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練上げ陶芸



先日、偶然に見たテレビ番組で、ロシアの主婦が「練上げ陶芸」に魅せられて、少ない情報を頼りに自作していることを知りました。

陶芸に詳しくないミシェルのお父さんは、最初「練上げ陶芸って何だ」と思ったのですが、番組が進むにつれて、その魅力に引き込まれていきました。

「日本に行って、練上げ陶芸の勉強をしたい」と願っていたアレクサンドラさんは、番組の招待で日本を訪れることができたのですが、日本に着いて彼女が最初に向かったのは、練上げ陶芸の大家である松井康成さんの作品が展示されている美術館でした。

松井康成さんの作品を見て、アレクサンドラさんと同じように、ミシェルのお父さんも、その美しさに大いに感動しました



松井康成さん(1927年5月20日- 2003年4月11日)は、国の重要無形文化財「練上手(ねりあげで)」の保持者で、人間国宝でもある陶芸家です。

長野県の佐久市で生まれ、戦時中に茨城県笠間市に疎開されました。

明治大学文学部を卒業した後、地元の月崇寺の住職の娘さんと結婚し、住職になります。

そして、住職を務めながら、33歳で境内に窯を築いて本格的に作陶を始められました



最初は、中国・日本・朝鮮古陶磁の習作を作っていましたが、1966年に栃木県佐野市で活躍していた田村耕一さんに教えを請います。

田村さんは、松井さんの「練上げ」の才能を見抜き、そこに特化するよう助言をしたといいます。

まさに「天才は天才を知る」ということなのでしょう。

その転機から数年後、1971年の日本伝統工芸展で、松井康成さんは「日本工芸会総裁賞」を受賞されました。

更に、1973年の日本陶芸展では「最優秀賞・秩父宮賜杯」を受賞し、その才能が広く認められるようになります。



練上手(ねりあげで)と呼ばれる陶芸は、異なる色の粘土を練り合わせ、その伸び縮みで模様を表す技法です。

異なる色の粘土板を何層か重ねて切っていきますが、この切り取った粘土板を型に押し込んで成形するか、手びねりで粘土を立ち上げて成形します。

ロクロで成形すると模様が流れてしまうので、基本的に手びねりで成形するのが一般的です。



しかし、松井康成さんの創意工夫は、ロクロ成形と色鮮やかな顔料に見られます。

先述したように、練上げはロクロを使うと模様が流れてしまうのですが、松井さんはロクロに円筒を置いて粘土を巻き付け、模様を整えました。

そして、円筒を抜き取ってロクロを回し、遠心力を使って内から外へ素地を膨らませたのです。

加えて、少量で鮮やかに発色する顔料を使い、同根異色の土を作ることにも成功しました。



通常の陶器は、ロクロを使って粘土を成型し、その外側に絵を描いて焼き上げます。

しかし、練上げで作る陶器は、模様が内側にも外側にも表れ、その模様の形も整形ではありません。

いびつになった模様の自然さが、練上げの魅力と言っても良いかもしれません。

松井康成さんの作品を見た後、アレクサンドラさんは瀬戸市の陶芸家の家で「練上げ」の勉強をさせてもらい、ロシアに帰国しました。

ロシア人であるアレクサンドラさんが、日本の伝統工芸である「練上げ」に魅せられ、ロシアで自作するというのは、誠に興味深いことだと思います



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テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

ラグビーの精神



昨日、ラグビー・ワールドカップの準々決勝「日本対南アフリカ戦」が行われ、日本は健闘及ばず3対26で敗れました。

この戦いはNHKでテレビ放送されましたが、瞬間最高視聴率は49・1%、平均視聴率は41・6%だったといいます

いかに多くの日本国民が、この熱い戦いを観ていたかが判ります。



試合自体も素晴らしいものでしたが、本当に素晴らしいのは「ラグビー精神」だと思います。

ラグビーの素晴らしさの一つに「ノーサイド」という言葉があります。

ラグビーは漢字で「闘球」と書くぐらいですから、試合中は、まるで格闘技のように激しく身体がぶつかり合います。

時には、エキサイトして喧嘩になりそうなこともあります。

しかし、試合が終わると「ノーサイド」の精神が発揮されます。

ノーサイドとは、一旦試合が終われば、敵も味方も無くなることを意味します。

ノーサイドになれば、互いの健闘を称えあって、握手するシーンが見られます。



カナダ対南アフリカ戦で、カナダ代表のジョシュア・シャーウッド・ラーセン選手が、危険なショルダーチャージをしたことでレッドカード(退場)となりました。

そのラーセン選手が試合後に南アフリカのロッカールームを訪れ、自分が犯した反則を謝罪したのです。

ラーセン選手は、南アフリカの選手達を前に「皆さんに謝罪する為に、ここに来ました。レッドカードを受けてしまったことは、とても残念に思います。ですが、私は皆さんに直接謝りたかったんです。今後の残りの試合も健闘を祈っています」と謝罪しました。

すると、南アフリカの選手や関係者らから拍手が沸き起こり、ラーセン選手は缶ビール1つを手渡されました。

試合で危険タックルを受けた南アフリカのトーマス・デュトイ選手も、カナダ代表のユニホームを着て、ラーセン選手と笑顔で握手を交わしました。

こんな試合後の出来事に対し、ツイッターでは、「これが本当のノーサイド」、「さすが“紳士のスポーツ」、「一流の選手は、強く・優しく・礼儀正しい」、「真のスポーツマンシップを見た」などと賞賛が声が溢れたといいます。



昨日の日本対南アフリカ戦の試合後、観客席でも「ノーサイド」の精神が発揮されました。



日本と南アフリカの観客が、互いが着ていた自国チームのユニフォームを交換したのです

このシーンを見て、やはりツイッター上では、「ラグビー好きになった」、「最高のシーンだなぁ」、「これは素晴らしい」と、多くの感動の声が上がったといいます。



ラグビーでは、「トライ」シーンが一つの見せ場ですが、トライしても、その選手が派手なパフォーマンスをすることは殆どありません。

その理由は、殆どの選手が「トライしたボールは、他の14人の選手の手を渡ってきて、最後に自分がトライしただけ」という、かたくなに「自分は、チームの一員」という気持ちを持っているからです。

ラグビーもサッカーもイギリスで生まれたスポーツですが、ラグビー精神は、ゴールした選手が派手なパフォーマンスをするサッカーとは一線を画しています



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テーマ : ラグビー
ジャンル : スポーツ

お金と嘘まみれの東京五輪



上の写真は、ドーハで開催された世界陸上の女子マラソンの様子です。

猛暑を考慮して、夜中の11時59分にスタートが切られたにもかかわらず、暑さの為に4割もの選手が棄権したといいます。

こんな事態に恐れをなしたのか、国際オリンピック委員会が、東京五輪の猛暑対策として、マラソンと競歩を札幌開催に変更することを決定しました



小池東京都知事は、この決定に腹を立て、「それなら北方領土で開催したら」と大人げない発言したようですが、そもそも日本が嘘をついていたのですから文句は言えません

東京にオリンピックを招致する為のプレゼンテーション資料として、2013年の時点で「立候補ファイル」というものが作成されていたのですが、それには「この時期の天候は晴れる日が多く、且つ温暖である。アスリートが最高のパフォーマンスを発揮できる理想的な気候である」と、日本人ならビックリするような嘘が書かれていたのです



問題の「立候補ファイル」には、他にも嘘が記載されています。

招致段階のコンセプトは「コンパクト五輪」で、「33の競技会場のうち85%にあたる28会場を半径8kmの中に集中させ、それらを公共交通網で結ぶと共に、このエリアの中に集約的な祝祭空間を創出していくことによって、過去と未来が結びついた都市の姿を浮き上がらせる」となっていました。

しかし実際には、35の競技会場のうち、半径8km圏内にあるのは21会場だけで、今では、大会組織委員会も東京都も「コンパクト五輪」という言葉を使わなくなりました



コンセプトの「コンパクト五輪」には、開催費用の最小化も含まれます。

2013年の「立候補ファイル」に記載された開催費用は、ロンドン五輪にならって7,340億円でした。

しかし、その後、開催費用はドンドン増え、2015年10月の時点では3兆円を超えそうになってしまいました(ロンドン五輪でも2兆円を超えました)

今や、「コンパクト五輪」のコンセプトなど雲散霧消です



2013年9月、ブエノスアイレスで開催された国際オリンピック 委員会で、安倍首相は、福島第一原発の状況を「The situation is under control」などと、世界に対して笑顔で大嘘をつきました

福島第一原発の実情を見れば、その大嘘は明白ですが、小泉元首相も「安倍総理のアンダーコントロールは嘘だ」と断言しています。

更には、竹田恒和JOC会長が、東京五輪誘致汚職の容疑でフランス司法当局によって捜査されています。

これは、アフリカ諸国のIOC委員に対する贈賄疑惑ですが、2013年6月に開催されたアフリカ開発会議の開会式で、安倍首相は「アフリカ諸国に320億ドル(3.2兆円)の資金援助をする」と約束しています

当然ながら、外国では「アフリカ諸国のIOC委員に東京開催を支持させる為」と受け止められています。



ブエノスアイレスで開催された国際オリンピック 委員会では、滝川クリステルさんが、演技たっぷりに「お・も・て・な・し」と、世界に笑顔を振りまきました。

しかし、日本人なら「おもてなし」は気持ちで伝えるものであって、これみよがしに言葉では発したりはしないものなので、ミシェルのお父さんは、この時に違和感と不快感を覚えました。

今思うと、「お・も・て・な・し」ではなく、「お金」と「酷暑」と「台風」と「地震」と「放射能」の「た・れ・な・が・し」の間違いだったのではないかとさえ思います。

そんな滝川クリステルさんが、「安倍総理のアンダーコントロールは嘘だ」と言った小泉元首相の息子の嫁になったのも、ブラックユーモアの一つでしょうか



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テーマ : オリンピック
ジャンル : スポーツ

2019年全英女子オープン



上の女性は、今季の海外女子メジャー最終戦「全英AIG女子オープン」で、1977年「全米女子プロゴルフ選手権」を制した樋口久子さん以来となる、日本人42年ぶりの海外女子メジャー制覇を成し遂げた渋野日向子さんです。

今朝のテレビは、この話題で持ち切りでした



予選ラウンドや決勝ラウンドで、渋野選手が上位にいても、渋野選手を知らなかったミシェルのお父さんは、正直言って「この子、誰?どうせ勝てないでしょ」と思っていました。

ところが、優勝してしまったからビックリです

ミシェルのお父さんが、渋野選手のことを知らなかったのも無理はないかもしれません。

何しろ、去年にプロテストに合格して、今年が初参戦のシーズンというのですから。

しかし、デビューの年に、国内ツアーのメジャー大会である「ワールドレディス・サロンパス・カップ」に優勝し、計2勝しているというからビックリです

そんな成績が認められて、海外メジャー大会の「全英AIG女子オープン」にも出場できたのですね。



今年の「全英AIG女子オープン」の試合会場は、ウォバーン・ゴルフ・クラブでした。

ここは、ロンドンの中心部から北北西に50㎞程の所にあり、車だと高速道路の「M1」を利用すれば40分程で行くことができます。

お父さんも4回ほどプレイしたことがありますが、英国のゴルフ場としては新しい方で、林の中に「デューク」、「ダッチェス」、「マーケス(今回の使用コース)」と名付けられた3コースを有しています。

各ホールが木々でセパレートされており、日本的なゴルフ場と言えます。

男子の全英オープンは、日本には無い「リンクス」で常に開催されますが、今年の全英女子オープンは日本的なゴルフ場だったことも、渋野選手にとっては良かったのかもしれません。



今朝のテレビを見て、少し渋野選手のことを知り、ミシェルのお父さんは好感を抱きました。

試合中でも笑顔を絶やさない渋野選手は、英国でも「スマイル・シンデレラ」と人気を博したようです。

日本人選手は、勝負にこだわり過ぎるせいもあって、ミスショットをすると、ふてくされたような顔をする選手が多いように感じますが、韓国選手は、ミスショットをしても、笑っている選手が多いように感じます。

観客としては、やはり後者の方が好ましく感じることが多いので、笑顔を絶やさない渋野選手も、英国人に好かれたのだと思います。

殆ど笑顔を見せることはなく、実力はあっても人気がイマイチの松山選手とは、対照的な選手のように思えます。



優勝記者会見で、「コースで何を食べた?」と質問されると、渋野選手は「『タラタラしてんじゃねーよ』ってお菓子なんですけど、魚を固めたみたいな」と答えています

更に「18番のティに上がる前も観客とハイタッチ。18番のセカンドもキャディと笑顔で会話。普通は緊張するが」と問われると、渋野選手は「セカンド地点で何を考えていたかというのは、ここでシャンクしたらかっこ悪いなって(笑)」と考えていたと明かします

渋野選手は3姉妹の真ん中だそうですが、「姉妹は優しいですか?」と問われると、渋野選手は「姉はすごく優しいですけど、妹は頭が良いので、こんなのも知らないの?って思われちゃっていると思います」と答えています

「賞金で自分にご褒美を?」と問われると、渋野選手は「ちなみに賞金いくらなんですか(笑)」と尋ね、「すごく良いものを買える額です(7,200万円)」と教えてもらうと、渋野選手は「何買おうかな。死ぬまでのお菓子を買いたいです」と答えました

更に「日本のどんなお菓子が特に好き?」と問われると、渋野選手は「一つに絞るのは大変ですけど・・・ん・・・『よっちゃんイカ』(カットよっちゃん)。あれ?日本にしかないか。あ、昆布」と答えています

海外メジャー大会に優勝したというのに、大変珍しい優勝会見でした



渋野選手を見ていて感心したのは、緊張する試合中だというのに、ファンを大切にする点です。

コースを歩いている最中に、突然、観客の方に走り出し、コース脇に居た少年にサインしたボールをプレゼントしたのにはビックリしました

更に、ホールからホールへの移動中にも、突然立ち止まり、自分がはめていた手袋にサインし、子供にプレゼントしたのにも驚きました

微妙な感触を大切にするプロゴルファーは、手袋一つにしても変えることを躊躇うものですが、渋野選手は技術だけではなく、強い心も持っているのでしょうね。

笑顔を絶やさない渋野選手ですが、「流した涙は、数知れず」といいます。

そんな渋野選手を、ミシェルのお父さんは「これから、もっともっと活躍してもらいたい選手だな」と思いました。


参考情報:
1984年にもウォバーン・ゴルフ・クラブで「全英女子オープン」が開催され、岡本綾子選手が2位に11打差をつけて、ぶっちぎりの優勝を果たしました。
しかし、当時の「全英女子オープン」は海外メジャー大会に認定されておらず、認定されたのは2001年からでした。



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テーマ : ゴルフ
ジャンル : スポーツ

報じられない芸能史



これまで芸能界のことを記事にしたことは無かったように思いますが、連日、テレビで吉本興業のことが報じられていると、少しは気になってしまいます。

そこで、吉本興業と反社会的勢力の関係を調べてみた結果、テレビでは全く報じられない事実が判りました。

上の写真は、吉本興業の創立者である吉本せいさんです。

NHK朝の連続テレビ小説「わろてんか」の主人公のモデルになった人物なので、彼女の一生を御存知の方も多いと思います。

吉本興業の創成期には、やはり色々な苦労があったようです。

その一つが、東京から関西に進出してきた「松竹」との関係だったようです。

当初は、互いに良い関係を保っていたようですが、その後、吉本興業は松竹による芸人の引き抜きに困った時期があったようです。



上の人物は、日本最大の反社会的勢力である「山口組」の初代組長だった山口春吉です。

山口春吉は、明治40年頃、神戸の港に沖仲士(船の荷揚げ荷下ろしを行う労働者)としてやって来ました。

山口春吉は、持ち前の頑強な肉体と寡黙な人柄で人望を集め、数年後には沖仲士仲間を集めた労働者組織のリーダーとなりました。

これが、後の山口組へと発展していくことになります。

小泉元首相の実家は横須賀にあった「小泉組」ですが、それと同じような成り立ちのようです。

山口春吉は、日々過酷な労働を続ける労働者をねぎらう為、浪曲や漫才といった寄席を開くことを決め、それを吉本興業に依頼したといいます。



上の人物は、山口春吉の長男の山口登です。

大正14年に山口登が山口組の2代目組長を襲名すると、吉本興業と山口組の関係は更に密接になります。

港湾ビジネスを父親に任せた山口登は、「山口組興業部」を創設し、浪曲興行に本腰を入れました。

そして、興行主であった吉本興業から用心棒や地ならしを請け負います。

この頃に始まったラジオ放送の普及と共に、浪曲や漫才は全国的なブームとなり、両組織の全国進出の足場を作ったといいます。



東京進出を図る吉本興業は、当時浅草で人気のあった浪曲師の広沢虎造を「吉本専属にしたい」と山口登に相談しました。

そこで、山口登は広沢虎造のマネジメントを手がける浪花家金蔵と話をつけ、吉本興業の専属となることを取り決めました。

ところがその数年後、広沢虎造は、吉本興業に無断で下関の反社会的勢力であった「籠寅組(現在の合田一家)」が制作する映画に出演することを決めてしまいます。

これに激怒した吉本興業は、山口登に籠寅組との調停を依頼し、山口登は広沢虎造の映画出演を白紙に戻させることに成功します。

しかし、その後の話し合いの際、山口登は籠寅組に襲われて重傷を負い、その傷がもとで亡くなりました。



上の人物は、昭和21年に山口組3代目組長になった田岡一雄です。

実業家としての才覚があった田岡一雄は、山口春吉と山口登が培ってきた芸能界との関わりをより深くし、昭和33年に「神戸芸能社」を設立します。



そして、美空ひばり、鶴田浩二、高田浩吉、川田晴久、里見浩太朗、山城新伍、田端義夫、橋幸夫、村田英雄、三波春夫、フランク永井、マヒナスターズ、舟木一夫、坂本九といった昭和のスター達の興行権を一手に握る「芸能プロモーター」として影響力を発揮しました。

しかし、時代は興行からテレビの時代へと移行し、有名芸能人達のメインステージが舞台からテレビに変わります。

その結果、興行先でのチケットの分配や地ならし、用心棒といった仕事を請け負っていた反社会的勢力と吉本興業などの芸能事務所との関係は、徐々に薄れていきました。

とは言え、芸能事務所と反社会的勢力の関係には長い歴史があり、今でも何らかの繋がりがあるのかもしれません。

そして、このようなことを全く報じないテレビ会社も、どこかで反社会的勢力と何らかの繋がりがあるのかもしれません。



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テーマ : 芸能界のニュース
ジャンル : アイドル・芸能

2019年全英オープン・予選ラウンド



2019年全英オープンの予選ラウンドが終了しました。

現時点での1位は、8アンダーで、J.・B・ホームズとシェーン・ローリーの2人です。

シェーン・ローリーは、地元とも言えるアイルランド出身の選手ですが、北アイルランド出身のロリー・マキロイやグレーム・マクダウエルやダレン・クラークに比べると、注目度は低かった選手です。

今大会、最も注目度が高くて優勝候補だったマキロイ選手は、初日の8オーバーが響いて予選落ちしてしまいました。

2日目は彼本来の実力を発揮して6アンダーでしたが、惜しくも1打足りずに決勝ラウンドに進むことができませんでした。

同じく地元出身のクラーク選手は、シニアにもかかわらず17番ホールまでは予選突破可能なスコアでしたが、18番ホールでトリプルをたたいてしまい、マキロイ選手同様、惜しくも決勝ラウンドに進むことができませんでした。

他の有力選手では、ジェイソン・デイが2オーバー、タイガー・ウッズが6オーバーフィル・ミケルソンが8オーバーで、決勝ラウンドに進むことができませんでした。(1オーバーまでの選手が決勝ラウンド進出)

世界のゴルフ界を牽引してきた2大スターとも言えるタイガー・ウッズとフィル・ミケルソンですが、2人そろって出場したメジャー大会は過去82試合もあるそうです。

しかし、その中で2人がそろって予選落ちを喫したメジャー大会は、今回が初めてのことでした。

日本人選手は8名出場しましたが、決勝ラウンドに進めたのは、稲森選手と浅地選手の2名だけでした。(共に1オーバー、58位タイ)

最も期待された松山選手は、3オーバー・87位タイで、2打足りずに予選敗退となりました。(2年連続予選敗退)



日本やアメリカの試合会場と今回のロイヤル・ポートラッシュ・ゴルフ・クラブを比較すると、後者は、フェアウェイが狭い、コース全体がうねっている、ラフが凄く長い、バンカーが小さくて深い等の違いが目立ちます。



今回、予選敗退となった有力選手達も、ボールを深いラフに入れて苦労していました。

日本やアメリカの試合で、1つのホールでトリプル以上たたくことは殆どありませんが、今回は、普段はボギーの少ない松山選手でさえトリプルをたたいていましたし、マキロイ純樹でさえダブルスコア(パー4で8打)を出していました。

かって世界1位にランクされたこともあるデビット・デュバルですが、今回は、なんと1つのホールで14打という信じられないスコアを出してしまいました。

リンクス(英国にある海沿いのゴルフ場)では、1つのホールで大たたきして崩れてしまうことが珍しくなく、名手と言えども最後まで気が抜けません。



上の写真の最も手前のティーグラウンドは、英国では「チャンピョンティー」と呼ばれている場所です。

バックティーよりも後方にあり、そこからコースを見ると、レギュラーティーやバックティーから見える景色とは完全に違った景色が見えます。

そこから、狭くてうねったフェアウェイにボールを飛ばさなければならないのですから、世界のトッププロ達でさえ、相当のプレッシャーを感じるものと思います。

今回の予選ラウンドは、リンクスとしては天候が良く(雨も風も穏やか)、地面も乾いているように思います。

このような場合、ドライバーで打ったボールは凄く転がり、想定以上に飛んでバンカーやラフに入ることもあるので要注意です。



上の写真は、16番ホール(パー3)のグリーン脇です。

グリーン脇が崖やOBというホールもあるので、グリーンを外すとパーを取るのが大変そうです。

また、もし天候が荒れたら、世界のトッププロと言えども更に苦戦すると思います。

コースの直ぐ横が海ですから、一旦強い風が吹き出したら、使うクラブが5番手位違うこともある程です。

実際、今回の予選ラウンドでも、16番ホール(パー3)で金谷選手がドライバーを使っていました。(金谷選手は「パー3でドライバーを使ったのは、小学生以来」と語っています)

加えて、雨が降り出すと、一気に寒くなり、寒さに慣れていない英国以外の選手達は大変だと思います。

今回の予選ラウンドでも、寒さに弱そうな松山選手は長袖シャツの上に防寒用ウェアを着ていましたが、英国で本格的に寒くなると、夏でも冬用の防寒着が必要になることがあります。

よく「リンクスは、自然との闘い」と言われますが、ゴルフの技術以外に自然の厳しさにも打ち勝つことを要求されることを意味しています。


追記:

2019年全英オープンが終わり、通算15アンダー、2位と6打差で、アイルランドのシェーン・ローリーが優勝しました。

最終日は、リンクスらしい海からの強風が吹き、殆どの選手がスコアを崩す中、ローリー選手は1オーバー・72と踏み止まり、念願だったメジャー制覇を成し遂げました。

2位は、イングランドのトミー・フリートウッドでしたが、英国出身の選手が1位と2位を占めたのは、やはり自然を相手にしたリンクスの戦い方を知っていたからでしょうか。

一方、決勝進出を果たした日本の浅地選手と稲盛選手は、最終日、浅地選手が5オーバーの76で、稲盛選手が9オーバーの80と、共に大きくスコアを崩しました。

その結果、浅地選手が通算6オーバーの67位、稲森選手が通算9オーバーの72位(最下位)という成績でした。

試合を終えて、浅地選手は「疲れました」と語り、稲盛選手は「歯が立たなかったです」と語っています。

共に良い成績を残すことはできませんでしたが、大変良い経験をしたことは間違いありません。



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2019年全英オープン



明日から、世界4大トーナメントの一つである全英オープンが始まります。

ミシェルのお父さんは、全英オープンは英国本土だけで開催されるものと思っていましたが、今年は北アイルランドの名門ゴルフ場「ロイヤル・ポートラッシュ・ゴルフ・クラブ」で開催されます。

初めての開催かと思いましたが、実際には1951年に開催されており、今回は68年ぶりの開催ということです。

ロイヤル・ポートラッシュ・ゴルフ・クラブは、北アイルランドの中心都市ベルファストから北へ150Km以上離れた場所にあり、英国でも一、二位を争う美しさのアントリム海岸沿いに西へ進むと、ロイヤル・ポートラッシュが見えてきます。

ポートラッシュは、北アイルランド北部の人気リゾート地でもあります。



ポートラッシュの近くには、中世の古城「ダンルース城」があります。

ダンルース城は、14世紀以前に建造され、元々は要塞として使われていました。

その為、外敵が侵入しにくい切り立った岩壁の上に建てられています。

海沿いの岩壁に建てられたダンルース城は、長年の波風によって風化が進んでおり、今では外壁や道のみが残っています。



ロイヤル・ポートラッシュ・ゴルフ・クラブには、「ダンルース・リンクス」と「バレー・リンクス」という2つの18ホールのコースがありますが、今回の全英オープンが開催されるのは「ダンルース・リンクス」です。

ロイヤル・ポートラッシュ・ゴルフ・クラブは、1888年に9ホールで開場し、翌1889年には18ホールに拡張されました。

1895年には、イングランド以外で初めて「ロイヤル」の称号を得たゴルフ場でもあり、開場後わずか7年で王室が品質を認めたということからも、その偉大さが判ります。



1929年には、偉大なゴルフ場設計家のハリー・コルトが、ダンルース・リンクスを設計しました。

ハリー・コルトは、ケンブリッジ大学ゴルフ部出身の弁護士でしたが、1901年に名門ゴルフ場「サニングデール・ゴルフ・クラブ」の支配人となったのをきっかけに数々のゴルフ場の設計を手がけ、「近代コース設計の父」と呼ばれるようになった人物です。

マスターズが開催される「オーガスタ・ナショナル・ゴルフ・クラブ」を設計したアリスター・マッケンジーとも一時組んでいましたが、クリスチャンで真面目なコルトと酒好きでだらしないマッケンジーとでは、パートナーとして上手くいかなかったようです。



ロイヤル・ポートラッシュ・ゴルフ・クラブは、ストレートなホールは少なく、アップダウンがあり、フェアウエイは狭く、グリーンもアンジュレーションが複雑です。

加えて、海風が吹き出したら難度が一気に高くなり、これぞリンクスといった感じのゴルフ場です。

自然の大地が風に鍛えられ、必要最少限の人間の手を加えたコースは、「北アイルランド北部の宝石」の名に相応しいゴルフ場でもあります。



北アイルランドは人口180万人の小国ですが、これまでにフレッド・デイリー、ダレン・クラーク、ロリー・マキロイと3人の「チャンピオン・ゴルファー・オブ・ザ・イヤー」を生み出しています。

更に、世界4大トーナメント覇者でいえば、2010年の全米オープン優勝者であるグレーム・マクダウェルも輩出しています。

これだけでも、北アイルランドが、世界のゴルフ界にとって欠くべからざる国であることが解ります。

中でもマキロイは、今年30歳になったばかりですが、既に2011年全米オープン優勝、2012年&2014年全米プロゴルフ選手権優勝、2014年全英オープン優勝、2015年マスターズ4位と、信じられないような優秀な成績を刻んでいます。

今年の全英オープンには、松山選手、今平選手、堀川選手、池田選手、稲森選手、藤本選手、浅地選手、金谷選手(アマ)と、8名の日本人が出場しますが、果たして何名が予選を突破することができるでしょうか。



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日本一の高校球児



今、夏の甲子園大会目指して高校球児が一生懸命プレイしています。

そこには、色々なドラマがあるものと思います。

名古屋大谷高校の3年生の津森慶二君も、その一人です。

7月9日、愛知大会2回戦、対国府高校戦の3点を追う8回表、津森慶二君が代打に送られました。

津森君は「打って流れをつくる」という思いを胸に込め、右打席に立ちました。

2ストライクを取られた後、津森君は高目のボールに手を出してしまい、三振に倒れました。

この瞬間、津森君の高校での野球が終わりを迎えました。

津森君は、試合後、悔しさをにじませながら「苦しいことや、できないことも結構あったけど、楽しかったことの方が多かった。野球という存在があって良かった」と語りました。

そんな津森君を見守りながら、お母さんは「同じような病気に苦しむ人達に、勇気を与えられたとしたら、こんなに嬉しいことはありません」というような趣旨の話をされました。

実は、津森君は脳梗塞の後遺症で、今も右半身に麻痺が残っているのです。

津森君は、小学4年生の時、地域の硬式野球チームでの練習中に不整脈で倒れました。

その後、体内にペースメーカーを入れて練習をしていましたが、小学5年生の春休みに脳梗塞を発症してしまいました。

その影響で、立つことも、指を動かすこともできなくなってしまいました。

その当時の気持ちを書いた作文が、「第36回全国中学生人権作文コンテスト愛知県大会中日新聞社賞」を受賞しました。

作文の題名は、「中身が大事」。

その内容は(抜粋)・・・

僕は、小学校6年生の初めに脳梗塞になり、そのため右半身不随と言語障害を伴った。

それまでは、右手も右足も自分の思い通りに動かすことができ、普通の人が感じる感覚で、何不自由ない生活を送っていた。

しかし、突然の脳梗塞の後遺症からは、右手を動かすことも、右足を動かすことも、言葉を失ってしゃべることもできなくなった。

普通のことがうらやましく、右手を動かせる、右足を動かせる、普通に歩ける、言葉が話せる人すべて、赤ちゃんでさえうらやましく思えた。

(中略)

・・・僕もベットの上でよく泣いていた。

でも、泣いていても先に進めない。

目覚めたら普通に戻っていたら・・・、夢だったら・・・といつも思っていたが、動かすことが出来ないのが現実・・・。

今できるリハビリを、つらいけど、苦しいけど、少しずつやって元の姿に戻るんだ!って気持ちに切り替えた。


「絶対元に戻ってやる」。

津森君は、入院生活中、必死でリハビリに取り組みました。

週末には、一時退院して、所属していたチームの練習を見学しました。

津森君は「僕みたいな体でも、居てもいいのかな?」と不安でしたが、チームメートはグラウンドで笑顔で迎えてくれました。

復帰した時は、100メートル走るだけで苦しく、右手でボールを前に投げることもできませんでした。

それでも、父親とボールを投げる練習を続けました。

津森君は「できないという言葉は嫌い。できる、できると思ってやってきた」と語ります。

中学生になると、少し前に投げられるようになりました。

高校では、仲間とほぼ同じ練習をこなしてきましたが、ずっとベンチに入れずにいました。

選手は46人。

津森君は、最後の夏にベンチ入りをめざし、打撃を磨くことにしました。

守備で捕球をしたり、走ったりするのは、人より難しいと思ったからです。

中学の時は軽いバットしか振れなかった津森君でしたが、少しずつ重くし、冬場に打撃練習と左腕の筋トレに励みました。

そんな津森君を見ている竹内湖舶主将やチームメートは、「人一倍バットを振っている。自分達も負けられないなと思う」と語っています。

努力が実り、津森君は、5月の練習試合で打撃で活躍しました。

「ここ一本という場面で試合に出すのは彼」と中原家康監督に認められ、津森君は初めて背番号(20)をもらうことができたのです。

高校野球に素晴らしい選手は大勢いますが、津森君のような選手こそ高校野球の「鏡」のように思えます。



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ハクソー・リッジ



昨日、以前から気になっていた映画をテレビで観ることができました。

映画の題名は、「ハクソー・リッジ」です。

第二次世界大戦中、「硫黄島の戦い」と並んで最激戦地と言われた「沖縄の戦い」を元に描かれた映画です。

沖縄の戦いは、第二次世界大戦末期の1945年、沖縄諸島に上陸したアメリカ軍とイギリス軍を主体とする連合国軍と日本軍との間で行われた戦いです。

連合国軍の目的は、日本本土攻略の為のマリアナの基地と共同体制をとれる対日本本土爆撃の為の航空基地確保と、日本本土進攻の補給基地の確保でした。

日本軍の目的は、特別攻撃隊を主力とする航空攻撃によって連合国軍に大打撃を与え、有利な条件で講和を結ぼうという「一撃講和」を大本営が目指していたのに対し、現地の第32軍司令部は本土決戦に向けた時間稼ぎの「捨石作戦」を意図するという不統一な状況だったといいます。

第32軍は、連合国軍を内陸部に誘い込んでの持久戦を基本方針として戦い、特に首里(現在の那覇市の一部)北方で激戦となりました。

1945年5月末に第32軍の首里司令部は陥落し、6月23日には牛島司令官らが自決しましたが、その後も掃討戦は続き、連合国軍は7月2日に沖縄戦終了を宣言しました。

沖縄での両軍及び民間人を合わせた戦没者は20万人と言われ、その内訳は、日本軍側の死者・行方不明者は188,136人で、アメリカ軍側の死者・行方不明者は20,195人だったといいます。



上の写真が、映画「ハクソー・リッジ」の戦場となった場所です。

地形が変わるほどの激しい艦砲射撃が行われたことや、月日の経過もあって、当時の「ハクソー・リッジ」の面影は残っていません。

「ハクソー・リッジ」とは、浦添城址の南東にある「前田高地」と呼ばれた日本軍陣地で、北側が高さ150mの急峻な崖地となっており、日米両軍の激戦地となったことから、米国軍がこの崖を「ハクソー・リッジ(のこぎり崖))と呼びました。



映画の主人公のデズモンド・ドスは、ヴァージニア州の豊かな緑に囲まれた町で生まれ育ち、セブンスデー・アドベンチスト教会の敬虔な信徒でした。

しかし、家族に問題を抱えていました。

父親のトムは、兵士として戦った第一次世界大戦で心に傷を負い、酒におぼれ、家庭内暴力が絶えない日々を送っていたのです。

ある日、父親が母親に暴力を振るい、銃を手にした時、デズモントは銃を取り上げ、その銃を父親に向けます。

実際には発砲しないのですが、後に、デズモントは「心の中で撃った」と告白します。

その日以来、デズモントは「二度と銃は手にしない」と誓います。

そんなデズモントは、第二次世界大戦が日に日に激化し頃、「衛生兵であれば、自分も国に尽くすことができる」と陸軍に志願します。

しかし、訓練初日から、デズモンドの「人を殺さない」という主張が部隊を揺るがします。

軍隊において銃の訓練は必須ですが、デズモンドは頑として銃を手にすることを拒んだのです。



軍服や軍務には何の問題もなく、「人を殺せないだけです」と主張するデズモンドに対し、上官であるグローヴァー大尉は「戦争は人を殺すことだ」と呆れ、「命令に従えないのなら、除隊しろ」と宣告します。

しかし、出征前に予定されていたドロシーとの結婚式の日、デズモンドは、中隊長から「ライフルの訓練を終えないと休暇は許可できない」と言われ、命令拒否として軍法会議にかけられることになります。

面会に訪れたドロシーに「銃に触れないのは、プライドが邪魔しているからなの?」と問われますが、デズモンドは「信念を曲げたら、君が好きになってくれたデズモントではなくなる」と答えます。

それを聞いて、デズモンドの深い想いに心を打たれたドロシーは、「決して変わらないで。何があろうと、私だけは、あなたを愛し続けます」と励まします。

軍法会議では、「戦争では人を殺すが、僕は助けたい」と堂々と主張するデズモンドでした。

軍法会議で有罪になる可能性が極めて高いデズモントでしたが、息子の窮地を救うべく、父親のトムが元上官だった准将に会って書いてもらった「良心的兵役拒否は憲法で認められており、デズモンドが信教上の理由から武器に触らないことには何の問題もない」という手紙を裁判長に手渡し、その結果、デズモンドの主張は認められ、武器を持たずに戦場に行くことが認められます。



1945年5月、グローヴァー大尉に率いられ、デズモンドは「ハクソー・リッジ」に到着します。

そこは、先発部隊が6回登って6回撃退された末、壊滅した激戦地でした。

150mの絶壁を登ると、そこには百戦錬磨の軍曹さえ見たことのない死の世界が広がっていました。

前進した瞬間、四方八方から日本軍の攻撃に遭い、兵士達は次々と倒れていきます。

そんな中、デズモントは、他の衛生兵なら見捨てるほどの重傷の兵士達の元へ駆け寄り、「俺が家に帰してやる」と声をかけ、応急処置を施し、肩に担いで降り注ぐ銃弾の中を走り抜けます。

ひるむことなく何度でも、戦場に散らばった命を拾い続けるデズモンドに、いつしか感嘆の目を向け始める上官と兵士達。



デズモントは、たった1人で75人もの命を救ったといいます。

しかも、重傷を負って倒れている日本軍の兵士に手当てを施したことさえあるといいます。

終戦後、デズモントには、「良心的兵役拒否者」としては、アメリカ史上初めての名誉勲章が授与されました。

ミシェルのお父さんは、若い人達を戦場に送り込み、自分自身は最も安全な場所で好き勝手なことを言っているブッシュ元大統領やトランプ大統領は大嫌いですが、アメリカにもデズモントのような人が居たことを知り、救われたような気持になりました。



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テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

ラヒンチ・ゴルフ・クラブ



上の写真は、アイルランドが世界に誇る名門ゴルコースの「ラヒンチ・ゴルフ・クラブ」です。

ミシェルのお父さんは、ロンドンのバッキンガム宮殿近くで、新しい日本大使館を建設していた頃に、工事関係者とアイルランドにゴルフツアーに行き、ラヒンチ・ゴルフ・クラブでもプレイしました。

アイルランドの南西部には、バリーバニオン・オールドリンクス、カシェン、トラリー、ウォータービル、ラヒンチ、ドゥーンベッグ、オールドヘッド等の名門ゴルフ場があり、世界中のゴルファー達の憧れの場所です。

ラヒンチ・ゴルフ・クラブは、「アイルランドのセント・アンドリュース」とも称されています。

世界で「ラヒンチは、いいよね」と言うゴルファーに出会うと、「本物を知っているな」と尊敬の度合いが上がるとも言われています。

2017年に世界35位にランクされるほど評価が高いラヒンチは、1892年の創立です。

アレキサンダー・ショウとリチャード・プラマーが、リスカナーロードと呼ばれる道路の両側に9ホールを造ったことが始まりです。

その後、トム・モリス・シニア、アリスター・マッケンジー、マーティン・ホーツリーの3人が改修に関わっています。

アリスター・マッケンジーは、後にアメリカへ渡り、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ、サイプレス・ポイント・クラブ、ロイヤル・メルボルン・ゴルフクラブなど数々の名作ゴルフ場を造り上げています。

このラヒンチ・ゴルフ・クラブで、現在、アイリッシュ・オープンが開催されています。

日本からは、川村選手、谷原選手、宮里選手が出場していますが、1日目を終えて、川村選手が54位タイ、谷原選手が132位タイ、宮里選手が147位タイといった成績です。

日本の強豪選手の技術をもってしても、大変難しいラヒンチです。

特にリンクス(イギリスにある海沿いのゴルフ場)は、風雨が強くなると、何倍も難しくなります。



上の写真は、オールドコースの4番ホール(パー5、475ヤード)です。

距離は長くありませんが、フェアウェイは狭く、ラフは長い、難しいホールです。

アメリカのゴルフマガジン誌で、2000年度の世界ベスト500ホールに選ばれました。



上の写真は、オールドコースの5番ホール(パー3、154ヤード)のグリーンです。

グリーンが小山に囲まれており、ティーグラウンドからは、グリーンもピンの位置も見えない完全ブラインドの名物ホールです。

ミシェルのお父さんがプレイしたのは30年も前ですが、このホールの景色は、いまだに覚えています。



上の写真は、オールドコースの7番ホール(パー4、436ヤード)のティーグラウンドからの景色です。

左に海が広がるやや左ドッグレッグのホールです。

ティショットは打ち上げで、セカンドは緩やかな打ち下ろしになり、傾斜が強い砲台グリーンに打っていきます。



上の写真は、オールドコースの11番ホール(パー3、170ヤード)のグリーンです。

グリーンの奥には海が広がり、緩やかな打ち上げホールです。

傾斜が強い2段グリーンで、3パットや4パットも珍しくありません。



上の写真は、オールドコースの16番ホール(パー3、195ヤード)のティーグラウンドからの景色です。

打ち下ろしで、4つのバンカーとヒース(地面に這うように生えている植物で、ボールが入ると打つのが困難)でグリーンが囲まれています。

グリーンもうねりが強く、ボールが乗っても安心はできません。


追記:
2日目を終えて、川村選手は3アンダー・31位タイと健闘していますが、谷原選手は5オーバー・125位タイ、宮里選手は12オーバー・154位タイで予選落ちとなりました。(トップは、9アンダーのザンダー・ロンバード選手)



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テーマ : ゴルフ
ジャンル : スポーツ

プロフィール

カリーノパパ

Author:カリーノパパ
●シェリー(シェルティー母):
 とっても優しい理想的な家庭犬
 アンジェの母親です

2016.4.18永眠、享年15歳11ヶ月

●アンジェ(シェルティー娘):
 ボール遊びと食事が大好きです
 我が家で生まれました

2018.5.5永眠、享年14歳10ヶ月

●カリーノ(ラフコリーの女の子):
 ショードッグ
  【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 FCIインター・チャンピョン 
 【主な賞歴】
 2009年アジアインターBOB
 2010年ジャパンインターBOB
 2010年近畿インターBOB
 2010年東北インターBOB 
 2010年ペディグリーアワード
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

2014.12.9永眠、享年8歳5ヶ月

●ミシェル(ラフコリーの男の子):
 陽気で優しく、人が大好きです
 ショードッグ
 【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 【主な賞歴】
 2011年神奈川インターWD
 2014年熱海愛犬クラブ展WD
 2014年山梨東ドッグコ展WD
 2015年沼津愛犬クラブ展WD
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

●カリーノパパ(人間):
 ミシェル達のお父さん
 本職は建築家(一級建築士)
 犬、スキー、ゴルフ、車、絵画が大好き
 1974年から大手建設会社の設計部にて勤務
 1986年に海外部門に異動し、14年間海外勤務
 内13年間をロンドンにて勤務
 2012年に大手建設会社を定年退職
 同年5月から河口湖でスローライフ開始

●訪問ありがとうございます。
4頭の犬と一緒に暮らしながら、日々感じたことを綴っています。
ミシェルとミシェルのお父さんであるカリーノパパが、記事やコメントを書いています。

●コメントは、ありがたく拝見し、返信させていただきます。

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