結ぼうという「一撃講和」を大本営が目指していたのに対し、現地の第32軍司令部は本土決戦に向けた時間稼ぎの「捨石作戦」を意図するという不統一な状況だったといいます。

第32軍は、連合国軍を内陸部に誘い込んでの持久戦を基本方針として戦い、特に首里(現在の那覇市の一部)北方で激戦となりました。

1945年5月末に第32軍の首里司令部は陥落し、6月23日には牛島司令官らが自決しましたが、その後も掃討戦は続き、連合国軍は7月2日に沖縄戦終了を宣言しました。

沖縄での両軍及び民間人を合わせた戦没者は20万人と言われ、その内訳は、日本軍側の死者・行方不明者は188,136人で、アメリカ軍側の死者・行方不明者は20,195人だったといいます。



上の写真が、映画「ハクソー・リッジ」の戦場となった場所です。

地形が変わるほどの激しい艦砲射撃が行われたことや、月日の経過もあって、当時の「ハクソー・リッジ」の面影は残っていません。

「ハクソー・リッジ」とは、浦添城址の南東にある「前田高地」と呼ばれた日本軍陣地で、北側が高さ150mの急峻な崖地となっており、日米両軍の激戦地となったことから、米国軍がこの崖を「ハクソー・リッジ(のこぎり崖))と呼びました。



映画の主人公のデズモンド・ドスは、ヴァージニア州の豊かな緑に囲まれた町で生まれ育ち、セブンスデー・アドベンチスト教会の敬虔な信徒でした。

しかし、家族に問題を抱えていました。

父親のトムは、兵士として戦った第一次世界大戦で心に傷を負い、酒におぼれ、家庭内暴力が絶えない日々を送っていたのです。

ある日、父親が母親に暴力を振るい、銃を手にした時、デズモントは銃を取り上げ、その銃を父親に向けます。

実際には発砲しないのですが、後に、デズモントは「心の中で撃った」と告白します。

その日以来、デズモントは「二度と銃は手にしない」と誓います。

そんなデズモントは、第二次世界大戦が日に日に激化し頃、「衛生兵であれば、自分も国に尽くすことができる」と陸軍に志願します。

しかし、訓練初日から、デズモンドの「人を殺さない」という主張が部隊を揺るがします。

軍隊において銃の訓練は必須ですが、デズモンドは頑として銃を手にすることを拒んだのです。



軍服や軍務には何の問題もなく、「人を殺せないだけです」と主張するデズモンドに対し、上官であるグローヴァー大尉は「戦争は人を殺すことだ」と呆れ、「命令に従えないのなら、除隊しろ」と宣告します。

しかし、出征前に予定されていたドロシーとの結婚式の日、デズモンドは、中隊長から「ライフルの訓練を終えないと休暇は許可できない」と言われ、命令拒否として軍法会議にかけられることになります。

面会に訪れたドロシーに「銃に触れないのは、プライドが邪魔しているからなの?」と問われますが、デズモンドは「信念を曲げたら、君が好きになってくれたデズモントではなくなる」と答えます。

それを聞いて、デズモンドの深い想いに心を打たれたドロシーは、「決して変わらないで。何があろうと、私だけは、あなたを愛し続けます」と励まします。

軍法会議では、「戦争では人を殺すが、僕は助けたい」と堂々と主張するデズモンドでした。

軍法会議で有罪になる可能性が極めて高いデズモントでしたが、息子の窮地を救うべく、父親のトムが元上官だった准将に会って書いてもらった「良心的兵役拒否は憲法で認められており、デズモンドが信教上の理由から武器に触らないことには何の問題もない」という手紙を裁判長に手渡し、その結果、デズモンドの主張は認められ、武器を持たずに戦場に行くことが認められます。



1945年5月、グローヴァー大尉に率いられ、デズモンドは「ハクソー・リッジ」に到着します。

そこは、先発部隊が6回登って6回撃退された末、壊滅した激戦地でした。

150mの絶壁を登ると、そこには百戦錬磨の軍曹さえ見たことのない死の世界が広がっていました。

前進した瞬間、四方八方から日本軍の攻撃に遭い、兵士達は次々と倒れていきます。

そんな中、デズモントは、他の衛生兵なら見捨てるほどの重傷の兵士達の元へ駆け寄り、「俺が家に帰してやる」と声をかけ、応急処置を施し、肩に担いで降り注ぐ銃弾の中を走り抜けます。

ひるむことなく何度でも、戦場に散らばった命を拾い続けるデズモンドに、いつしか感嘆の目を向け始める上官と兵士達。



デズモントは、たった1人で75人もの命を救ったといいます。

しかも、重傷を負って倒れている日本軍の兵士に手当てを施したことさえあるといいます。

終戦後、デズモントには、「良心的兵役拒否者」としては、アメリカ史上初めての名誉勲章が授与されました。

ミシェルのお父さんは、若い人達を戦場に送り込み、自分自身は最も安全な場所で好き勝手なことを言っているブッシュ元大統領やトランプ大統領は大嫌いですが、アメリカにもデズモントのような人が居たことを知り、救われたような気持になりました。



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テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

ラヒンチ・ゴルフ・クラブ



上の写真は、アイルランドが世界に誇る名門ゴルコースの「ラヒンチ・ゴルフ・クラブ」です。

ミシェルのお父さんは、ロンドンのバッキンガム宮殿近くで、新しい日本大使館を建設していた頃に、工事関係者とアイルランドにゴルフツアーに行き、ラヒンチ・ゴルフ・クラブでもプレイしました。

アイルランドの南西部には、バリーバニオン・オールドリンクス、カシェン、トラリー、ウォータービル、ラヒンチ、ドゥーンベッグ、オールドヘッド等の名門ゴルフ場があり、世界中のゴルファー達の憧れの場所です。

ラヒンチ・ゴルフ・クラブは、「アイルランドのセント・アンドリュース」とも称されています。

世界で「ラヒンチは、いいよね」と言うゴルファーに出会うと、「本物を知っているな」と尊敬の度合いが上がるとも言われています。

2017年に世界35位にランクされるほど評価が高いラヒンチは、1892年の創立です。

アレキサンダー・ショウとリチャード・プラマーが、リスカナーロードと呼ばれる道路の両側に9ホールを造ったことが始まりです。

その後、トム・モリス・シニア、アリスター・マッケンジー、マーティン・ホーツリーの3人が改修に関わっています。

アリスター・マッケンジーは、後にアメリカへ渡り、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ、サイプレス・ポイント・クラブ、ロイヤル・メルボルン・ゴルフクラブなど数々の名作ゴルフ場を造り上げています。

このラヒンチ・ゴルフ・クラブで、現在、アイリッシュ・オープンが開催されています。

日本からは、川村選手、谷原選手、宮里選手が出場していますが、1日目を終えて、川村選手が54位タイ、谷原選手が132位タイ、宮里選手が147位タイといった成績です。

日本の強豪選手の技術をもってしても、大変難しいラヒンチです。

特にリンクス(イギリスにある海沿いのゴルフ場)は、風雨が強くなると、何倍も難しくなります。



上の写真は、オールドコースの4番ホール(パー5、475ヤード)です。

距離は長くありませんが、フェアウェイは狭く、ラフは長い、難しいホールです。

アメリカのゴルフマガジン誌で、2000年度の世界ベスト500ホールに選ばれました。



上の写真は、オールドコースの5番ホール(パー3、154ヤード)のグリーンです。

グリーンが小山に囲まれており、ティーグラウンドからは、グリーンもピンの位置も見えない完全ブラインドの名物ホールです。

ミシェルのお父さんがプレイしたのは30年も前ですが、このホールの景色は、いまだに覚えています。



上の写真は、オールドコースの7番ホール(パー4、436ヤード)のティーグラウンドからの景色です。

左に海が広がるやや左ドッグレッグのホールです。

ティショットは打ち上げで、セカンドは緩やかな打ち下ろしになり、傾斜が強い砲台グリーンに打っていきます。



上の写真は、オールドコースの11番ホール(パー3、170ヤード)のグリーンです。

グリーンの奥には海が広がり、緩やかな打ち上げホールです。

傾斜が強い2段グリーンで、3パットや4パットも珍しくありません。



上の写真は、オールドコースの16番ホール(パー3、195ヤード)のティーグラウンドからの景色です。

打ち下ろしで、4つのバンカーとヒース(地面に這うように生えている植物で、ボールが入ると打つのが困難)でグリーンが囲まれています。

グリーンもうねりが強く、ボールが乗っても安心はできません。


追記:
2日目を終えて、川村選手は3アンダー・31位タイと健闘していますが、谷原選手は5オーバー・125位タイ、宮里選手は12オーバー・154位タイで予選落ちとなりました。(トップは、9アンダーのザンダー・ロンバード選手)



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真の新聞記者とは



平日の午前と午後に開かれる、菅官房長官の定例記者会見。

2年前の6月から、この会見場で異彩を放ち続ける女性がいます。

東京新聞社会部の望月衣塑子記者。

はきはきとした声で菅氏に質問をぶつける姿はテレビでも報じられていますが、一方で、菅氏から「あなたに答える必要はない」と突っぱねられたり、質問の途中で官邸報道室長から「簡潔に」などと何度も「妨害行為」を受けたりと、官邸側との軋轢も度々注目を集めてきました。



そんな望月記者の著書「新聞記者」を原案とする衝撃的な映画が、6月28日から全国公開されました。

望月さんは「題材がモリカケや伊藤詩織さんの話で、しかも安倍政権も継続中なので、映画化は正直無理だろうと思っていました。無事に完成し、公開までこぎ着けられたことがまず凄いです。実際に作品を見て、よくぞここまで、真正面から政治や社会の問題に切り込むような映画ができたなあと驚きました。強烈な問題意識を持つ河村光庸さん(原案/企画・製作/エグゼクティヴ・プロデューサー)だからこそやり遂げられたのかなと思います」と語っておられます。

そして、河村光庸さんは「第二次安倍政権の発足以降、下がり続ける『世界の報道の自由度ランキング』で、日本は2016年と2017年に連続67位と、ついにG7国の中で最下位となりました。この数年で起きている民主主義を踏みにじるような官邸の横暴、忖度に走る官僚達、それを平然と見過ごす一部を除くテレビの報道メディア。最後の砦である新聞メディアでさえ、現政権の分断政策が功を奏し、『権力の監視役』たる役目が薄まってきているという驚くべき異常事態が起きているのです。官邸に不都合な質問を発し続ける東京新聞の望月衣塑子さんの著書『新聞記者』が、私に映画の着想を与えてくれました」と語っておられます。



映画のストーリーは、東都新聞という新聞社に、ある大学新設計画に関する極秘文書がFAXで送られてくることから始まります。

取材に動くのは、日本人の父親と韓国人の母を持ち、アメリカで育った女性記者・吉岡エリカ(韓国若手女優のシム・ウンギョン)。

そうした最中、政権に絡んだきな臭い問題が立て続けに起こるのですが、その裏側で動いているのが内閣情報調査室(通称:内調)です。

内調に出向している若き官僚・杉原拓海(松坂桃李)は、上司に言われるまま粛々と任務をこなしていました。

政権を守る為の情報操作、政権に楯突く者達を陥れる為のマスコミ工作・・・。

直属の上司である多田内閣参事官(田中哲司)は、杉原に「国の為、国民の為」だと言いますが、そんな中、杉原の敬愛する元上司である神崎が、ビルから飛び降りて自殺してしまいます。

それをきっかけに、杉原も、吉岡が追う大学新設計画に関する国家ぐるみの計画を知ることになります。

そして、衝撃的なラストシーンまで、息をつかせない重厚な政治サスペンスが繰り広げられます。



映画と実際の事件とは微妙に違えて描かれているものの、この映画の内容は、実際に起こった森友公文書改ざん問題での近畿財務局職員の自殺や、加計学園問題に絡んだ前川喜平・元文科省事務次官に仕掛けられた官邸による謀略、伊藤詩織さんによる安倍首相べったりの山口敬之・元TBS政治部記者への告訴などが下敷きになっています。

望月さんは、菅官房長官の定例記者会見における他社の記者達の様子について「みんな『殿(菅)』がそう言っているから仕方ないという空気です」と語っておられます。

そして、元朝日新聞政治部記者であった南彰さんは「あそこには、相互監視と同調圧力があるんです。菅さんに対して敵対的な発言があると、わざわざご注進する記者もいる。だから、あの場で望月さんを助けようものなら、『あれ、どうしたの』となりかねない。以前は、そこまで酷くなかった。あんな会見をやっているのは、菅さんだけです。この5、6年でガラッと変わりました」と語っておられます。

更に、元文科省事務次官の前川喜平さんは「第二次安倍政権は、今までの保守政権とだいぶ違う。官邸と官僚の関係もガラッと変わっちゃった。皆が官邸の方だけ向いて仕事をするようになった。現政権は、本当に極めて特異な政権だと思う」と語っておられます。



この映画の中でも描かれていますが、最も衝撃的なのが、官邸と一体化した「内閣情報調査室」の暗躍ぶりです。

「こんなことまでやっているのか」と驚愕させられる謀略の数々に、「映画だから」と思う人もいるかもしれませんが、映画が描いている内調の謀略は、現実にやっていることが殆どだといいます。

例えば、映画では、伊藤詩織さん事件をモデルにしたと思われる事件をめぐり、内調の杉原が上司に命じられるままチャート図を作って週刊誌に横流しするシーンが出てきますが、現実でも同じことが起きていたのです。

元文科省事務次官の前川さんの「出会い系バー通い」の情報は、元は公安出身の杉田和博官房副長官や内調が調査して掴んだものだったといいます。

それを利用して、加計学園問題の「総理のご意向」に関する前川さんの告発の動きを封じ込める為、御用新聞社の読売新聞にリークしたと言われています。

内調と官邸による情報操作やマスコミ工作は、映画で描かれているもの以外にも多々あるといいます。

例えば、2014年、小渕優子経産相や松島みどり法相など、当時の安倍政権閣僚に次々と政治資金問題が噴出した直後、民主党の枝野幸男幹事長、福山哲郎政調会長、大畠章宏前幹事長、近藤洋介衆院議員、更には維新の党の江田憲司共同代表など、野党幹部の政治資金収支報告書記載漏れが次々と発覚し、御用新聞社の読売新聞や産経新聞で大きく報道されました。

この時期、内調が全国の警察組織を動かし、野党議員の金の問題を一斉に調査し、官邸に報告をあげていたことが判っています。

また2015年、沖縄の米軍基地問題で安倍官邸に抵抗していた翁長雄志沖縄県知事をめぐり、御用メディアによる「娘が中国に留学している」「人民解放軍の工作機関が沖縄入りして翁長と会った」といったデマに満ちたバッシング報道が巻き起こりましたが、これも官邸が内調に命じてスキャンダル探しを行い、流したものと言われているそうです。

更に2017年には、韓国・釜山の総領事だった森本康敬氏が電撃更迭されましたが、これは森本氏がプライベートの席で慰安婦像をめぐる安倍政権の対応に不満を述べたことを内調がキャッチし、官邸に報告した結果だったと言われています。



安倍官邸と内調との蜜月ぶりは、上の「安倍首相の面会トップ10」を見ても明らかです。

大臣クラスを抑えて、内調トップの北村滋・内閣情報官がダントツでトップです。

この北村氏は、開成中学、開成高校、東大法学部、警察庁とエリート街道を歩んできた人物で、安倍首相の秘書官も経験しています。

日本版CIAと言われる内調ですが、面会トップ10の3位にも国家安全保障局長がランクされています。

この国家安全保障局は、アメリカ国防省の諜報機関であるアメリカ国家安全保障局(NSA)がモデルと言われています。

CIAがスパイを使って情報収集・操作を行うのに対して、NSAは電子機器を使って情報収集・操作を行うと言われています。

こんな犯罪集団まがいの組織にも対抗しながら、尚、真実を追求している「真の新聞記者」に、心よりエールを送りたいと思います。



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ロンドン、人生はじめます



先日、レンタルDVDで「ロンドン、人生はじめます(原題:Hampstead)」という映画を観て、爽やかな気持ちになりました

2017年封切のイギリスの映画で、ロンドンのハムステッド(Hampstead)で起きた実話を基に製作されたロマンチック・コメディです。

主演は、映画「アニー・ホール」でアカデミー賞主演女優賞を受賞したダイアン・キートンとイギリス映画界が世界に誇る実力派俳優のブレンダン・グリーソン(ハリーポッターなどにも出演)です。

ミシェルのお父さんは、普段はアクションものの映画を好むのですが、この時は「Hampstead」という文字に懐かしさと興味を感じ、この映画のDVDを借りることにしました



上の写真が、ロンドンの北側にあるハムステッド(Hampstead)です。

ハムステッドはロンドンの高級住宅地で、昔から小説家や詩人や俳優さん達が多数住んでいました。

お洒落なお店も多く、ここで映画「007」のボンド役をしていたピアース・ブロスナン夫妻を見かけたこともあります

ミシェルのお父さんは、ロンドン勤務当時、ハムステッドと隣駅のゴールダーズ・グリーンの中間に住んでいました。

Aお姉さんとYお姉さんの通った学校がハムステッドにあったこともあって、毎日のように来ていました。



ハムステッドの隣には、ハムステッド・ヒースという広大な緑地(国立公園)があります。

広さは、日比谷公園の20倍もあります

自然のまま保存されており、キツネやタヌキやハリネズミやリスなどが生息しています。



上の白い建物は「ケンウッド・ハウス」と呼ばれ、17世紀に建てられた貴族の館で、現在は、フェルメールの「ギターを弾く女」やレンブラントの晩年の「自画像」などが展示されている美術館として公開されています。

ケンウッド・ハウスはハムステッド・ヒース北側にあり、この前の緑地で、毎夏、野外コンサートが開催されています。



ハムステッド・ヒースの周辺(ハムステッドから隣のハイゲートにかけて)には、上の写真のような高級住宅が建ち並んでいます。

ハムステッド寄りには高級フラット(日本のマンションに相当)もあり、映画の主人公の女性エミリーも住人の一人でした。



ハムステッドの高級フラットで暮らすアメリカ人の未亡人エミリー(ダイアン・キートン)は、悠々自適の一人暮らしとはいかず、夫亡きあと発覚した浮気や借金のこと、減っていく貯金のこと、老朽化したフラットの修繕費用のこと、上辺ばかりの近所づきあいなど、お金や生活の様々な問題に直面していました。



ある日、エミリーが屋根裏部屋の窓から双眼鏡でハムステッド・ヒースを眺めた時、偶然にも、髭もじゃの男が暴漢に襲われるのを目撃してしまいます。

翌日、ハムステッド・ヒースの森の中を訪れたエミリーは、手作りの粗末な小屋で17年間暮らしているというドナルド(ブレンダン・グリーソン)と出会います。

ハムステッド・ヒースの一角をホームレスとして不法占拠していたドナルドは、ここに高級フラットを新築しようとする不動産会社の標的となり、立ち退きを迫られたり、嫌がらせに遭っていたのです。

そんな事情もあって、他人を警戒し拒絶するドナルドに、エミリーも最初は拒絶感を抱きます。

しかし、小屋の外でのディナー、気ままな読書、森でのピクニック、池での魚釣り・・・と、余計な物を持たずに手作りの暮らしで満足しているドナルドの温かい人柄に触れ、エミリーは次第に惹かれていきます。



上の写真の男性が、ドナルドのモデルとなったホームレスのハリー・ハローズです。

ハリー・ローズは、1936年生まれのアイルランド人で、1950年代にロンドンにやって来ました

最初はハイゲートにある公営住宅に住んでいたのですが、1987年にそこを追い出され、ハムステッド・ヒースにある老人ホーム跡地に掘っ立て小屋を作り、暮らすようになりました。

近くに住むのは、シンガーソングライターのジョージ・マイケルやブルネイ国王といった超有名人です。

ハリーは、こういった御近所の人達から雑用を請け負っていたのです。

ところが2005年3月、長年暮らしていた場所を突然追い出されそうになったハリーは、弁護士に相談し、裁判で争うことになりました。

ハリーが他の誰からも土地の所有権を主張されることなく20年以上暮らしてきたことが証明され、裁判所は彼が住んでいる場所の土地(約800㎡)の所有権を認め、ハリーの勝訴となりました。

突然、ホームレスから資産家(時価200万ポンド、当時で約4億8000万円)となったハリーでしたが、インタビューに答えて「この土地の金額なんて、どうでもいいんです。私は自分の住む所が必要だっただけなんです」と語り、その言葉通り、それまで通りのつましい暮らしを変えず、2016年に88歳で亡くなりました。



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テーマ : イギリス
ジャンル : 海外情報

令和の大誤審



ミシェルのお父さんは、子供の頃、初代若乃花の大ファンでした。

英国勤務当時の家族旅行で、カナダのバンクーバーにある寿司屋さんに立寄った際、若乃花親方と奥様がおられ、少しお話ができて大変嬉しかったのを今でも覚えています。

今は山梨県人になったこともあって、山梨県出身の竜電を十両当時から応援しています。

毎日、お母さんと、竜電が勝つと喜び、竜電が負けるとガッカリしています

また、ジョージア出身の栃ノ心も応援しています。

言葉も文化も全く異なる日本に来て、一生懸命に相撲に取り組んでいる彼を応援したいという気持ちからです。

その栃ノ心の朝乃山との一昨日の取り組みで、大変不可解な出来事が起きました。



朝乃山に土俵際まで追い込まれた栃ノ心は、土俵際で回り込みながら、すくい投げから朝乃山を土俵に突き落としました。

軍配は栃ノ心に上がり、これで10勝目となって大関返り咲きと思われた瞬間、物言いがつきました。

5人の審判員が土俵に上がり、不思議なことに、6分間も喧々諤々やっています。

その間、テレビではリプレイ画面が繰り返し映され、栃ノ心の足が土俵に残っていることを示しています。

5人の審判の内、栃ノ心の足を間近で見ることができたのは1人だけなので、6分間も喧々諤々する話ではないと思うのです。

今は「ビデオ判定」ができるようになっているのですから、5人の審判がビデオで確認して判定を下すだけだと思うのです。

万一、ビデオでも判定が難しい場合は、その旨を観客に説明すべきだと思うのですが、結局は物言いをつけた審判の言い分に従い、確証の無いまま「行司差し違いで朝乃山の勝ち」にしてしまいました

そして、取組後、日本相撲協会には抗議の電話が殺到し、「電話が鳴りやまない」と職員は大変だったようです。



相撲の勝敗とは、「1.土俵内において,足の裏以外の体の一部が早く砂についた者を負けとする。2.土俵外の砂に体の一部でも早くついた者を負けとする。」の2つしかなく、とても単純明快です。

今回の勝敗では、栃ノ心の右かかとが土俵外の土についたか否かが問題になりました。

しかし、上の写真を見ても、下の写真を見ても、栃ノ心の右かかとが土俵外の土についていなかったことは明白です。

大相撲では、勝敗の決定後に抗議することは許されないそうですが、なんとも納得がいかない判定だったように思います。

勝ちから、一転して負けにされた栃ノ心は悔しくて涙を流しましたが、「行司差し違い」にされた行司さんも悔しかったと思います。

大相撲の行司の中で一番位の高い立行司の腰には、本物の日本刀(短刀)が差してあります。

その理由は、采配のミスをしたら腹を切るだけの覚悟を意味しています。

勝負の勝敗を決める行司さんは、命をかけて土俵に上がっているのです。



昨日は、朝乃山が大関の豪栄道に勝ち、栃ノ心が横綱の鶴竜に勝った為、千秋楽を待たずに西前頭8枚目の朝乃山の優勝が決まりました。

しかし、インタビューされている朝乃山には、笑顔も嬉し涙もありませんでした。

朝乃山は「昨日(の一番が)納得いっていないんで・・・分かんないです」と、今朝もモヤモヤしたものが残っていると明かしました。

救いは栃ノ心の一言だったといいます。

NHKのインタビュールームを出る時、栃ノ心から「おめでとう」と言われ、朝乃山は「嬉しかった。僕は『すいません』と謝りました。一生残るんじゃないですか」と語っています。

栃ノ心との勝敗についても、取組編成についても、朝乃山には全く責任の無いことですが、今場所の取組編成に疑問を呈する人は多いようです。

優勝した朝乃山は、終盤戦に出場していた役力士7人の内、優勝決定までに対戦したのは豪栄道と栃ノ心だけでした。

58年前、のちに横綱になる佐田の山が西前頭13枚目の時、12勝3敗で優勝した当時は、下位力士が勝ち込んでも上位と当てる取組編成をせず、役力士との対戦は千秋楽の小結富士錦だけでした。

その後、星勘定だけで幕内優勝を決めていいのかとの議論があり、本来は上位と対戦しない番付の力士でも、勝ち込めば上位と当てるようになりました。

ところが今場所は、朝乃山が8日目を終えて1敗で鶴竜と栃ノ心と並んでいたにもかかわらず、11日目は西前頭13枚目の佐田の海を当て、12日目にようやく西前頭3枚目で優勝経験者の玉鷲と当て、役力士は13日目の栃ノ心戦が初めてという状況でした。

しかも、朝乃山を上位に当てるのが遅れた為に、大関同士の取組まで消えてしまう有様です

「今場所は、安倍首相の発案でトランプ大統領が国技館に来るので、その対応で取組編成どころではなかったのでは」とも思えてしまいます



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テーマ : 大相撲
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プロフィール

カリーノパパ

Author:カリーノパパ
●シェリー(シェルティー母):
 とっても優しい理想的な家庭犬
 アンジェの母親です

2016.4.18永眠、享年15歳11ヶ月

●アンジェ(シェルティー娘):
 ボール遊びと食事が大好きです
 我が家で生まれました

2018.5.5永眠、享年14歳10ヶ月

●カリーノ(ラフコリーの女の子):
 ショードッグ
  【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 FCIインター・チャンピョン 
 【主な賞歴】
 2009年アジアインターBOB
 2010年ジャパンインターBOB
 2010年近畿インターBOB
 2010年東北インターBOB 
 2010年ペディグリーアワード
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

2014.12.9永眠、享年8歳5ヶ月

●ミシェル(ラフコリーの男の子):
 陽気で優しく、人が大好きです
 ショードッグ
 【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 【主な賞歴】
 2011年神奈川インターWD
 2014年熱海愛犬クラブ展WD
 2014年山梨東ドッグコ展WD
 2015年沼津愛犬クラブ展WD
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

●カリーノパパ(人間):
 ミシェル達のお父さん
 本職は建築家(一級建築士)
 犬、スキー、ゴルフ、車、絵画が大好き
 1974年から大手建設会社の設計部にて勤務
 1986年に海外部門に異動し、14年間海外勤務
 内13年間をロンドンにて勤務
 2012年に大手建設会社を定年退職
 同年5月から河口湖でスローライフ開始

●訪問ありがとうございます。
4頭の犬と一緒に暮らしながら、日々感じたことを綴っています。
ミシェルとミシェルのお父さんであるカリーノパパが、記事やコメントを書いています。

●コメントは、ありがたく拝見し、返信させていただきます。

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