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ロンドン、人生はじめます



先日、レンタルDVDで「ロンドン、人生はじめます(原題:Hampstead)」という映画を観て、爽やかな気持ちになりました

2017年封切のイギリスの映画で、ロンドンのハムステッド(Hampstead)で起きた実話を基に製作されたロマンチック・コメディです。

主演は、映画「アニー・ホール」でアカデミー賞主演女優賞を受賞したダイアン・キートンとイギリス映画界が世界に誇る実力派俳優のブレンダン・グリーソン(ハリーポッターなどにも出演)です。

ミシェルのお父さんは、普段はアクションものの映画を好むのですが、この時は「Hampstead」という文字に懐かしさと興味を感じ、この映画のDVDを借りることにしました



上の写真が、ロンドンの北側にあるハムステッド(Hampstead)です。

ハムステッドはロンドンの高級住宅地で、昔から小説家や詩人や俳優さん達が多数住んでいました。

お洒落なお店も多く、ここで映画「007」のボンド役をしていたピアース・ブロスナン夫妻を見かけたこともあります

ミシェルのお父さんは、ロンドン勤務当時、ハムステッドと隣駅のゴールダーズ・グリーンの中間に住んでいました。

Aお姉さんとYお姉さんの通った学校がハムステッドにあったこともあって、毎日のように来ていました。



ハムステッドの隣には、ハムステッド・ヒースという広大な緑地(国立公園)があります。

広さは、日比谷公園の20倍もあります

自然のまま保存されており、キツネやタヌキやハリネズミやリスなどが生息しています。



上の白い建物は「ケンウッド・ハウス」と呼ばれ、17世紀に建てられた貴族の館で、現在は、フェルメールの「ギターを弾く女」やレンブラントの晩年の「自画像」などが展示されている美術館として公開されています。

ケンウッド・ハウスはハムステッド・ヒース北側にあり、この前の緑地で、毎夏、野外コンサートが開催されています。



ハムステッド・ヒースの周辺(ハムステッドから隣のハイゲートにかけて)には、上の写真のような高級住宅が建ち並んでいます。

ハムステッド寄りには高級フラット(日本のマンションに相当)もあり、映画の主人公の女性エミリーも住人の一人でした。



ハムステッドの高級フラットで暮らすアメリカ人の未亡人エミリー(ダイアン・キートン)は、悠々自適の一人暮らしとはいかず、夫亡きあと発覚した浮気や借金のこと、減っていく貯金のこと、老朽化したフラットの修繕費用のこと、上辺ばかりの近所づきあいなど、お金や生活の様々な問題に直面していました。



ある日、エミリーが屋根裏部屋の窓から双眼鏡でハムステッド・ヒースを眺めた時、偶然にも、髭もじゃの男が暴漢に襲われるのを目撃してしまいます。

翌日、ハムステッド・ヒースの森の中を訪れたエミリーは、手作りの粗末な小屋で17年間暮らしているというドナルド(ブレンダン・グリーソン)と出会います。

ハムステッド・ヒースの一角をホームレスとして不法占拠していたドナルドは、ここに高級フラットを新築しようとする不動産会社の標的となり、立ち退きを迫られたり、嫌がらせに遭っていたのです。

そんな事情もあって、他人を警戒し拒絶するドナルドに、エミリーも最初は拒絶感を抱きます。

しかし、小屋の外でのディナー、気ままな読書、森でのピクニック、池での魚釣り・・・と、余計な物を持たずに手作りの暮らしで満足しているドナルドの温かい人柄に触れ、エミリーは次第に惹かれていきます。



上の写真の男性が、ドナルドのモデルとなったホームレスのハリー・ハローズです。

ハリー・ローズは、1936年生まれのアイルランド人で、1950年代にロンドンにやって来ました

最初はハイゲートにある公営住宅に住んでいたのですが、1987年にそこを追い出され、ハムステッド・ヒースにある老人ホーム跡地に掘っ立て小屋を作り、暮らすようになりました。

近くに住むのは、シンガーソングライターのジョージ・マイケルやブルネイ国王といった超有名人です。

ハリーは、こういった御近所の人達から雑用を請け負っていたのです。

ところが2005年3月、長年暮らしていた場所を突然追い出されそうになったハリーは、弁護士に相談し、裁判で争うことになりました。

ハリーが他の誰からも土地の所有権を主張されることなく20年以上暮らしてきたことが証明され、裁判所は彼が住んでいる場所の土地(約800㎡)の所有権を認め、ハリーの勝訴となりました。

突然、ホームレスから資産家(時価200万ポンド、当時で約4億8000万円)となったハリーでしたが、インタビューに答えて「この土地の金額なんて、どうでもいいんです。私は自分の住む所が必要だっただけなんです」と語り、その言葉通り、それまで通りのつましい暮らしを変えず、2016年に88歳で亡くなりました。



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テーマ : イギリス
ジャンル : 海外情報

令和の大誤審



ミシェルのお父さんは、子供の頃、初代若乃花の大ファンでした。

英国勤務当時の家族旅行で、カナダのバンクーバーにある寿司屋さんに立寄った際、若乃花親方と奥様がおられ、少しお話ができて大変嬉しかったのを今でも覚えています。

今は山梨県人になったこともあって、山梨県出身の竜電を十両当時から応援しています。

毎日、お母さんと、竜電が勝つと喜び、竜電が負けるとガッカリしています

また、ジョージア出身の栃ノ心も応援しています。

言葉も文化も全く異なる日本に来て、一生懸命に相撲に取り組んでいる彼を応援したいという気持ちからです。

その栃ノ心の朝乃山との一昨日の取り組みで、大変不可解な出来事が起きました。



朝乃山に土俵際まで追い込まれた栃ノ心は、土俵際で回り込みながら、すくい投げから朝乃山を土俵に突き落としました。

軍配は栃ノ心に上がり、これで10勝目となって大関返り咲きと思われた瞬間、物言いがつきました。

5人の審判員が土俵に上がり、不思議なことに、6分間も喧々諤々やっています。

その間、テレビではリプレイ画面が繰り返し映され、栃ノ心の足が土俵に残っていることを示しています。

5人の審判の内、栃ノ心の足を間近で見ることができたのは1人だけなので、6分間も喧々諤々する話ではないと思うのです。

今は「ビデオ判定」ができるようになっているのですから、5人の審判がビデオで確認して判定を下すだけだと思うのです。

万一、ビデオでも判定が難しい場合は、その旨を観客に説明すべきだと思うのですが、結局は物言いをつけた審判の言い分に従い、確証の無いまま「行司差し違いで朝乃山の勝ち」にしてしまいました

そして、取組後、日本相撲協会には抗議の電話が殺到し、「電話が鳴りやまない」と職員は大変だったようです。



相撲の勝敗とは、「1.土俵内において,足の裏以外の体の一部が早く砂についた者を負けとする。2.土俵外の砂に体の一部でも早くついた者を負けとする。」の2つしかなく、とても単純明快です。

今回の勝敗では、栃ノ心の右かかとが土俵外の土についたか否かが問題になりました。

しかし、上の写真を見ても、下の写真を見ても、栃ノ心の右かかとが土俵外の土についていなかったことは明白です。

大相撲では、勝敗の決定後に抗議することは許されないそうですが、なんとも納得がいかない判定だったように思います。

勝ちから、一転して負けにされた栃ノ心は悔しくて涙を流しましたが、「行司差し違い」にされた行司さんも悔しかったと思います。

大相撲の行司の中で一番位の高い立行司の腰には、本物の日本刀(短刀)が差してあります。

その理由は、采配のミスをしたら腹を切るだけの覚悟を意味しています。

勝負の勝敗を決める行司さんは、命をかけて土俵に上がっているのです。



昨日は、朝乃山が大関の豪栄道に勝ち、栃ノ心が横綱の鶴竜に勝った為、千秋楽を待たずに西前頭8枚目の朝乃山の優勝が決まりました。

しかし、インタビューされている朝乃山には、笑顔も嬉し涙もありませんでした。

朝乃山は「昨日(の一番が)納得いっていないんで・・・分かんないです」と、今朝もモヤモヤしたものが残っていると明かしました。

救いは栃ノ心の一言だったといいます。

NHKのインタビュールームを出る時、栃ノ心から「おめでとう」と言われ、朝乃山は「嬉しかった。僕は『すいません』と謝りました。一生残るんじゃないですか」と語っています。

栃ノ心との勝敗についても、取組編成についても、朝乃山には全く責任の無いことですが、今場所の取組編成に疑問を呈する人は多いようです。

優勝した朝乃山は、終盤戦に出場していた役力士7人の内、優勝決定までに対戦したのは豪栄道と栃ノ心だけでした。

58年前、のちに横綱になる佐田の山が西前頭13枚目の時、12勝3敗で優勝した当時は、下位力士が勝ち込んでも上位と当てる取組編成をせず、役力士との対戦は千秋楽の小結富士錦だけでした。

その後、星勘定だけで幕内優勝を決めていいのかとの議論があり、本来は上位と対戦しない番付の力士でも、勝ち込めば上位と当てるようになりました。

ところが今場所は、朝乃山が8日目を終えて1敗で鶴竜と栃ノ心と並んでいたにもかかわらず、11日目は西前頭13枚目の佐田の海を当て、12日目にようやく西前頭3枚目で優勝経験者の玉鷲と当て、役力士は13日目の栃ノ心戦が初めてという状況でした。

しかも、朝乃山を上位に当てるのが遅れた為に、大関同士の取組まで消えてしまう有様です

「今場所は、安倍首相の発案でトランプ大統領が国技館に来るので、その対応で取組編成どころではなかったのでは」とも思えてしまいます



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テーマ : 大相撲
ジャンル : スポーツ

2019年全米プロゴルフ選手権



今年の全米プロゴルフ選手権は、ブルックス・ケプカ選手が史上5人目の完全優勝(4日間トップを維持)を達成しました。

加えて、2007年のタイガー・ウッズ選手以来となる12年ぶりの大会連覇も成し遂げました。

3日目を終えて12アンダーと、2位に7打差もつけて楽勝かと思われましたが、風が強くなった最終日にドラマがありました。



上の写真は、今年の試合会場となったベスページステートパークゴルフコースのブラックコースの18番ホールです。

ベスページステートパークは、ニューヨークのマンハッタンからクイーンズ方面に車で1時間ほど行った所にある州立公園です。

この公園内にはゴルフコースが5つありますが、全てパブリックコースなので、誰でもプレイできます。



5つのゴルフコースの中で最も難しいと言われるブラックコースは、1936年に開場しました。

スタートホールには、英語で「ブラックコースは極めて難しいコースなので、技術の高いゴルファーだけにお薦めします」という趣旨の警告看板が掲示されています。



テレビなどで見ていると、それほど難しいコースには見えませんが、実際には次のような難しさが潜んでいます。

1.全長7,459ヤードと距離が長い

2.フェアウェイの幅が、通常の1/3位で狭い

3.ラフが長く、かつ芝が極めて粘っこくて、クラブが振り抜けない

4.バンカーが多い

5.グリーンが難しく、短い距離でもボールが微妙に曲がる



前半で2組前のダスティン・ジョンソン選手が追い上げましたが、ケプカ選手は10番ホールでバーディを奪い、ジョンソン選手とは6打差ありました。

しかし、強風が吹き出した11番ホールから、完璧なプレイを続けていたケプカ選手が突然乱れ始めました。

ティショットでフェアウェイを外し続けて4連続ボギーを喫し、一気に1打差まで詰まってしまったのです。

ケプカ選手が「まるでボギー列車に乗っている感じだった」と語った11番から14番でしたが、ジョンソン選手を応援するニューヨークの観客達は、ケプカ選手のショットやパットが乱れる度に、ジョンソン選手のイニシャルの「DJ」コールを繰り返しました。

普通の選手なら、ここからどんどん崩れてしまうところですが、ケプカ選手は逆に「あのDJコールが僕の集中力を戻してくれた。僕の助けになった。それが15番のナイスショットにつながったんだ」 と言います。

ニューヨーク近郊で開催された過去のメジャー大会などにおいて、口の悪いニューヨーカー達の野次やブーイングの「被害」に遭った選手の例は少なくありません。

ヨーロッパで31勝、1996年の世界ランク2位を誇るスコットランド出身のコリン・モンゴメリー選手は、何故かニューヨーカー達の野次のターゲットにされ続け、悲願のメジャー初制覇を実現できぬままシニアになってしまいました。



最終組でケプカ選手と一緒にプレイしたハロルド・バーナーIII選手も不快感を示すほど、観客はジョンソン選手びいきだったといいます。

そんな逆境の中でしたが、バーナーⅢ選手は「僕のボールがラフに入り、僕があきらめていたのに、ケプカ選手はラフをかき分けて僕のボールを必死に捜すんだ」と語り、ケプカ選手のスポーツマンシップに感銘を受けたといいます。

実力に比べて注目度が劣るのは、ケプカ選手が欧州下部ツアーでプロキャリアを始めたせいかもしれません。

しかし、予選で同組だったタイガー・ウッズ選手は「彼には欧州ツアーでつちかった精神力がある。苦労した分、強さがある」と語っています。

今回の優勝は、ケプカ選手にとってツアー通算6勝目になりますが、そのうち4勝がメジャー大会という凄さです。

メジャー大会を一度も制覇できずに終わる名ゴルファーも数多いというのに、このケプカ選手の成績は本当に夢のようです。

余談ではありますが、愛娘のカリーノも、ドッグショーのメジャー大会ばかりで入賞し、「JKCチャンピョン」と「FCIインターナショナルチャンピョン」の資格を獲得しました。

ケプカ選手が優勝する姿を見て、ミシェルのお父さんには、カリーノの姿がダブって見えました



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テーマ : ゴルフ
ジャンル : スポーツ

これが柔道?



今日は、本題に入る前に、ミシェルのお父さんの父親のことを少し書いてみたいと思います。

お父さんの父親は、教師をしていましたが、教師を辞めてスポーツ店を始めました。

自分自身がスポーツ万能で、スポーツが大好きだったからだと思います。

若い頃は陸上の国体選手(槍投げ)だったようで、そのせいか足が速く、お父さんの小学校時代の運動会では、父親が参加する競争では、いつもダントツに1番でした。

他にもいっぱい資格を持っていて、福井県で最初のスキー指導員、柔道3段、陸上の公認審判員、ソフトボールの公認審判員などといった具合でした。

その他には、冬山で遭難した人がいると、警察に協力して山岳救助を行っていましたし、書道の腕前が凄くて、よく他の人から文字書きを頼まれていました。

車の運転技術も高く、県の交通安全表彰もよく受けていました。

人望も厚く、よく多くの人達が父親の所にやって来ていたので、本人にその気があれば、市会議員くらいには容易になれたと思います



「暁の超特急」と言われた、日本を代表する陸上選手だった吉岡隆徳さん(写真右端)とも親交があったようです。

吉岡隆徳さんは、1932年8月に開催された第10回ロサンゼルス五輪で100メートル競技に出場し、東洋人初の6位入賞を果たされました。

以降、日本人のオリンピックの短距離種目での決勝進出者は、1992年のバルセロナオリンピック400m走での高野進さんまで現れていません。

オリンピック翌年の1933年9月には、自己記録を0秒1更新する10秒4を記録され、1935年6月には、10秒3の世界タイ記録も達成されました。

現役引退後は、リッカーミシンの陸上部監督として、日本の100m競技代表だった飯島秀雄さん(写真左端)や依田郁子(写真中央)さんらを指導され、1970年に東京女子体育大学の教授となられました。



上の写真の人物は、元全日本スキー連盟副会長だった片桐匡さんと元スキーのオリンピック選手だった長女の美雪さんです。

息子さんの片桐幹雄さんも元スキーのオリンピック選手で、現在は全日本スキー連盟会長をされておられます。

お父さんの父親は、片桐匡さんとも親交があったようで、父親から「長男と長女を結婚させようかというような話もした」と聞いた記憶が残っています。

但し、冗談話だったのか、実現はしておりません



前置きが長くなりましたが、昨日、たまたまテレビで「全日本柔道選抜体重別選手権」の73㎏級決勝戦を見ました。

お父さんの父親がやっていた柔道で、ミシェルのお父さんも、高校の体育授業で柔道を少しだけ経験したことがあります。

試合が始まると、互いに柔道着をつかみ合うだけで、殆ど技らしい技は出ません。

結局、試合が終わるまで、この調子で、見ていて退屈極まりない感じがしました。

互いに柔道着をつかみ合うだけなので、当然ながら、審判から両選手に「指導」が出ます。

この「指導」が3回言い渡されると「失格」となり、「負け」となります。

両選手とも「指導」が2回言い渡された後も同じような展開が続いたので、本来なら、両選手とも3回目の「指導」を受けて「両者負け」で良かったように思うほどでした

試合の終盤は、3回目の「指導」を懸念した橋本壮市選手の方が積極的だったように感じましたが、その橋本選手が攻撃を仕掛けた時に相手の大野将平選手がこらえ、そのちょっとした瞬間に橋本選手の身体が倒れてしまいました。

大野選手の技らしい技には思えませんでしたが、結果は「隅落とし」で大野選手の勝利となりました。

もしこれが「真剣勝負」であったなら、両選手とも全くダメージは無く、試合は更に延々と続いていたと思われます。

ミシェルのお父さんは、こんな退屈な試合を見ていて、思わず「これが柔道?」と、やるせなく感じてしまいました。



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テーマ : 武道
ジャンル : スポーツ

なつぞら



4月から始まったNHKの連続テレビ小説「なつぞら」は、通算100作目という節目の作品だそうです。

戦争で両親を亡くし、北海道・十勝の柴田牧場に引き取られた少女・奥原なつが、高校卒業後に上京し、アニメーターとして瑞々しい感性を発揮していく姿を描いているといいます。

東京の大空襲で両親を亡くし、幼い姉妹の面倒を見ながら苦労しているなっちゃんの姿を見ると、ミシェルのお父さんは、自分の母親も戦争で都心の土地を無くし、長女として弟や妹の面倒を見ながら苦労したであろうことが重なって見えます。



連続テレビ小説「なつぞら」の第4話は、なっちゃんが柴田牧場で牛の世話をするシーンから始まります。

柴田牧場の祖父の柴田泰樹(草刈正雄)は口数が少なく、最初は、息子が連れてきたなっちゃんのことを嫌っているようにさえ見えました。

しかし、なっちゃんが牛の世話をする内に、祖父の泰樹は、なっちゃんに牛の乳搾りなども教えます。

数日後、なっちゃんは、泰樹に連れられて帯広の闇市にやって来ました。

そして、泰樹は、破れた靴を履いていたなっちゃんの為に長靴を買ってあげた。



そのあと、2人は、牧場で収穫したミルクと卵を届ける為に、菓子屋の「雪月」に行きました。

出迎えた雪月のとよ(高畑淳子)は、泰樹が孫の夕見子を連れてきたと勘違いします。

息子で菓子職人の雪之助(安田顕)と妻の妙子(仙道敦子)も出てきて、どんどん賑やかになってしまいます。



雪之助は、なっちゃんが牛から搾ったミルクを使ってアイスクリームを作ってくれます。



なっちゃんと泰樹は、雪之助が作ってくれたアイスクリームを食べ、泰樹は、なっちゃんに静かに語り掛けます。

泰樹は、なっちゃんに「それは、おまえが搾った牛乳から生まれたものだ。よく味わえ。ちゃんと働けば、ちゃんといつか報われる日が来る。報われなければ、働き方が悪いか、働かせる者が悪いんだ。そんな所は、とっとと逃げ出しゃいいんだ。だが、一番悪いのは、人が何とかしてくれると思って生きることじゃ。人は人をアテにする者を助けたりはせん。逆に自分の力を信じて働いていれば、きっと誰かが助けてくれるのだ。おまえは、この数日、本当によく働いた。そのアイスクリームは、おまえの力で得たものだ。おまえなら、大丈夫だ。だから、もう無理に笑うことはない。謝ることもない。おまえは、堂々としてろ。堂々と、ここで生きろ」と話します。



なっちゃんは、泰樹の言葉を涙を流しながら、黙って聞き入ります。

このシーンをテレビで見ていた人達は、インターネット上で「おんじ(泰樹)が、なつに言った言葉に朝から涙、涙。一生忘れられないアイスクリームになったはず」、「途中、涙で字幕とか追えていません」、「ダメ・・・最後の数分、画面に見入りながら涙が止まらなかった・・・泰樹おんじの言葉もさることながら、一言もしゃべらずおんじの話に耳を傾ける小なつの演技・・・もう無理」、「今の働く全ての人に観てほしい。じいちゃんの労働哲学だと思った」などの書き込みが相次いだといいます。

ミシェルのお父さんも、このシーンを見て「人生を長く生き、苦労した人だけが言える言葉だな」と思いました。



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テーマ : NHK 連続テレビ小説
ジャンル : テレビ・ラジオ

イチロー選手引退会見



米大リーグ・マリナーズのイチロー選手が引退を決断し、昨晩、都内のホテルで記者会見を開きました。

午前0時頃から始まった記者会見にも関わらず、100名以上もの報道陣が集まり、その影響の大きさを改めて伺わせました。

そして、イチロー選手の「今日のゲームを最後に、日本で9年、アメリカで19年目に突入した所だったんですけれども、現役生活に終止符を打ち、引退することとなりました。」という言葉で記者会見が始まりました。

イチロー選手が約1時間半にも及ぶ記者会見の中で語った言葉の中で、ミシェルのお父さんが「重みのある言葉だな」と感じた内容を御紹介いたします。



――子供達へメッセージを。

野球だけでなくても良いんですよね、始めるものは。

自分が熱中できるもの、夢中になれるものを見つけられれば、それに向かってエネルギーを注げるので。

そういうものを早く見つけて欲しいなと思います。

それが見つかれば、自分の前に立ちはだかる壁に向かっていける。

それが見つからないと、壁が出てくると諦めてしまうということがあると思うので。

――これまで膨大な時間を費やしてこられた。これからそういう膨大な時間とどう付き合うか?

まあ、ちょっと今はわからないですね。

でも多分、明日もトレーニングはしてますよ。それは変わらないでしょうね。

ゆっくりしたいとか全然ないんですよ。全然ない。動き回ってます。



――生き様で伝えたこと、伝わっていたら嬉しいと思うことは?

生き様というのは、僕にはよくわからないですけど。

先程もお話しましたけれど、人より頑張ることなんてとてもできないんですよね。

あくまでも、秤は自分の中にある。

それで自分なりに秤を使いながら、自分の限界を見ながら、ちょっと超えていくということを繰り返していく。

そうすると、いつの日か「こんな自分になっているんだ」という状態になって。

だから、少しずつの積み重ねが、それでしか自分を超えていけないというふうに思うんですよね。

一気に高みに行こうとすると、今の自分の状態とギャップがありすぎて、それが続けられないと僕は考えているので。

地道に進むしかない。進むだけではないですね。後退もしながら、ある時は後退しかしない時期もあると思うので。

でも、自分がやると決めたことを信じてやっていく。

でもそれは正解とは限らないですよね。間違ったことを続けてしまっていることもあるんですけど。

でもそうやって遠回りすることでしか、本当の自分に出会えないというか。そんな気がしているので。



――19年間、アメリカでプレーした。アメリカのファンへの思い、メッセージは?

アメリカのファンの方々は、最初は、まぁ厳しかったですよ。

そりゃあまあ2001年の最初のキャンプなんかは「日本に帰れ」ってしょっちゅう言われましたよ。

ただ、言葉ではなくて、行動で返したときの敬意の示し方というのは、その迫力はあるなという印象ですよね。

なかなか入れてもらえないんですけど、入れてもらった後、認めてもらった後は、すごく近くなるというような印象で。

――弓子夫人への言葉は?

頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。

僕は、アメリカで結局3089本のヒットを打ったわけですけど。

僕は、ゲーム前にホームの時はおにぎりを食べるんですね。

妻が握ってくれたおにぎりを球場に持っていって食べるんですけど。その数が2800ぐらいだったんですよ。

3000行きたかったみたいですね。そこは、うーん、3000個握らせて上げたかったなと思います。

それと、一弓(いっきゅう)ですね。

一弓というのはご存じない方もいらっしゃると思いますけど、我が家の愛犬ですね。

柴犬なんですけど、現在17歳と7カ月。今年で18歳になろうかという柴犬なんですけど。

さすがにですね、おじいちゃんになってきて。毎日フラフラなんですけど、懸命に生きているんですよね。

その姿を見ていたら、それは俺頑張らなきゃなと。

ほんと、妻と一弓には感謝の思いしかないですね。



――プロ野球選手になる夢を叶えて成功した。今、何を得たと思うか?

成功かどうかって、よくわからないですよね。

じゃ、どこからが成功で、そうじゃないのかって、全く僕には判断できない。

成功という言葉は、だから僕は嫌いなんですけど。

メジャーリーグに挑戦する・・・どの世界でもそうですね。

新しい世界に挑戦するということは、大変な勇気だと思うんですけれど。

ここはあえて「成功」と表現しますが、「成功すると思うからやってみたい。それができないと思うから行かない」という判断基準では、後悔を生むだろうなというふうに思う。

やりたいならやってみればいい。「できる」と思うから挑戦するのではなく、「やりたい」と思えば挑戦すれば良い。

その時に、どんな結果が出ようとも、後悔はないと思うんですよね。

自分なりの成功を勝ち取ったところで、じゃあ達成感がるのかといったら、それも僕には疑問なので。

基本的には、やりたいと思ったことに向かっていきたいですよね。



――昨年マリナーズに戻りましたけど、その前のマリナーズ時代、何度か「自分は孤独を感じながらプレーをしている」と仰っていた。ヤンキース、マーリンズに移られ、プレーする役割が変わってきた。去年ああいう状態になって、今年引退になる。その孤独感は、ずっと感じながらプレーしていたのか?

現在、それは全くないです。今日の段階で、それは全く無いです。

それとは少し違うかもしれないですけど、アメリカに来て、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。

アメリカでは、僕は外国人ですから。

このことは、外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。

この体験というのは、本を読んだり情報をとることはできたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。

孤独を感じて、苦しんだこと多々ありました。

ありましたけど、その体験は未来の自分にとって、大きな支えになるんだろうと、今は思います。

だから、辛いこと、しんどいことから、逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でもエネルギーのある元気な時に、それに立ち向かって行く。

そのことは、すごく、人として重要なことなんではないかなと感じています。



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テーマ : プロ野球
ジャンル : スポーツ

本当に大切なこと



上のポスターは、映画「プーと大人になった僕(日本での題名)」のオリジナル版です。

2018年にアメリカで公開されたディズニーのファンタジー映画ですが、日本では、今、レンタルDVDで観ることができます。



少年だったクリストファー・ロビンは、サセックス州(ドーバー海峡に近いイングランドの南端にある州)に住んでいた時に、100エーカーの森で熊のプーさんとその仲間達と出会い、お友達になります。

休みの間、皆で楽しい日々を過ごしましたが、クリストファーは、休みが終わった後にロンドンの私立寄宿学校に入学することになっていました。

休みが終わり、お別れパーティーで、クリストファーは、プーと森の仲間達に「君達のことは絶対に忘れない」と約束しました。



その後、クリストファーは親元を離れ、ロンドンの名門学校で厳しい躾や教育を受け、父親の死や第2次世界大戦の出兵などを経験して大人に成長していきます。

そして、いつの間にか、プーと森の仲間達とした約束を忘れてしまいました。

クリストファーは、ロンドンにあるウィンズロウというカバン会社に就職し、旅行用カバン部門の管理職に就きます。

しかし、戦争の影響で旅行用カバンの売れ行きは落ち込み、社長の息子である役員から「週明けまでに業績不振の打開策を提案しろ。できなければ、旅行用カバン部門を無くす」と言われます。

責任感が強く、仕事人間になっていたクリストファーは、徐々に家族と過ごす時間が少なくなって溝ができていましたが、週末に妻のイヴリンと娘のマデリーンとサセックス州に行く約束も果たせず、自分だけロンドンに残って必死に打開策を考えます。

決定的な打開策を見つけることができず、疲れて公園のベンチに座りこんだ時、プーと再会します。

プーは、ある日、仲間達が突然いなくなり、クリストファーに探してもらおうとしてロンドンにやって来たのです。



週明けまでに打開策を見つけなければならないクリストファーは、プーの頼みをきくどころではなかったのですが、とりあえずプーを自宅に連れて行きました。

しかし、プーが居ると仕事に支障をきたすので、致し方なく、プーをサセックス州まで連れ戻すことにしました。

100エーカーの森でプーの仲間達を見つけたクリストファーは、月曜日の朝、急いでロンドンに戻ります。

ところが、打開策を書いた紙を100エーカーの森に置いてきてしまうのです。



プーと仲間達は、打開策が書かれた紙をクリストファーに届けようと、ロンドンに行くことにします。

そして、100エーカーの森から出た所で、クリストファーの娘のマデリーンと出会い、事情を知ったマデリーンが、プーと仲間達をロンドンまで連れて行くことになりました。

マデリーンが、もう少しでクリストファーの会社に着こうとした時に転んでしまい、打開策が書かれた紙は風に吹かれて飛んで行ってしまいます。

マデリーンの手には、1枚の紙だけが残りました。



打開策の提案を求められていた会議中に娘のマデリーンが行方不明であることを知ったクリストファーは、会議を抜け出してマデリーンを探しに行きます。

そして、クリストファーがマデリーン達を見つけた時、マデリーンは「大切な紙を無くして御免なさい」と謝ります。

しかし、プーと森の仲間達と再会し、週末の間に一緒に過ごすことによって、忘れていた「本当に大切なこと」を想い出したクリストファーは、マデリーンに「そんなことはいいんだ。マデリーンが居てくれるだけでいいんだ」と伝えます。

妻のイヴリンと娘のマデリーンと一緒にプーと森の仲間達をサセックス州まで送り届けたクリストファーは、100エーカーの森でプーと出会った頃の自分を想い出します。



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テーマ : 映画
ジャンル : 映画

ウィンストン・チャーチル



上の写真は、映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」のポスターです。

2017年9月に封切られた映画ですが、今ならレンタルDVDで観ることができます。



上の写真は、英国のウィンストン・チャーチル首相(当時)です。

修羅場を生き抜いた「本物の政治家」の雰囲気が伝わってきます。



上の人物は、映画でウィンストン・チャーチルを演じ、アカデミー賞の「主演男優賞」を受賞した英国人俳優のゲイリー・オールドマンさんです。



ゲイリー・オールドマンさんは、特殊メイクアップによってチャーチル首相のそっくりさんに変身して話題を呼びました。

特殊メイクアップによって、人間の顔や体形が、こんなに変わってしまうことにビックリです



その特殊メイクアップを担当したのが、日本人の辻一弘さんです。

辻さんは、2012年に映画の仕事を引退しており、現代彫刻家として知られるようになっていたが、ゲイリー・オールドマンさんからの直々の要請により、特殊メイクを担当されました。

そして、辻さんは、第90回アカデミー賞の「メイクアップ&ヘアスタイリング賞」を日本人として初めて受賞されました。



上の写真は、英国のオックスフォードシャー・ウッドストックにあるブレナム宮殿です。

チャーチル首相の祖父であるマールバラ公爵が所有していた宮殿で、バロック様式の屋敷は部屋数が200以上もあり、敷地総面積は4600ヘクタールにも及びます。

ミシェルのお父さんも家族と共に数回訪れましたが、建物も敷地も広すぎて、ほんの一部しか見ておりません



チャーチル首相は、1874年11月30日午前1時30分頃、このブレナム宮殿で誕生されました。

子供の頃のチャーチル首相は、あまり勉強に熱心ではなく、生徒としては「落ちこぼれ」の一人でした。

18歳になった1893年6月、サンドハースト王立陸軍士官学校に入学しますが、三度目の入試でようやく合格しました。

陸軍時代は、数々の戦争を体験しています。

しかし、父親が大蔵大臣を務めたこともある国会議員だったこともあり、1899年春に陸軍を除隊し、自身も政治の世界を目指します。

1899年6月に初めての選挙戦を経験しますが、結果は落選でした。

1900年、2度目の選挙で保守党候補として立候補しますが、見事に当選し、26歳で国会議員となりました。

その後、チャーチル首相は政治の経験を積み、数々の大臣も務め、保守党の大物議員の一人となります。

第二次世界大戦初期の1940年5月10日、ドイツ、イタリアに対し宥和政策をとったネヴィル・チェンバレン首相は、その失策によって野党から辞任を求められ、保守党と労働党による挙国一致内閣の首相としてウィンストン・チャーチルが就任します。

しかし、それは有事の際の貧乏くじのような人事で、野党の労働党が首相候補として受け入れる唯一の人物が、ウィンストン・チャーチルという訳でした。

当時のチャーチル首相は、周りの人から嫌われており、国王ジョージ6世もチャーチル首相に対して冷ややかな態度をとっていました。

当時のドイツ軍は「世界最強」と言われており、チェンバレン前首相とハリファックス子爵を中心とする保守党は「アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツの危機に対して講和の道を探るべき」と主張し、あくまでもナチス・ドイツらへの徹底した抵抗を訴えるチャーチル首相と対抗します。

しかし、事態が進行し、ついにはフランスがナチス・ドイツに敗北する事態になり、ヨーロッパ大陸に展開する英国軍も全滅の危機に瀕します。

更には、ハリファックス子爵が「講和の道を探るか、さもなくば大臣を辞任する」と言いだし、チャーチル首相は究極の選択を迫られます。

このように映画は展開していきますが、映画を見ていると、チャーチル首相の信念と指導力の強さを感じます。

そして、国が安泰の時は、誰が首相を務めようと、物事が上手く回転するものですが、国が非常時の時は、チャーチル首相のような人物が求められることを感じさせてくれます。

今の世界も非常に難しい状況ですが、果たして日本にもチャーチル首相のような有能な政治家が現れてくれるのでしょうか



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蓋女



最近、奇妙な言葉に出会いました。

「蓋女」と書いて、「ふたじょ」と読むそうです。

蓋女

蓋女とは、マンホールの魅力に取りつかれた女性のことだそうです

その理由を調べてみると、なるほど「これは、取りつかれるかも」と思えるような素晴らしいデザインのマンホールがあることが判りました

本日は、その一部を紹介させていただきます。



上の写真は、札幌市のマンホールです。

シンボルの時計台が描かれています。



上の写真は、那須塩原のマンホールです。

那須といえば、確かに温泉と牧場のイメージがありますね



上の写真は、茨城県常総市のマンホールです。

いかにも日本らしいデザインですね。



上の写真は、東京都立川市のマンホールです。

こんな可愛いマンホールの傍を通ると、ニッコリしてしまいそうです



上の写真は、岐阜県関市のマンホールです。

関市といえば、刀鍛冶の町ですよね。



上の写真は、三重県伊賀市のマンホールです。

伊賀といえば、忍者ですよね



上の写真は、神戸市のマンホールです。

港町の神戸らしいデザインです。



上の写真は、鹿児島県指宿市のマンホールです。

ポケモンは、やはり可愛いですね



上の写真は、沖縄県那覇市のマンホールです。

シンボルのシーサーが描かれています。



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ナイーブアート



美しい国として知られるクロアチア。

そのクロアチアの首都であるザグレブの旧市街に「ナイーブアート美術館」があります。



ナイーブアートという言葉は、日本では聞きなれませんが、元々は美術に関する正式な教育を受けていていない人達が独学で描く絵を意味していました。

クロアチアのナイーブアートは、農家の人々が、農閑期に自分達の日常生活の様子や身の回りの風景を描いたのが始まりだと言われています。



クロアチアのナイーブアートの大きな特徴は、ガラス板に描かれているのです。

貧しい暮らし故に、キャンバスなどが買えなかった為という説もあるようです。



絵具をガラスの裏側からのせて描き、表から観賞します。

それが、絵に透明感を与えている理由です。



「ナイーブアートは、アートではない」と、批判めいたことを言う人がいるようです。

一方で、「美術に関する正式な教育を受けた人では描けない良さがある」という意見もあるようです。



ミシェルのお父さんは、クロアチアのナイーブアートを見て「素晴らしいな」と感じました。

建築設計の世界にも、安藤忠雄さんのように独学で勉強された人がいますが、素晴らしい作品を創り続けておられます。



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プロフィール

カリーノパパ

Author:カリーノパパ
●シェリー(シェルティー母):
 とっても優しい理想的な家庭犬
 アンジェの母親です

2016.4.18永眠、享年15歳11ヶ月

●アンジェ(シェルティー娘):
 ボール遊びと食事が大好きです
 我が家で生まれました

2018.5.5永眠、享年14歳10ヶ月

●カリーノ(ラフコリーの女の子):
 ショードッグ
  【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 FCIインター・チャンピョン 
 【主な賞歴】
 2009年アジアインターBOB
 2010年ジャパンインターBOB
 2010年近畿インターBOB
 2010年東北インターBOB 
 2010年ペディグリーアワード
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

2014.12.9永眠、享年8歳5ヶ月

●ミシェル(ラフコリーの男の子):
 陽気で優しく、人が大好きです
 ショードッグ
 【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 【主な賞歴】
 2011年神奈川インターWD
 2014年熱海愛犬クラブ展WD
 2014年山梨東ドッグコ展WD
 2015年沼津愛犬クラブ展WD
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

●カリーノパパ(人間):
 ミシェル達のお父さん
 本職は建築家(一級建築士)
 犬、スキー、ゴルフ、車、絵画が大好き
 1974年から大手建設会社の設計部にて勤務
 1986年に海外部門に異動し、14年間海外勤務
 内13年間をロンドンにて勤務
 2012年に大手建設会社を定年退職
 同年5月から河口湖でスローライフ開始

●訪問ありがとうございます。
4頭の犬と一緒に暮らしながら、日々感じたことを綴っています。
ミシェルとミシェルのお父さんであるカリーノパパが、記事やコメントを書いています。

●コメントは、ありがたく拝見し、返信させていただきます。

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