憧れのスキー選手達



上の写真の中央にいる人物は、1956年のコルチナ・ダンペッツオ・オリンピックにてアルペンスキー3種目(回転・大回転・滑降)で金メダルを獲得したトニー・ザイラーさんです。

このオリンピックの回転で銀メダルを獲得したのが、写真の右側にいる猪谷千春さんです。

その速さから「黒い稲妻」とも言われたトニー・ザイラーさんは、大変ハンサムでもあったので、引退後は映画俳優としても活躍しました。

ミシェルのお父さんがロンドン勤務当時に家族で、オーストリアの有名なスキー場であるキッツビュールにスキー旅行に行きました。

そして、YUKIお姉さんが、トニー・ザイラーさんが校長を務めるスキー学校に入学しました。

最後の日にフランス国家検定のスキー試験を受けたのですが、見事に合格し、校長のトニー・ザイラーさんからメダルを授与してもらいました。

これには、YUKIお姉さんよりも、ミシェルのお父さんの方が興奮してしまいました

余談ですが、猪谷千春さんは、引退後にAIU(アメリカの保険会社)の社長・会長にまで出世されました。

猪谷千春さんは、現在の天皇が皇太子であった頃にテニス友達だったのですが、その頃、美智子様は皇太子よりも猪谷千春さんの方に憧れていたという噂もあるようです



上の写真の中央にいる人物は、1968年のグルノーブル・オリンピックにてアルペンスキー3種目(回転・大回転・滑降)で金メダルを獲得したジャン・クロード・キリーさんです。

キリーさんが活躍した頃は、ザイラーさんの頃よりも専門化(回転・大回転の専門選手や滑降の専門選手)が進んでいたので、3種目に金メダルを獲得するのは奇跡とも言えました。

キリー選手は、滑降用のスキーだけで15本も用意し、それぞれに異なるワックスを塗っていたと言われていますが、気に入ったスキーのワックスが練習で殆ど無くなった状態で試合に臨んだにもかかわらず優勝しました。

ワックステクニックというのは大変難しく、距離3km程度で標高差1,000m程度の滑降コースの場合、標高差の雪質に合わせて3種類位のワックスを重ね塗りします。

そして、ワックスは極秘扱いされ、ワックスの専門家(ワックスマン)が他のチームに見られないようにして塗っています。

ザイラーさんは、世代が違い過ぎて名前に憧れていましたが、キリーさん世代が近いこともあって、ミシェルのお父さんにとっては真の憧れの選手でした



上の選手は、フランスの回転スペシャリストであったパトリック・リュッセルさんです。

パトリック・リュッセルさんは都会育ちの大学生スキー選手でしたが、1969~1970年頃のワールドカップにおける回転と大回転で何度も優勝しました。

彼が活躍する以前のスキーは、「前傾」と言ってスキーの前側に荷重するのがセオリーでしたが、リュッセルさんは、まるで椅子に腰かけているような姿勢でスキーの後ろ側に荷重し、ターンの後半でスキーを加速していたのです。

この技術は、それまでのセオリーとは対極的なもので、スキー界に大きな衝撃をもたらしました。

グルノーブル大学教授であったジョルジュ・ジュベールさんが当技術を研究し、グルノーブル大学の学生だったパトリック・リュッセルさんを通じて、その技術の優秀さを実証したという訳です。

余談ですが、当時のフランス男子チームには、アンリ・デュビラールという名の滑降スペシャリストがいました。

日本人のように小柄だったのですが、滑降で何度も優勝し、ミシェルのお父さんにとっては憧れの選手の一人でした。

ANRIお姉さんの名前の由来の一因でもあります



上の写真の女性は、1976年のインスブルック・オリンピックに西ドイツ代表として出場し、滑降と回転の2種目で金メダルを獲得し、大回転で銀メダルを獲得したロジー・ミッタ―マイヤーさんです。

ミシェルのお父さんより1歳年上のミッタ―マイヤーさんは、ドイツ人として、スキー選手としては小柄な女性でした。

それにもかかわらず、回転・大回転・滑降とも強い稀有な選手でした。

ミッタ―マイヤー選手は、滑降競技中の転倒で2回ほど頭がい骨骨折を経験しています

当時の滑降競技は、安全対策は殆ど無く、生身の身体で最高130~150km/時の速さでコースを滑り降りていたのです。

選手はヘルメットをかぶっていますが、高速でアイスバーン状のコースを転倒すると、ヘルメットが割れてしまいます。

当時は、コース脇に安全ネットも緩衝材も無かったので、岩肌にぶつかったりして、毎年何人かの選手が死亡しました。



上の写真の人物は、オリンピックで3つのメダルを獲得したイタリアのグスタヴォ・トエニさんです。

トエニさんが活躍する以前のイタリアは、スキーのアルペン競技において強い国ではなかったのです。

しかし、トエニさんがパトリック・リュッセルと同様のテクニックを駆使して回転と大回転に優勝するようになり、一躍アルペン競技の強豪国の一つになりました。



上の写真の人物は、「史上最強の天才スラローマ―(回転選手)」と言われるスウェーデンのインゲマル・ステンマルクさんです。

ステンマルクさんが活躍する以前のスウェーデンは、スキーのアルペン競技においては弱い国でした。

また、ステンマルクさんが活躍する以前の回転や大回転競技は、100分の1秒単位で順位が争われていました。

しかし、ステンマルクさんが優勝しだすと、1位と2位の差が、しばしば5秒前後という異次元の大差となることがありました

そんなステンマルクさんの圧倒的勝利が続くと、ライバル選手達は「ステンマルクに次ぐ2位は、優勝と同じ価値がある」と言うほどになりました。

ステンマルクさんが、それまで無名だった「ELAN(エラン)」というスキーを使用していたことも衝撃でした。

当時は、フランスやオーストリア製のスキーが主流だったので、ステンマルクさんの活躍によって、スロベニア製のELANは一躍注目を浴びました。

ミシェルのお父さんは、早速、ステンマルクさんが使用していたスキー帽子とELANを購入しました



★ランキングに参加中です。
↓ポチッと押して下さると嬉しいです♪

スポンサーサイト

テーマ : スキー
ジャンル : スポーツ

任命責任



日本相撲協会は、今日、東京・両国国技館で諮問機関である横綱審議委員会の臨時会合を開きました。

10月に起きた元横綱日馬富士の貴ノ岩への暴行について、北村正任委員長(元毎日新聞社長)は「日馬富士はすでに自ら引退を表明しておりますけど、当委員会としても、この暴力事件・傷害事件は『引退を勧告するに相当する事案』だったと判断いたしました」と発表しました。

また、現場に居合わせながら、事件に発展することを防げなかったとして、白鵬と鶴竜の両横綱に「責任を軽く見るべきではない。協会全体として取り組んでいる暴力絶滅への心構えに徹するように、両横綱に厳重に注意すべき」とする進言を相撲協会に行うと明かしました。

このニュースをテレビで見て、ミシェルのお父さんには、疑問に感じることがありました。



今日の横綱審議委員会の北村委員長の発言を聞いて、「まるで安倍首相と一緒だな」と思ったのです。

安倍政権になって、不祥事の為に数多くの大臣が任期途中で辞任しています。

その度に、安倍首相は「任命したのは私であり、任命責任は総理大臣である私にあります」と語っています。

しかし、これまでに安倍首相が責任を取った姿を一度も見ていません。

組織のトップというものは、部下だけに責任を押し付けるのではなく、自らが部下が犯した責任を取り、潔く身を引くのが本来あるべき姿ではないでしょうか。



今の日本の政財界やスポーツ界の組織を見ると、問題が発生した時には「トカゲの尻尾切り」が行われ、トップは権力の座にしがみ続けるというケースがあまりにも多いように感じます。

2007年の時津風部屋の力士暴行死事件で再発防止検討委員会の外部委員を務めた漫画家のやくみつるさんは、次のように語っています。

相撲の世界には「国もん」という言葉があって、生まれた土地での結びつきが強い競技であることは間違いない。

でも、土俵をずっと見ている方には判る。

モンゴル勢同士の中で優勝争いは起こりません。

「これはどうしてでしょう?」ということですよ。

かつて、八百長問題が浮上した際に、相撲協会自身が「八百長はあった」と認めましたね。

あの処分の際に解雇されたのは、主に十両以下と幕下の力士でした。

しかし、当時から私が言っているのは「巧妙に影響のないところ(立場が下の力士)を切ったのでは」ということです。

興行に影響のありそうな(高い)地位の力士達の中で、それを推認させるような傾向もあった。

しかし、協会は「知らぬ、存ぜぬ」で通した。

「その時の(八百長の)温床を残したりはしていないんですか?」と思います。

やくさんが指摘するように、週刊誌でもモンゴル出身力士同士の「星のやり取り疑惑」が報じられています。

そんなこともあってか、貴乃花親方は、弟子の貴ノ岩にモンゴル会などへの出席を禁じていたといいます。

ミシェルのお父さんがテレビのニュースを見ていて疑問に感じたのは、「引退勧告に相当するような力士を横綱に推挙した横綱審議委員会のメンバーには、全く責任は無いのですか?」という点です。

もし、ミシェルのお父さんが横綱審議委員会の委員長なら、真っ先に「横綱審議委員会が推挙した横綱が、あってはならぬ暴力事件を起こした責任を取り、私自身も辞任させて頂きます」と謝罪し、自らの責任を明確にすると思います。



★ランキングに参加中です。
↓ポチッと押して下さると嬉しいです♪

テーマ : 大相撲
ジャンル : スポーツ

違和感



上の写真は、先日開催されたグランドスラム東京大会の男子100キロ超級決勝の様子です。

オリンピック銀メダリストの小川直也氏を父に持つ小川雄勢選手(明大3年)が、リオデジャネイロオリンピック100キロ級金メダリストのルカシュ・クルパレク(チェコ)に、延長戦の末、優勢勝ちして初優勝を飾りました。

しかし、この試合を含めた柔道の試合を見ていて、ミシェルのお父さんは、いつも違和感を抱いています。

例えば、今回の小川選手の試合ぶりですが、決勝戦まで5戦して、内4戦が「相手の反則負け」による勝利でした。

この「反則負け」は、なにも乱暴なことをしたから「反則負け」ということではありません。

積極的に技を仕掛けず、消極的な姿勢を取った場合などに「指導」が与えられ、「指導」を3回受けると「反則負け」となるのです。

「指導」を受けたのは、小川選手の相手だけではなく、小川選手も「指導」を受けており、たまたま相手の選手が先に3回の「指導」を受けてしまったという状況でした。

本来の柔道の試合らしい動きは殆ど見られず、ただ選手同士が組み合っていただけのような試合なので、両方の選手とも全くダメージは無く、正直言って「これが柔道なの?」「これで優勝なの?」と違和感だけが残りました。



ミシェルのお父さんは、父親が柔道4段だったこともあって、子供の頃、「柔道」に関して「柔よく剛を制す」という言葉をよく耳にしました。

柔道の技の極意を言い表した言葉だと思いますが、その結果、「柔道」とは「身体の小さい者でも身体の大きな者に勝つことができる武術」と理解していました。

しかし、今の「柔道」は体重制になり、身体の小さい者が身体の大きな者を投げ飛ばすシーンは全く見られなくなり、「剛よく勝敗を制す」かのようになってしまいました。

また、「柔道」とは、本来、武術であると同時に「心の修練」も求められるものと理解していますが、今の「柔道」は、オリンピックを始め「勝利至上主義」になってしまったように思えます。

その結果ゆえか、オリンピックで2度も金メダルを獲得した日本の柔道選手が、婦女暴行の罪で実刑判決を受けるという誠に情けない事件まで発生しています。



国際柔道連盟の規約前文においては、「柔道は、1882年、嘉納治五郎によって創始されたものである」と謳っています。

嘉納治五郎は、1860年12月10日、兵庫県神戸市東灘区御影町で生まれました。

嘉納家は御影に於いて屈指の名家であり、祖父の治作は酒造・廻船にて甚だ高名があったといいます。

その長女・定子に婿入りしたのが、嘉納治五郎の父・治朗作でした。

治作は治朗作に家を継がせようとしましたが、治朗作はこれを治作の実子である義弟に譲り、自らは廻船業を行って幕府の廻船方御用達を務め、勝海舟のパトロンともなったそうです。

ちなみに、同じ嘉納家で「嘉納三家」と呼ばれる家には、菊正宗酒造や白鶴酒造があるそうです。

嘉納治五郎は、1870年、明治政府に招聘された父に付いて上京し、東京で書道や英語などを学び、後に現在の東京大学に進学しました。

嘉納治五郎は、当時、自身の虚弱な体質から力の強い者に負けていたことを悔しく思っていて、「非力な者でも強い者に勝てるという柔術を学びたい」と考えていたそうです。

そして、天神真楊流柔術の福田八之助に入門します。

嘉納治五郎は、天神真楊流と起倒流柔道の乱捕技を基礎に、起倒流の「崩し」の原理を研究して整理体系化し、修身法、練体法、勝負法としての修行面に加えて人間教育の手段であるとして「柔道」と名付けました。

そして、1882年、下谷にあった永昌寺という寺の書院12畳を道場代わりとして「講道館」を創設しました。

嘉納治五郎の「柔道」が全国に広まったきっかけは、1888年頃に開催された警視庁武術大会での勝利でした。

この試合で講道館の実力が認められ、講道館柔道が警視庁の柔術として採用されたのです。

嘉納治五郎は、教育者としても有名で、1882年から学習院教頭、1893年から現在の筑波大学の校長を務めました。



上の写真は、「講道館四天王」の一人であった西郷四郎です。(前列左側。153㎝、53㎏)

西郷四朗は、映画やテレビのヒーローであった姿三四郎のモデルと言われています。

ミシェルのお父さんも子供の頃、テレビの姿三四郎(竹脇無我さんが演じる)を見て憧れたものです

美空ひばりさんが歌った「柔」の「勝つと思うな、思えば負けよ」という歌詞にも、心を打たれました

西郷四朗は、会津藩士・志田貞二郎の三男として若松に生まれ、16歳の時に会津藩家老・西郷頼母の養子となりました。

1882年に上京して陸軍士官学校の予備校であった成城学校に入学し、天神真楊流柔術の井上敬太郎道場で学んでいた時に同流出身の嘉納治五郎に見いだされ、講道館に入門したのです。

西郷四朗の得意技は有名な「山嵐」でしたが、嘉納治五郎をして「西郷の前に山嵐なく、西郷の後に山嵐なし」と言わしめるほどの技でした。

テレビで姿三四郎が、自分よりも強いと思われる柔術家の村井半助や檜垣源之助や檜垣鉄心・源三郎兄弟らと戦い、激闘の末に「山嵐」で勝利するシーンに拍手喝采したものです

そんな姿三四郎が、戦いの合間に、師範から教えられた「人間として大切な心」と葛藤するシーンにも、子供ながらに「何が本当に大切なことか」を考えさせられたものでした。



★ランキングに参加中です。
↓ポチッと押して下さると嬉しいです♪

テーマ : 古流武術・武道
ジャンル : スポーツ

「ゴルフの精神」とは


日本ゴルフツアー機構(JGTO)は、今年10月の国内男子下部ツアー「太平洋クラブチャレンジトーナメント」で、齋藤拳汰選手がスコアカードを改ざんしたとしてジャパンゴルフツアーへの出場を10年間停止とすると発表しました。

齋藤選手は、大会最終日にマーカーが記載したスコアカードの2箇所を消しゴムで消し、実際のスコアよりも1打ずつ少なく書き直したというのです

処分理由として、JGTOは「ゴルフ規則第1章に規定する『ゴルフの精神』に反する重大な違反行為であり、除名処分も考えられたが、会長をはじめとする各委員から今回が初めての行為であること、本人が20歳の若者であり、深く自省することにより将来に向けての更生を強く期待している為」と説明しました。

しかし、全てのゴルファーの見本となるべきプロゴルファーが、意図的にスコアの改ざんをしたというゴルフの根幹を揺るがす違反に対し、果たして10年間の出場停止で妥当なのか否かが議論の的となっています。



齋藤選手は若手のプロゴルファーですが、有名なプロゴルファーの中にも違反の疑惑を持たれた選手はいます。

1994年のマスターズ初日の18番ホールで事件は起きました。

尾崎将司選手がアドレスした際にボールが動いたのですが、尾崎選手は、そのままボールを打ったのです。

そのルール違反を目の前で見ていたギャラリーの指摘により、尾崎選手には2打罰が課せられました。

また、尾崎選手は、度々、ライの改善疑惑が指摘されていますが、1997年の中日クラウンズ最終日でもグレグ・ノーマン選手によって疑惑が指摘されました。

2番ホールでティーショットをラフに打ち込んだ尾崎選手は、ドライバーを持ったままセカンド地点まで行き、一旦ドライバーでアドレスをした(ボールの後方の芝をドライバーのソールで抑えた?)後、アイアンに持ち替えてショットをしたのです。

一連の動作を見ていたノーマン選手は、競技委員に「尾崎の行為は、ライの改善ではないのか」と指摘しましたが、何故か日本の芝の違いを理由に抗議は受け付けられなかったのです

ノーマン選手は、競技終了後に「ゴルフのルールは誰に対しても平等であり、世界共通でなければならない」という言葉を残して会場を去りました。



一方で、今年のBMW―PGA選手権(欧州ツアー)では、賞賛すべき出来事がありました。

アーニー・エルス選手が打ったボールが、バンカー際の土の中に深く埋まってしまったのです。

エルス選手は、自分のボールかどうかを確認するため、ルールに従って埋まったボールを一旦取り出し、自分のボールであることを確認し、再び元の埋まった状態に戻しました。

そして、そのボールを打ったら、そのままカップに転がり込み、チップイン・イーグルを達成しました。

ギャラリーの拍手喝采に手を挙げて「サンキュー!」と応えたエルス選手でしたが、直ぐに競技委員を呼び、「こんなに簡単に打ち出せるはずがないくらいボールは深く埋まっていた。つまり、私がボールを元通りの状態に埋め戻せずに打ってしまったということになる。このままでは、自分自身が納得いかない」と主張したのです

エルス選手は、結局、このホールのスコアをイーグルからパー(2打多い)に変えてスコアカードを提出しました。

誰に指摘された訳でもないのに、自ら疑惑を申告したのです。

これこそが、まさに「ゴルフの精神」と言えるのではないでしょうか。



2016年のパナソニックオープン2日目、18番ホールのプレイを終えたケーシー・オトゥール選手は、競技委員に「18番のバンカーショットで、バックスウィングの際にクラブのヒールが砂に触れたかもしれない。VTRで確認して欲しい」と申し出ました。

しかし、同伴競技者の高山選手と競技委員は、VTRを見てもクラブが砂に触れた様子は確認できませんでした。

それにもかかわらず、オトゥール選手は「疑わしいと自分が思う状況で、これ以上プレーは続行できない」と言い、予選通過ができなくなることが解っていながら、自ら2打罰を課したのです。



2011年の全米オープンでは、ウェブ・シンプソン選手が「アドレスした際にボールが動いた」と自己申告し、優勝のチャンスを逃して2位になりました。

この時、競技委員としてシンプソン選手についていた川田太三氏は、シンプソン選手に「リスペクトします。このことは、ゴルフの神様が見ていて必ず返してくれますよ」と声をかけたそうです。

翌年、その言葉どおりとなり、シンプソン選手は、念願の全米オープンを制しました



ゴルフの「自己申告」で最も有名なのは、1925年の全米オープンで起きた出来事です。

球聖ボビー・ジョーンズ選手が打ったボールは、深いラフの中に飛び込みました。

深いラフの中のボールは、ジョーンズ選手以外の誰にも見えない状態だったにもかかわらず、ジョーンズ選手は「草か風かによって、ボールが動いたような気がした」と同伴競技者に自己申告したのです。

このことで1打罰が加算され、ジョーンズ選手は他の選手と首位タイとなり、その後のプレーオフで敗れて優勝を逃しました。

メディアはジョーンズ選手の行為を賞賛しましたが、ジョーンズ選手は「スコアを誤魔化さなかったのを褒めてくれるのは、銀行強盗をしなかったと褒めてくれるようなものだ」と語り、ゴルフが極めて精神性の高いスポーツだと世間に知らしめました。



★ランキングに参加中です。
↓ポチッと押して下さると嬉しいです♪

テーマ : ゴルフ
ジャンル : スポーツ

角道の精華



日馬富士と貴の岩の間で起きた暴行事件について、テレビでは色々なコメントが報道されています。

そして、暴行事件そのものに留まらず、相撲道や横綱の品格にまで話は及んでいます。

貴の岩の親とも言える貴乃花親方は、九州場所が終わった時に次のように語っています。

今場所が終わった次の日から、身体を休める、身体を鍛える、精神を養う、精神を休める、よく眠る、熟睡する。

その心掛けが、次の場所への土台になっていきます。

15日間というのは、とても過酷です。

それだけに、夜も朝も昼も鍛錬、食事、睡眠、これを心がけて三位一体で努力は勿論のこと、精進していく構えであるべきと考えております。

私が自分でこの部屋の代を継いだ後にも、その以前から私の師匠の教えでもありました。

けれども、私は自分の弟子で本気で相撲道に向き合う力士しか育てたくありません。

決して相手を傷つけることなく、勝負が終わったならば、相手に手を差し伸べられるだけの度量、器量、実力を身につけさせたいと思います。

そしてやはり、日本国体を担う相撲道の精神、相撲道の精神とは、角道と言います。

角(くら)べる道と書きます。

私どもが相撲協会教習所に入りますと、陛下が書かれた角道の精華という訓があります。

これを見て、いちばん最初に学びます。

この角道の精華に嘘つくことなく、本気で向き合って担っていける大相撲を。

角界の精華を貴乃花部屋は叩かれようが、さげすまれようが、どんな時であれども、土俵にはい上がれる力士を育ててまいります。

その為には、私自身も、親方・師匠として腰引くことなく、身を引くことなく、まっすぐと向き合って皆さまのご支援に報いるよう精進いたします。



上の言葉が、角道の精華です。

その意味は・・・

1年を通して心と技を磨き、日々鍛錬に励む

学問と武士の精神を学び、両方を修める

立ち合いの際、相手との呼吸を合わせる

相撲道に精進してこそ日本に輝ける



貴乃花親方は、次のようにも語っています。

私は15才で入門して以来、ひたすら相撲道を邁進して参りました。

相撲界は一般の方から見ると特殊な世界のようで、未だに国技である「相撲」は完全に理解されているとは言えません。

例えば、「横綱」についてですが、横綱とは「力士の中で最も強い者」「相撲という格闘技のチャンピオンである」と解釈されている方がおられることが残念でなりません。

同様に、相撲は「日本古来の格闘技」ではありません。

相撲とは、「神道」に基づき、男性が神前にその力を捧げる神事がその根源です。

横綱に強さだけではなく、品格や厳格さが求められるのは、相撲が神事である証しと言えるでしょう。

横綱とは、力士番付における最高位ではありますが、ただ勝ち星が多ければ良い、他の力士に比べて力や技に勝り、誰よりも強ければそれで良いという存在では決してありません。

相撲の道を志すものは、「強くなりたい」という思いと同時に、「日本の伝統文化を守る」という強い意志が必要だと私は常々考えて参りました。

それと同時に、相撲を通じて古来から脈々と受け継がれてきた日本文化の美学を後世に伝えていくことが、相撲に関わる全ての人間に課せられた義務であると考えております。

一方で、現役横綱の白鳳は、「いくら優しくて品格のある横綱であっても、結果を残さなければ引退です。そのことを考えると、勝つことが品格なんじゃないか」と語っています。

勝利数の点では偉大な横綱であることは間違いありませんが、貴乃花親方が語る「横綱」とは明らかに異なる点があるように思えます。



貴乃花親方は、万葉学者の中西進先生との対談を通じて、次のようなことも語っています。

相撲の立ち合いで、行司がかける「見合って、見合って」というかけ声については、日本語で「見合う」というのは「誉める」という意味があるそうです。

「これは、お互いに尊敬し合えるからこそ、真剣勝負ができるという深い意味が込められている証拠と言えます」という言葉を中西先生からお聞きし、中西先生が相撲道の本質を見抜いておられることに深く感じ入りました。

また、中西先生から「女性が土俵に上がれないのはどうしてですか?」と聞かれました。

この質問に対し、私は「相撲とは、元々、力士のどちらかが死ぬまで競い合うもの。土俵という闘いの場に、本来守るべき存在の女性を上げるわけにはいかない。女性を土俵に上げないのは、この精神があるからなのです」とお答えしました。



高野山別格本山清浄心院の池口恵観法主が貴乃花親方を励ますメールを送ったところ、貴乃花親方から「今の状況、若い頃から慣れております。全国民の皆様及び観衆の皆様の本来の幸せを感動という繋ぐ心で思慮深く究明し、心動かされる人の心を大切に真摯な姿勢を一貫して、この心の中に角道の精華として樹立させたいと思います」という内容のメールが返ってきたといいます。

その言葉を受けて、池口法主は「本当の相撲道に徹していけるような相撲協会になってもらいという気持ちがあると思う」と語っておられます。



貴乃花親方は、「暴力事件については警察にお任せしてある」ということで、敢えて沈黙を守っています。

その貴乃花親方の気持ちを代弁するかのように、妻であり女将である花田景子さんが、講演で次のようなことを語っています。

「綱は神聖なもの。神社のしめ縄と同じ。綱を締めている横綱は、神様に近い存在でなければいけない。だから10人の付き人がいて、横綱の生き様で、彼らに力士道、相撲道を見せていかなければいけない。これが力士の最高峰・横綱の使命だと思います」

「勝負師がいかに過酷か、横綱がいかに過酷で、その重責がいかほどかを夫の生活を目の当たりにして学んだ。土俵上には神がいますから神様を冒涜するような行為はしてはいけない」

「現役の頃は、お酒も殆ど飲まなかった。引退する直前ぐらいから、赤ワインは体にいいらしいわよ、と私が勧めましたけど、『感覚が鈍る気がする』と殆ど飲みませんでした。そんな話を弟子にすると、師匠が憧れの存在なので、弟子も殆ど飲みません」

「結婚したら、ペットボトルの蓋も開けてくれなくなった。そういうことで筋をおかしくすることもあるそうです。爪も、まわしを握る感覚が違ってくるからと、ヤスリで削っていました。彼の日々の生活を見ていると、それだけ身体を気遣わなければ、土俵で集中できないのかと思います」

沈黙を守ることで色々な誤解も生じているように思えますが、雑言に負けず、これからも「角道の精華」を極めていってもらいたいと思います。



★ランキングに参加中です。
↓ポチッと押して下さると嬉しいです♪



テーマ : 大相撲
ジャンル : スポーツ

相撲道


テレビでは、連日、日馬富士と貴の岩の間で起きた暴行事件が報道されています。

そのことに触れる前に、本日は、ミシェルのお父さんと大相撲との関わりについて書いてみたいと思います。



上の写真は、東京の両国に建っている新国技館です。

この新国技館は、お父さんが勤めていた鹿島建設の設計施工によって建設されました。

その経緯が、なかなかユニークなのです



上の写真は、第44代横綱の栃錦関です。

ミシェルのお父さんが、初めて大相撲に興味を持った頃は「栃若時代(栃錦と若乃花)」と呼ばれていました。

栃錦関は、引退後、春日野親方となり、1974年2月から1988年1月まで相撲協会の理事長を務められました。

春日野理事長は、かねてより「両国に新国技館を建てたい」と熱望されておられ、役員や関取衆の給与を削るなどして、なんとか150億円の建設予算を捻出しました。

そして、春日野理事長は、腹心の二子山事業部長(初代若乃花)を連れて、鹿島建設の石川六郎社長(当時)に会いに行ったのです。

鹿島建設の最終見積金額は161億5千万円で、相撲協会の150億円の予算では、11億5千万円足りません。

春日野理事長は、石川社長に対して「半端は切って下さい」と無茶な要求をぶつけました(借金をしたくなかったので、春日野理事長は150億円に拘ったのです)

春日野理事長は、更に「相撲には、横綱1人に力士5人でかかっていく『横綱5人掛かり』がありますが、社長には栃若2人掛かりです」と言いました。

その言葉に折れ、石川社長は、赤字覚悟で、11億5千万円もの減額を受諾したのです。

その後、石川社長は、笑いながら「ギリギリだから、負けられないと言っても引き下がってくれない。2人の名横綱に寄り切られてしまった」と語っていました

しかし、春日野理事長の要求は、減額だけではありませんでした。

昭和天皇が観戦に訪れる1985年初場所に間に合わせる為に、園遊会で、陛下に「工期を半年短縮します」と約束してしまったのです

赤字工事となる程の大幅な減額と半年物工期短縮を突き付けられた鹿島建設でしたが、設計部門と施工部門の両方にプロジェクトチームを作り、その難題に取り組みました。

最大の難題は、壁面だけで支えて巨大な空間を作る大屋根浩造だったのですが、新工法を開発し、工費の圧縮と工期の短縮を実現させました。

春日野理事長の「神聖な土俵を血で汚さないで欲しい」との要求に大しても、無事故無災害で応えました。



上の写真は、第45代横綱で「土俵の鬼」と呼ばれた初代若乃花関です。(引退後は二子山親方)

ミシェルのお父さんが子供の頃、最も好きなお相撲さんでした。

家族でバンクーバーを旅行していた際に寿司屋に入ったら、偶然、中に二子山親方と奥様が居られ、少し話をさせていただきました

二子山親方は、1988年2月から1992年1月まで相撲協会の理事長を務められました。

ミシェルのお父さんは、1986年から2000年までロンドン勤務でしたが、1991年に大相撲のロンドン場所が開催されることになりました。

そして、二子山親方が鹿島建設に「ロンドン場所の土俵を作って欲しい」と依頼されてこられたのです



上の写真は、新宿の超高層ビルの一つである「新宿三井ビル」です。

余談ですが、新国技館の建設の話があった頃は、鹿島建設の建築設計本部は、このビルの中ほどに入居(4階分)していたのです。

建築設計本部所属だったミシェルのお父さんも、ここで働いていました。

新国技館の設計を行う為に集められた設計部の精鋭達が、特別に設営されたプロジェクト室で、連日連夜、悪戦苦闘していた姿が今でも鮮明な記憶として残っています。



上の写真は、ロンドンのハイドバーク公園の隣りに建つ「ロイヤル・アルバート・ホール」です。

ビクトリア女王が、夫であるアルバート公の為に建てた劇場で、通常は、クラシックバレーやクラシックコンサートやオペラなどが開催されています。

その由緒ある「ロイヤル・アルバート・ホール」が、ロンドン場所の会場になったのです。



この時の一番の難題は、土俵を作る為の「土」でした。

ロンドン勤務だった土木部門の社員が英国中の土を調べ、土俵に使えるか否かをチェックしたのです。

もし、英国の土が土俵に適さないと判明すると、日本から土を運び込まないといけませんが、そうなると、費用と時間が問題になるところでした

幸いにも、土俵に使える土が英国にもあることが判明し、この時は無時にロンドン場所を開催することができました



★ランキングに参加中です。
↓ポチッと押して下さると嬉しいです♪

テーマ : 大相撲
ジャンル : スポーツ

ゴルフ2題

先日行われたダンロップフェニックストーナメントは、米国のブルックス・ケプカ選手(27)が20アンダーで優勝しました。

2位に9打差もつける圧勝で、かつ昨年に続く大会連覇でした。

2位には、米国と韓国とタイの選手が入り、日本人最高位だった松山選手は、首位と10打差の5位でした。

ケプカ選手は今年の「全米オープン」を制した若手選手ですが、2014年まで欧州ツアーに参戦しており、米国のトーナメントに出始めたのは2015年からです。

欧州ツアー1勝、米国ツアー2勝のケプカ選手が、大会の2~3日前に来日して、いとも簡単に2勝をあげてしまうところに、今の日本男子プロゴルフ界の実力が現れているように思えます。

しかも、賞金総額2億円、優勝賞金4,000万円という、日本では大きな大会であるにもかかわらず、テレビ中継もされないことに、今の日本男子プロゴルフ界の危機的状況が伺えます。

また、話題作りの為に、松山選手と尾崎将司選手を同組でプレイさせましたが、今の尾崎選手に対抗できるはずもなく、結局は、2日間14オーバーで予選落ちとなりました。

ちなみに、尾崎選手の過去6年間の成績は、88戦して、予選落ちが48回、棄権が39回、決勝進出が1回(51位、賞金30万円)という惨憺たるものです。

このような選手がレギュラーツアーに出場し続けているのは、世界中で日本のトーナメントだけです。(予選落ちはともかく、棄権が39回というのはプロ資格以前の問題です)

世界レベルのトーナメントでレギュラー参戦しているのは松山選手だけという実情を、日本プロゴルフ協会は真剣に考えるべき時期だと思えます。



一方で、今最も大事な時期だというのに、松山選手は政治の世界に利用されてしまいました

トランプ大統領来日に際して、安倍首相は再びゴルフのおねだりをし、松山選手まで引っ張り込んだのです。

本来、スポーツと政治は切り離されるべきものですが、そのような配慮とは無縁のようです。

そのような愚行を神様もお怒りになったのでしょうか・・・

上の写真は、霞が関カンツリー倶楽部の1番ホールにあるバンカーです。

バンカーにボールを入れた安倍首相は、バンカーからの脱出に2回失敗し、ようやく3回目で脱出に成功します。

その時点で、待ちくたびれたトランプ大統領と松山選手は先を歩いて行きます。



安倍首相はバンカーの跡ならしもせず、慌ててトランプ大統領を追い駆けようと、バンカーからの脱出を試みます。



ところが・・・

大して深くもないバンカーですが・・・

何故かよろめき、あろうことか、後ろ向きに転倒してしまいます



安倍首相は、まるで亀さんのように後方に転がっていきます

英国のリンクスコースにあるような深いタコツボバンカーならば、後ろ向きに転倒する可能性はありますが、浅いバンカーで、このような転倒の仕方をするのを見たのは初めてです

あまりに見事なコケっぷりに、英国BBC、米国ABC、米国NBCなどの海外メディアもこぞって取り上げ、安倍首相の醜態は世界中に拡散されてしまいました。(実際の転倒の様子は、Youtubeで視聴可能です)

一緒にラウンドしていた時は安倍首相の転倒に気付かなかったトランプ米大統領でしたが、後でテレビ映像を見たようで、「感動した。今まで見てきたどの体操選手よりも素晴らしかった」と同行記者団に語ったそうです

あまりの不思議な転倒に、仲間であるはずの自民党内では「健康不安説」まで囁かれているそうですが、日本の政治が転倒しないように、くれぐれも注意していただきたいと願います。



★ランキングに参加中です。
↓ポチッと押して下さると嬉しいです♪

テーマ : ゴルフ
ジャンル : スポーツ

メイプルポイントゴルフクラブ



お友達のKさんのお誘いで、先日、東京の企業が主催するゴルフコンペに行ってきました。

場所は、山梨県上野原市にあるメイプルポイントゴルフクラブです。

上の写真が、コース側から見たクラブハウスです。

1994年開場のゴルフ場ですが、バブルの頃に計画されたようで、クラブハウスは高級ホテルのように豪華です。



ゴルフ場を運営するのは、会員制リゾートクラブのリゾートトラストです。

コース設計は、名匠ピート・ダイ氏です。

コースは全体に緩やかなアップダウンがあり、小川や池やバンカーが巧みに配されています。

グリーンは全般的にうねりがあり、難しいピンの位置によっては、4パットすることさえあります

コースレートは73で、平均以上の難易度のゴルフ場に分類されます。



コンペ当日は約140名の男女が参加しましたが、このコンペの為にゴルフ場は貸切でした

普段から入場者数を制限しているのか、コースは大変良い状態にメンテナンスされていました



上の写真は、クラブハウスのエントランス部分です。

モダンさとカントリー調がミックスされたようなデザインです。



上の写真は、エントランス側からアプローチ部分を見た景色です。

一般道路から入ってくるアプローチ部分には多数の木が植えられ、美しい雰囲気を醸し出しています。



上の写真は、エントランスホール横にある受付部分です。

一般的なカウンター方式ではなく、高級ホテルのコンシェルジュのようなデスクで受付業務を行っています。

ロッカールームなども個室感のある造りで、高級な木製のロッカーが設置されています。

コンペはダブルペリエ方式(12の隠しホール)で行われ、幸運にも飛び賞が当たり、英国の高級家電メーカーであるダイソンの冷暖房器具をゲットできました



★ランキングに参加中です。
↓ポチッと押して下さると嬉しいです♪

テーマ : ゴルフ
ジャンル : スポーツ

懐かしい光景



上の人物は、「情景師アラーキー」と呼ばれているジオラマ作家の荒木智さんです。

1969年に東京で生まれ、大学で工業デザインを学ばれた後、家電メーカーのプロダクトデザイナーになりました。

46歳になった2015年に独立し、「作る!超リアルなジオラマ」や「凄い!ジオラマ」などの著書を通じて自作のジオラマを紹介されています。



上の車は、フォルクスワーゲンのビートルです。

東京に行ってしまった農家の跡取り息子(車の所有者)を待ちわびる間に、車体は錆びだらけになってしまいました。

古い納屋の壁には、懐かしい「オロナイン」の看板が掛かっています。



上の車は、ミシェルのお父さんが会社に就職した頃に憧れた車の1台である日産の「フェアレディ―240Zです。」

車体は錆びだらけになり、特徴の一つであったオーバーフェンダーも後ろ側が無くなっています。

後輪はパンクし、前輪は外れており、代わりにブロックがかまされています。



ミシェルのお父さんが子供の頃、車やリヤカーで、石焼き芋を売りに来ました。

おじさんが小さなラッパを吹くと、「あっ、石焼き芋だ」と判ります

何故か、家で焼く石焼き芋よりも美味しいのが不思議でした



上のジオラマは、船を造る造船所の光景でしょうか。

船は漁船のようで、夜釣り用のランプが多数ぶら下がっています。



こちらのジオラマは、すさんだ町の一角のようです。

落書きだらけのシャッターの前には、ホームレスのようなおじさんが座っています。

こういう光景は、ロンドンやニューヨークのスラム街でも見かけたように思います。


余談になりますが、先日、岐阜の納屋で、世界で1台しかない「1969年型フェラーリ365 GTB/4 デイトナ」が見つかったそうです。

長年、その存在すら忘れ去られてしまっていたようで、見つかった時の車は、埃まみれの状態だったようです。

車はオークションにかけられ、その希少性もあって、約2億5千万円で落札されたそうです



★ランキングに参加中です。
↓ポチッと押して下さると嬉しいです♪

テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

日本ゴルフ界の危機的状況



現在の日本のプロゴルファーで世界に通用するのは、松山選手ただ一人と言っても過言ではないように思えます。

その松山選手は、アメリカツアーに専念している為に、日本の試合には殆ど出られません。

先日、ミシェルが住む別荘地の隣りにある富士桜カントリークラブで、フジサンケイクラシックが開催されました。

しかし、今の日本の男子プロゴルフ界には、松山選手と石川選手以外に観客を呼べる選手がいないこともあって、会場は閑古鳥が鳴くような状態でした。(観客数は、4日間で約7千人)

人気が無い男子プロの試合数は減り続けていますが、これでは、更に減る可能性があるかもしれません



松山選手と並び、観客を呼べる数少ない日本の男子プロゴルファーが、石川選手です。

他人への応対の良さもあって、人気では松山選手を上回っているかもしれません。

しかし、その石川選手は、アメリカのレギュラーツアーの来季シード権獲得に失敗し、現在は、下部ツアーの選手達と追加のシード権獲得を目指して奮闘中です。

計4試合のポイント合計で、上位25名が追加のシード権を獲得できますが、石川選手は、1試合目の結果が50位と苦戦しました。



石川選手同様、岩田選手もアメリカのレギュラーツアーの来季シード権獲得に失敗しました。

日本では、優勝争いの常連だったほどの選手ですが、その岩田選手でさえ、アメリカでは予選ラウンドを突破し、決勝ラウンドに進むことさえ難しい状況です。

岩田選手は、石川選手のように下部ツアーの選手達と追加のシード権獲得を競う試合にさえ出場する資格がありません。

そんな岩田選手は日本に帰国してフジサンケイクラシックに出場しましたが、ここでは見事に優勝争いに絡んできました。



一方、日本の女子プロゴルフトーナメントは、活況を呈しています。

日本の女子プロゴルファーと言えば、昔は男性っぽい人が多かったように思えますが、最近は、タレントさんに勝るとも劣らないような美人選手が多くなりました

そんな日本人選手に加えて、韓国からも続々と実力を備えた美人選手が来日しています。

その一人が、イ・ボミ選手です。



今年は、優勝争いの常連になり、モデル顔負けの八頭身美人なのが、キム・ハヌル選手です。

イ・ボミ選手同様、いつもニコニコし、ミスショットをしても笑顔を絶やさず、日本人のおじさん達に絶大な人気を誇っています

あまり笑うことが無く、ミスショットをすると直ぐにふくれっ面をする日本人選手とは、好対照です。

アマチュアではなく、プロなのですから、日本人選手達はプレイ以外にも見習うべき点が多々あるように思います。



今年から日本のトーナメントに参戦し、韓国では「セクシー・クイーン」と呼ばれていたのが、アン・シネ選手です。

イ・ボミ選手とキム・ハヌル選手に続き、アン・シネ選手まで加わったのですから、日本のおじさん達が女子プロのトーナメントを見に行きたいという気持ちもよく解ります

しかし、現在は活況を呈している日本の女子プロゴルフ界ですが、更なる努力が必要だと思います。

男子同様、世界で通用する日本人女子選手が殆どいないのです。

アメリカでも活躍した宮里藍選手が引退してしまうことを考えると、もっと多くの若手選手が海外に飛び出すべきだと思います。

スポーツの世界でも、もう日本でだけ活躍していれば良い時代は終わったように思えます。



★ランキングに参加中です。
↓ポチッと押して下さると嬉しいです♪

テーマ : ゴルフ
ジャンル : スポーツ

プロフィール

カリーノパパ

Author:カリーノパパ
●シェリー(シェルティー母):
 とっても優しい理想的な家庭犬
 アンジェの母親です

2016.4.18永眠、享年15歳11ヶ月

●アンジェ(シェルティー娘):
 ボール遊びと食事が大好きです
 我が家で生まれました

●カリーノ(ラフコリーの女の子):
 ショードッグ
  【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 FCIインター・チャンピョン 
 【主な賞歴】
 2009年アジアインターBOB
 2010年ジャパンインターBOB
 2010年近畿インターBOB
 2010年東北インターBOB 
 2010年ペディグリーアワード
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

2014.12.9永眠、享年8歳5ヶ月

●ミシェル(ラフコリーの男の子):
 陽気で優しく、人が大好きです
 ショードッグ
 【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 【主な賞歴】
 2011年神奈川インターWD
 2014年熱海愛犬クラブ展WD
 2014年山梨東ドッグコ展WD
 2015年沼津愛犬クラブ展WD
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

●カリーノパパ(人間):
 ミシェル達のお父さん
 本職は建築家(一級建築士)
 犬、スキー、ゴルフ、車、絵画が大好き
 1974年から大手建設会社の設計部にて勤務
 1986年に海外部門に異動し、14年間海外勤務
 内13年間をロンドンにて勤務
 2012年に大手建設会社を定年退職
 同年5月から河口湖でスローライフ開始

●訪問ありがとうございます。
4頭の犬と一緒に暮らしながら、日々感じたことを綴っています。
ミシェルとミシェルのお父さんであるカリーノパパが、記事やコメントを書いています。

●コメントは、ありがたく拝見し、返信させていただきます。

●リンクフリーです。貼ったり剥がしたり、ご自由にどうぞ。

カレンダー
01 | 2018/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 - - -
最新記事
最新トラックバック
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
FC2カウンター
人気ブログランキング