懐かしい光景



上の人物は、「情景師アラーキー」と呼ばれているジオラマ作家の荒木智さんです。

1969年に東京で生まれ、大学で工業デザインを学ばれた後、家電メーカーのプロダクトデザイナーになりました。

46歳になった2015年に独立し、「作る!超リアルなジオラマ」や「凄い!ジオラマ」などの著書を通じて自作のジオラマを紹介されています。



上の車は、フォルクスワーゲンのビートルです。

東京に行ってしまった農家の跡取り息子(車の所有者)を待ちわびる間に、車体は錆びだらけになってしまいました。

古い納屋の壁には、懐かしい「オロナイン」の看板が掛かっています。



上の車は、ミシェルのお父さんが会社に就職した頃に憧れた車の1台である日産の「フェアレディ―240Zです。」

車体は錆びだらけになり、特徴の一つであったオーバーフェンダーも後ろ側が無くなっています。

後輪はパンクし、前輪は外れており、代わりにブロックがかまされています。



ミシェルのお父さんが子供の頃、車やリヤカーで、石焼き芋を売りに来ました。

おじさんが小さなラッパを吹くと、「あっ、石焼き芋だ」と判ります

何故か、家で焼く石焼き芋よりも美味しいのが不思議でした



上のジオラマは、船を造る造船所の光景でしょうか。

船は漁船のようで、夜釣り用のランプが多数ぶら下がっています。



こちらのジオラマは、すさんだ町の一角のようです。

落書きだらけのシャッターの前には、ホームレスのようなおじさんが座っています。

こういう光景は、ロンドンやニューヨークのスラム街でも見かけたように思います。


余談になりますが、先日、岐阜の納屋で、世界で1台しかない「1969年型フェラーリ365 GTB/4 デイトナ」が見つかったそうです。

長年、その存在すら忘れ去られてしまっていたようで、見つかった時の車は、埃まみれの状態だったようです。

車はオークションにかけられ、その希少性もあって、約2億5千万円で落札されたそうです



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日本ゴルフ界の危機的状況



現在の日本のプロゴルファーで世界に通用するのは、松山選手ただ一人と言っても過言ではないように思えます。

その松山選手は、アメリカツアーに専念している為に、日本の試合には殆ど出られません。

先日、ミシェルが住む別荘地の隣りにある富士桜カントリークラブで、フジサンケイクラシックが開催されました。

しかし、今の日本の男子プロゴルフ界には、松山選手と石川選手以外に観客を呼べる選手がいないこともあって、会場は閑古鳥が鳴くような状態でした。(観客数は、4日間で約7千人)

人気が無い男子プロの試合数は減り続けていますが、これでは、更に減る可能性があるかもしれません



松山選手と並び、観客を呼べる数少ない日本の男子プロゴルファーが、石川選手です。

他人への応対の良さもあって、人気では松山選手を上回っているかもしれません。

しかし、その石川選手は、アメリカのレギュラーツアーの来季シード権獲得に失敗し、現在は、下部ツアーの選手達と追加のシード権獲得を目指して奮闘中です。

計4試合のポイント合計で、上位25名が追加のシード権を獲得できますが、石川選手は、1試合目の結果が50位と苦戦しました。



石川選手同様、岩田選手もアメリカのレギュラーツアーの来季シード権獲得に失敗しました。

日本では、優勝争いの常連だったほどの選手ですが、その岩田選手でさえ、アメリカでは予選ラウンドを突破し、決勝ラウンドに進むことさえ難しい状況です。

岩田選手は、石川選手のように下部ツアーの選手達と追加のシード権獲得を競う試合にさえ出場する資格がありません。

そんな岩田選手は日本に帰国してフジサンケイクラシックに出場しましたが、ここでは見事に優勝争いに絡んできました。



一方、日本の女子プロゴルフトーナメントは、活況を呈しています。

日本の女子プロゴルファーと言えば、昔は男性っぽい人が多かったように思えますが、最近は、タレントさんに勝るとも劣らないような美人選手が多くなりました

そんな日本人選手に加えて、韓国からも続々と実力を備えた美人選手が来日しています。

その一人が、イ・ボミ選手です。



今年は、優勝争いの常連になり、モデル顔負けの八頭身美人なのが、キム・ハヌル選手です。

イ・ボミ選手同様、いつもニコニコし、ミスショットをしても笑顔を絶やさず、日本人のおじさん達に絶大な人気を誇っています

あまり笑うことが無く、ミスショットをすると直ぐにふくれっ面をする日本人選手とは、好対照です。

アマチュアではなく、プロなのですから、日本人選手達はプレイ以外にも見習うべき点が多々あるように思います。



今年から日本のトーナメントに参戦し、韓国では「セクシー・クイーン」と呼ばれていたのが、アン・シネ選手です。

イ・ボミ選手とキム・ハヌル選手に続き、アン・シネ選手まで加わったのですから、日本のおじさん達が女子プロのトーナメントを見に行きたいという気持ちもよく解ります

しかし、現在は活況を呈している日本の女子プロゴルフ界ですが、更なる努力が必要だと思います。

男子同様、世界で通用する日本人女子選手が殆どいないのです。

アメリカでも活躍した宮里藍選手が引退してしまうことを考えると、もっと多くの若手選手が海外に飛び出すべきだと思います。

スポーツの世界でも、もう日本でだけ活躍していれば良い時代は終わったように思えます。



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2017年全英女子オープン



今日から全英女子オープンが開催されます。

今年の開催コースは、ゴルフの聖地と言われる「セント・アンドリュース・ゴルフリンクス」から南東に向かって車で20分くらい行った所にある「キングスバーンズ・ゴルフリンクス」です。



ゴルフは、14世紀頃、羊飼いが野うさぎの掘った穴に石ころを入れて遊んでいたのが始まりと言われています。

ゴルフが文献に初めて登場するのは、スコットランド王のジェームス2世による「ゴルフ禁止令」です。

家来が、あまりにもゴルフに熱中し過ぎ、軍事訓練をサボっていた為に発令されたものです。



王の財宝とも言われる「キングスバーンズ・ゴルフリンクス」の「キングスバーンズ」とは、元々「王の納屋」という意味です。

かって、この一帯を統治していた王のフォークランド宮殿に収める農作物を収納していた場所であったことから名づけられました。

1793年頃は、9ホールだけ存在していたようですが、その後、第2次世界大戦の影響で閉鎖されました。

そして、2000年になり、アメリカ人のゴルフ場設計家のカイル・フィリップスが現在の18ホールを設計しました。

造成の際、コースと自然を上手くブレンドさせる為に多くの土を動かしたようで、通常のリンクスコースは地面が固いのですが、キングスバーンズ・ゴルフリンクスは一般的なゴルフ場のように地面が柔らかく、ショットの際にターフが取れると言われています。



ロンドンからセント・アンドリュースなどに行く場合は、通常、スコットランドの首都である「エディンバラ」を経由して行くのが一般的です。

エディンバラの旧市街と新市街の街並みは、ユネスコ世界遺産に登録されてほどの美しさを誇っています。



8月のエディンバラと言えば「エディンバラ・フェスティバル」が有名で、エディンバラ城では「ロイヤル・ミリタリー・タトゥー」が開催されます。

ロイヤル・ミリタリー・タトゥーとは、エディンバラ城のエスプラナード広場を、タータンチェックの伝統衣装に身を包んだスコットランド軍楽隊と兵士がパレードするイベントです。



ライトアップされた城の横で、兵士達が、バグパイプの音色と共に整然と行進する様は、とても厳かで感動的です。

ちなみに、この場合の「タトゥー」は、「刺青(いれずみ)」ではなく、軍隊の「帰営ラッパ」を意味しています。



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2017年全英オープンゴルフ



上の写真は、世界4大ゴルフトーナメントの一つである全英オープンの会場(2017年)「ロイヤル・バークデール・ゴルフクラブ」です。

ビートルズ発祥の地と言われる「リバプール」から北へ約30分ほど行った海浜リゾート地「サウスポート」にあるリンクスコース(海岸線沿いにあるゴルフ場)です。

1897年に開場したコースですから、今年で120年もの歴史を有しています。

今年が10回目の全英オープン開催となる英国を代表するゴルフ場です。



英国と言えば、「一日の内に四季がある」と言われるほど天候が変わり易いことが知られていますが、それに加えて、リンクスコースは海からの強風が吹くことでも有名です。

風が強い日と風が無い日では、クラブの選択において4〜5番手ぐらいの違いが生じます。



土地を造成して造られた箱庭のような美しさの日本のゴルフ場とは異なり、英国のリンクスコースは自然の地形のままであり、フェアウェイもグリーンもうねっており、ラフが深く、全英オープンに出場するようなゴルフの名手と言えども手こずります。

全英オープン開催のリンクスコースで、優勝スコアが悪いことで有名なのは、カ—ヌスティとバークディールです。



初日は、気温こそ低かったようですが、風は殆ど無く、バークデールとしては、意外とスコアは良かったようです。

しかし、2日目は一転して強風が吹き荒れ(最大風速15m)、日本の谷原選手、池田選手、宮里選手は、揃って大崩れし、予選落ちしてしまいました。

そんな状況の中、松山選手は10位と健闘し、世界トップレベルの選手であることを証明しています。



上の写真は、リンクスコースの典型的なバンカーです。

日本のように浅くて土手が低いバンカーではなく、小さくて深く、かつ土手が垂直に切り立っています。

この為、バンカーに入ったボールの位置によっては、打ちたい方向とは逆の方向に打たなくてはいけないケースも多々生じます。

寝不足を堪えながら、あと2日間、全英オープンを楽しみたいと思います



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イーグル・ジャンプ



本日は、2つ目の映画「イーグル・ジャンプ」を御紹介したいと思います

ミシェルのお父さんがロンドンへの出張を終えて、英国に正式に赴任したのは1987年早々のことでした。

その頃の英国は、スコットランドやヨーロッパまで行かないとスキーができないこともあって、スキー競技人口は少なく、競技の成績も低かったように記憶しています。

スキー競技に参加していた人もアルペン競技(回転、大回転、滑降)だけで、ジャンプ競技に出場していた英国人選手はいなかったように思います。

この映画は、その当時が舞台になっています。



イングランド南西部のチェルトナムで生まれたエディ・エドワーズは、幼い頃からオリンピック選手に憧れていました。

しかし、周囲の人達からは「近眼で運動音痴なエディには到底無理な話」だと馬鹿にされていました。

実際、色々なスポーツに挑戦しましたが、何れも大成することはありませんでした。

そんなエディが、ある日、テレビでスキージャンプ競技を見て「これならオリンピックに出られるかもしれない」と思います。

早速、英国のオリンピック委員会に行きますが、そこで、英国にはスキージャンプ競技者もスキージャンプチームも無いことを知らされます。

それではと、自分がスキージャンプの英国代表選手になるべく、練習場があるドイツのスキー場「ガルミッシュ・パルテンキルヘン」へと向かいます。



それまで、エディーはジャンプ台を飛んだことはありません。

そこで、エディは15m級のジャンプ台から練習を始めました。

この時、エディは22歳でしたが、殆どのジャンプ競技者は、ジャンプの練習を5歳前後から始めます

15m級のジャンプ台を飛べたエディは、次に40m級のジャンプ台に挑戦します。

スキー・エキスパートであるミシェルのお父さんの経験から言っても、ジャンプ競技の経験が無い者が、40m級のジャンプ台に挑戦することは自殺行為に等しいと思えます。

案の定、エディは無時に着地することはできなく、転倒の連続です。

しかし、40m級のジャンプ台を飛ぼうとすること自体は、恐るべき勇気と情熱だと思います。

ここで、エディは、いつも酒ばかり飲んでいるスキー場の整備係と知り合います。

そして、その人物はブロンソン・ピアリーという名前で、過去には天才スキージャンパーと称され、アメリカチームのオリンピック最有力候補だったことを知ります。

しかし、ピアリーは、傲慢な態度と素行不良が原因でアメリカチームを追放され、ドイツのスキー場で整備係として酒に溺れた日々を送っていました。

それを知ったエディは、ピアリーに「コーチになって欲しい」と頼みますが、22歳でジャンプを始めるエディは全く取り合ってもらえません



仕方なく、エディは一人で40m級の練習を続け、なんとか着地できるようになります。

そして、5歳頃からジャンプを始めた選手でも「飛ぶ時は怪我を覚悟する」と言われる70m級ジャンプ台に挑戦しようとします

そんなエディの情熱に心を動かされたピアリーは、エディのコーチを引き受けます。

二人でジャンプの練習を続け、エディはスキージャンプの英国代表の資格を獲得すべく、ついに競技会に出ることになります。



競技会で英国のスキージャンプ記録(41m)を樹立したエディでしたが、英国のオリンピック委員会がエディがオリンピック代表になる為に要求したのは、70m級で61mと言う記録でした。

エディがオリンピック代表になる為には、更に20mも遠く飛ぶ必要があります

エディは、練習で61m飛ぶことができましたが、本番では61mに届きません。

オリンピック代表になれなかったと失望したエディでしたが、練習で飛んだ61mが公式記録として認められ、ついに子供の頃からの夢であったオリンピック選手に選ばれます



エディは、1988年に開催されたカルガリー・オリンピックの英国代表として、70m級スキージャンプに挑みました。

優勝したのはフィンランドの「鳥人」と言われたマッチ・ニッカネンで、記録は2本とも89.5mでした。

そして、エディの記録は2本とも55.0mで、58人中58位でした。

しかし、エディの勇気と情熱が多くの人々の感動を呼び、エディは「エディー・ジ・イーグル(Eddie The Eagle)」というニックネームを与えられて一躍大人気を博しました。

エディは、その人気に甘えることはありませんでした。

70m級だけに出場予定だったのですが、なんと飛んだことが無い90m級にも出場することになったのです

90m級は、スタート地点から着地点までの標高差が約140mもあり、踏み切る時のスピードは時速100㎞前後です。

5歳頃からジャンプを始めた選手でも、90m級ジャンプ台を飛ぶ時は「死ぬことも覚悟する」と言われています

また、90m級ジャンプ台を飛ぶ感覚は、日本初の超高層である「霞が関ビル(高さ147m)の屋上から飛び下りる感じ」とも例えられます

90m級ジャンプ台のスタート地点周辺には、恐怖と緊張に包まれた選手達のオシッコの跡を数多く見かけます。

そんな恐ろしい90m級ジャンプ台に、一度も飛んだことが無いエディが挑んだのです。

勇気を振り絞って飛んだエディは、見事に着地することができました

優勝したフィンランドの「鳥人」マッチ・ニッカネンの記録は、118.5mと107.0mでした。

そして、エディの記録は71.0mと67.0mで、55人中55位でした。

1988年にテレビで競技の中継を見た時には、ミシェルのお父さんは「なんで、こんな選手がオリンピックに出たんだろう?」と不思議に感じましたが、今回、映画を観終った時には、お父さんの胸と目頭に熱いものがこみ上げてきました。



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ジャンル : 映画

ハドソン川の奇跡



最近、2つの映画を観て感動しました。(最新レンタルDVDにて)

本日は、その1つである「ハドソン川の奇跡」を御紹介したいと思います。

ミシェルのお父さんは何度も飛行機に乗り、何度か地球1周の旅行をしたこともありますが、それでも飛行機に乗る度に不安を感じます。

いかに安全に造られていても、あんなに重い機体が、重力の法則に逆らって飛んでいるのですから

映画「ハドソン川の奇跡」は、2009年1月15日(オバマ大統領就任直前)に実際に起きた飛行機事故を題材にしています。



ニューヨーク発シャーロット経由シアトル行きのUSエアウェイズ1549便は、乗員・乗客155名を乗せて、ニューヨークのラガーディア空港を定刻に飛び立ちました。

しかし、USエアウェイズ1549便は、ラガーディア空港離陸直後にカナダガンの群れに遭遇し、両エンジンが同時にバードストライク(エンジン内に鳥が吸い込まれてしまう事故)によってエンジンがフレームアウト(停止)してしまいます

カナダガンは、体重4kgもある大きな鳥で、その鳥が両エンジンに致命的な損傷を与えてしまったのです。

その為、飛行スピードは極端に落ち、飛行高度の維持もできなくなってしまいます。



機長のチェズレイ・サレンバーガーは、即座に操縦を副操縦士から交代し、同時に空港管制に対して事故の状況報告と非常事態を宣言します。

そして、副操縦士のジェフリー・B・スカイルズは、事態を改善すべくQRH(クイック・リファレンス・ハンドブック)を実施します。

事故発生直後、機長は最寄りの空港への着陸を目指し、ラガーディア空港かテターボロ空港への着陸を検討しますが、高度と速度が低すぎる為に空港への着陸は不可能と判断し、マンハッタンへの墜落を防ぐべく、ハドソン川への緊急着水を決断します。



その後、USエアウェイズ1549便はジョージワシントンブリッジをギリギリで回避しながら減速し、機長は着水間近に乗客に対して「衝撃に備えて下さい」とのみ伝えます。

事故発生から不時着水までの時間が、わずか208秒しかなかった為、機長は乗客に事故状況を詳細を伝える余裕はありませんでした。

しかし、3名のキャビンアテンダントは事故状況を察知し、乗客に対して適切な対処を行っていました。



事故発生から約3分が経過した時、USエアウェイズ1549便は、マンハッタンの西側を流れるハドソン川へ時速約270kmで滑るように着水しました。

幸いにも着水進入方向と川の流れが一致していた為、着水時に機体が受ける衝撃は少し抑えられました。

加えて、機体の姿勢も水面に対し水平に近かった為、機体の致命的な破損も避けられました。

スムーズな着水によって機体損傷は後部壁下部の一部だけで済み、乗客全員が迅速に機内から脱出シューター(着水時には救命いかだになる構造)及び両主翼に避難することができました。

着水後、損傷した後部から浸水が始まり、客室内にも浸水が始まりました。

機長とキャビンアテンダントは、決められた手順に従って行動し、乗客を機体前方へ誘導し、毛布や救命胴衣を乗客へ手渡しました。(この時の機外の気温は、氷点下6℃でした)

機長は最後まで機内に残り、既に浸水が始まっていた機体後方まで行って残された乗客の確認を2度行ない、乗員乗客全員が脱出したのを確認してから機外に脱出しました。



離陸直後に両エンジンがバードストライクで停止してしまうという未曽有の事故にもかかわらず、乗員乗客155名全員が無事であったことで、機長は「ヒーロー」として称賛されます。

一方で、機長と副機長は、何日もの間、まるで犯罪人であるかのように、事故調査の為の国家輸送安全委員会の厳しい質問に晒されます。

国家輸送安全委員会の嫌疑は、「極めて危険なハドソン川への不時着水ではなく、最寄りの空港に着陸できたのではないか」というものでした。

コンピューターに残ったデータが、その可能性を示していた為です。

更に、飛行機を製造したのがエアバス社だったこともあり、フランスで事故当時のシミュレーションが行われました。

そして、「USエアウェイズ1549便は、ラガーディア空港にもテターボロ空港にも着陸可能であった」という検証結果が出てしまいます

しかし、機長は「シミュレーションには事故直後のQRH作業などの時間が含まれていない」という問題を指摘し、その結果、QRH作業などの時間を含めたシミュレーションが再度行われます。

再シミュレーションでは、USエアウェイズ1549便は空港到着前に墜落する結果となり、更に市街地に墜落してより大きな惨事になっていた可能性も示され、ようやくハドソン川への不時着水が正当な判断であったことが立証されるのです



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ベル&セバスチャン続編



第二次世界大戦が終わり、ベルとセバスチャンが住む村にも平和が訪れました。

セバスチャンは、10歳になりました。

そして、前作でユダヤ人家族をスイス国境まで送り届けた後、イギリスに渡ってレジスタンスとしてドイツ軍と戦っていたおじいさんの姪のアンジェリーナが、村に戻って来ることになりました。

しかし、乗っていた飛行機がフランスとイタリアの国境にある山岳地帯で事故に遭い、アンジェリーナが行方不明になってしまいます。



アンジェリーナの生存を信じていたおじいさんは、飛行機を持っていたピエールに捜索を頼みます。



おじいさんが目を離した隙に、ベルとセバスチャンはピエールが操縦する飛行機に潜り込み、一緒に墜落現場へ向かってしまいます。



続編では、セバスチャンが実父と遭遇するそうです。

また、捜索の途中で大きな熊や山火事に遭遇したり、イタリア人の少女と出会ったりもするそうです。



続編は、日本では劇場未公開のようですが、2月下旬にレンタルDVDがリリースされるようです。

美しいヨーロッパアルプス、そして可愛いベルとセバスチャンの活躍を観るのが楽しみです



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テーマ : 洋画
ジャンル : 映画

ベル&セバスチャン



ミシェルのお父さんは映画が好きなので、河口湖に映画館が無いことを残念に思っています。

映画を観る為には、甲府まで行くか、レンタルDVDを借りることになります。

以前にも御紹介したのですが、犬と少年が主人公の映画「ベル&セバスチャン」がレンタルDVDになっていることを知りました。

そこで、早速、レンタルDVDを借りることにしました



この映画は、「名犬ジョリィ」としてアニメ化されて人気を博したセシル・オーブリーの世界的ベストセラ―文学「アルプスの村の犬と少年」を、自然と犬に人生を捧げるニコラ・ヴァニエ監督が戦時中のアルプスを舞台に映画化したものです。

フレンチアルプスの麓の小さな村で暮らす孤児セバスチャンは、学校にも行っておらず、友達もいない孤独な生活をしていました。

一緒に暮らすおじいさんからは「母親は、山の向こう側のアメリカに居る」と教えられ、いつか母親と会えることを待っていました。



羊を飼って生活しているおじいさんと一緒に「野獣」を探しに行きます。

その「野獣」とは元々近所で飼われていた犬なのですが、飼い主の虐待にあって逃げ出し、野生化してしまったのです。

村では、その「野獣」が羊を襲ったり、人を襲ったりしていると信じられ、狩猟の対象になっていたのです。



ある日、一人で居たセバスチャンの前に大きな灰色の犬が現れます。

セバスチャンは「この犬が野獣だ」と判りましたが、なぜか怖くなく、直ぐに友達になってしまいます。

友達がいなかったセバスチャンにとって、その日から、その犬が唯一の友達になります。

川で犬の身体を洗ってあげると、灰色に汚れていた毛は真っ白になりました。

犬の美しさと、犬が女の子であることを知ったセバスチャンは、その犬を「ベル(フランス語で美しいという意味)」と名付けました。



村を占領していたドイツ兵が、子育て中の鹿の母親を撃つのを見たセバスチャンは止めに入ります。

ドイツ兵によって地面に抑え込まれたセバスチャンを見て、ベルが助けに行きます。

ドイツ兵がベルに手を噛まれたことで、ドイツ軍は村人にベルの狩猟を命じます。

村人達による狩猟によって右後ろ足を撃たれたベルは、命の危険にさらされます。

セバスチャンの必死の介護で回復したベルは、羊を襲いに来た狼の群れを追い払います。

それを知ったセバスチャンのおじいさんは、自分が誤解していたことを謝ります。

丁度その頃、セバスチャンは、自分の母親が出産と同時に亡くなり、母親が生まれたばかりのセバスチャンをおじいさんに託したことを知ります。



当時のフランスはドイツ軍に占領されていて、ユダヤ人が捕らわれていました。

その為、フランスに住むユダヤ人はスイスなどに亡命していたのですが、セバスチャンの村でもユダヤ人の亡命を手助けしている人がいました。

亡命の手助けをしていた医者が足を負傷してしまい、代わりにおじいさんの姪がアルプスを越えてスイスの国境まで案内することになります。

しかし、途中でドイツ軍が見張っていることを知り、危険な氷河地帯を越えて行くことになります。

氷河地帯には危険なクレバスが多く存在し、その危険を察知する為にベルとセバスチャンも同行することになります。

そして、ベルとセバスチャンの活躍で、ユダヤ人家族は無事にスイス国境まで到達することができます

この映画を観ると、改めて犬が好きになったり、益々犬が好きになったりします。

ミシェルのお父さんもその一人で、映画を観終わった途端、横で身体をくっつけて寝ていたミシェルを思わず抱きしめました

訳が解らないミシェルは、「お父さん、どうしたの?」と不思議そうな顔をしていました



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And so it goes



ミシェルのお父さんは映画が好きなので、横浜に住んでいた当時は、近くのアウトレットモール内にある映画館に度々行きました。

しかし、河口湖には映画館が無いので、テレビかレンタルDVDで映画を観ることになります。

昨日、CSテレビのムービー・チャンネルを見ると、マイケル・ダグラスとダイアン・キートン主演の映画が放映されていました。

アメリカでは2014年に公開されましたが、日本では未公開の映画です。

オリジナルの題名は「And so it goes」ですが、日本語の題名は「最高の人生のつくり方」です。

「And so it goes」はビリー・ジョエルの曲名ですが、映画の題名としても「And so it goes」が相応しいように感じます。

ちなみに、「And so it goes」は哲学的な言葉で日本語に直訳するのは難しいのですが、敢えて訳すと、 「そして今は・・・」とか、「時と共に移り行く・・・」とかいった感じでしょうか。



名優のマイケル・ダグラスが演じるのは、自己中心的で頑固で変わり者と思われている不動産エージェントのオーレン(70歳位の役)です。

同じく名優のダイアン・キートンが演じるのは、かっては売れない俳優で、今はクラブ歌手をしているリア(65歳の役)です。

二人とも伴侶を亡くして、今は同じアパートで一人で暮らしています。

実は、このアパートはオーレンがオーナーなのですが、彼は他にも860万ドル(約9億円)の豪邸と閑静な田舎にリタイヤ後に住む為の家を持っています。

豪邸の方は売りに出していますが、見に来るお客さんに失礼なことを言っては売却に失敗しています。



同じアパートの隣りに住むオーレンとリアでしたが、オーレンの性格のせいもあって、最初は相手を理解するのが難しい状態でした。



ある日突然、疎遠になっていたオーレンの息子のルークが訪ねてきて、「娘のサラ(9歳)を預かって欲しい」と頼みます。

その理由は、自分が刑務所に入ることになったからです。

孫の存在すら知らなかったオーレンは驚き、「我が家は狭くて部屋が無い」と預かることを拒否します。

そんな様子を見ていたリアは、「私が預かる」と縁も無いサラを引き取ります。

リアからルークのことを問われたオーレンは、「全てが長続きしない。学校は途中で退学。スポーツも直ぐに止め、長続きしたのはドラッグだけ」と、疎遠になった理由を語ります。



最初は反発し合っていたオーレンとリアでしたが、サラを通じて、少しずつ相手を理解し始めます。

結局、最後は全ての人達がハッピーエンドに終わるのですが、もし御興味があれば、レンタルDVDで御覧ください

ミシェルのお父さんと同世代のオーレンとリアが少しずつ理解し合い、徐々に相手の優しさに惹かれていくストーリーは、殺伐とした現代社会において、身も心も暖かくしてくれるホットワインのような味がしました



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ケアレス・ウィスパー



1986年2月か3月、ミシェルのお父さんがニューヨーク駐在員事務所に勤めていた頃、マンハッタンを歩いていると、1曲の音楽が耳に飛び込んできました

その哀愁に包まれた美しい調べに、お父さんの心は直ぐに魅了されてしまいました。

しかし、その音楽が何という曲名かも分からないまま月日は過ぎました・・・。

1986年12月にロンドンに赴任した後も、その曲のことは気になっていました。

そして、ロンドンの街中を歩いていた時に、偶然、あの曲を耳にしたのです。

お父さんは、必死になって曲名を調べました。

その結果、ワム(WHAM)という2人のイギリス人が歌っている「ケアレス・ウィスパー(CARELESS WHISPER)」という曲であることが判りました。



そのケアレス・ウィスパーを作曲したジョージ・マイケルが、今年のクリスマスに53歳という若さで亡くなりました。

ケアレス・ウィスパーは、17歳だったジョージ・マイケルが、アルバイト先の映画館へ向かうバスの中で書き留めたもので、発表時に相方だったアンドリュー・リッジリーが手を加えたと言われています。

ケアレス・ウィスパーは、不用意な一言で別れてしまった恋人を想い、後悔の念を歌っています。

イントロ部分の哀愁感が漂うサックスの音色が、聴く者の胸を締め付けます。



I feel so unsure as I take your hand
(僕は正気じゃいられないよ)
And lead you to the dance floor
(君の手を取りダンスフロアに連れて行きながら)

As the music dies
(音楽が途絶えて)
Something in your eyes
(君の瞳が語りかけるんだ)
Calls to mind a silver screen
(いつか見た映画であったように)
And all its sad goodbye
(悲しいけどこれでさよならねと)

I'm never gonna dance again
(もう踊る気になれないんだ)
Guilty feet have got no rhythm
(罪の意識にさいなまれてのれないんだ)
Though it's easy to pretend
(気持ちを隠すのは簡単だけど)
I know you're not a fool
(隠し通してもいられない)

I should have known better,than to cheat a friend
(君のような友達を騙したことを後悔してるんだ)
And waete the chance,that I'd been given
(でも償うチャンスをふいにしたんだ)
So I'm never gonna dance again
(だからもう踊れないよ)
The way I danced with you-ooh...
(君と今までのようにね)

Time can never mend
(時がたっても消えやしないね)
Careless whispers,of a good friend
(親友だったはずの僕が言った不用意な一言は)

To the heart and mind
(君の心のうちを思えば)
Ignorance is kind
(知らない方がよかったね)

There's no comfort in the truth
(真実は君を苦しめ)
Pain is all you find
(君を傷つけただけさ)

I'm never gonna dance again
(もう踊る気になれないんだ)
Guilty feet have got no rhythm
(罪の意識にさいなまれてのれないんだ)
Though it's easy to pretend
(気持ちを隠すのは簡単だけど)
I know you're not a fool
(隠し通してもいられない)

I should have known better,than to cheat a friend(should have known better)
(君のような友達を騙したことを後悔してるんだ)
And waete the chance,that I'd been given
(でも償うチャンスをふいにしたんだ)
So I'm never gonna dance again
(だからもう踊れないよ)
The way I danced with you-ooh...
(君と今までのようにね)

Never without your love
(君無しでいられないのに)

Tonight's music seems so loud
(今夜の音楽は耳障りだ)
I wish that we could lose this crowd
(人ごみに紛れて消えちゃいたいよ)
Maybe, it's better in this way
(そのほうがいいかもね)
We'd hurt each other,with things we want to say
(僕らは言うだけのことをいって互いに傷ついてしまったね)

I'm never gonna dance again
(もう踊る気になれないんだ)
Guilty feet have got no rhythm
(罪の意識にさいなまれてのれないんだ)
Though it's easy to pretend
(気持ちを隠すのは簡単だけど)
I know you're not a fool
(隠し通してもいられない)

I should have known better,than to cheat a friend
(君のような友達を騙したことを後悔してるんだ)
And waete the chance,that I'd been given
(でも償うチャンスをふいにしたんだ)
So I'm never gonna dance again
(だからもう踊れないよ)
The way I danced with you-ooh...
(君と今までのようにね)

I'm never gonna dance again
(もう踊る気になれないんだ)
Guilty feet have got no rhythm
(罪の意識にさいなまれてのれないんだ)
Though it's easy to pretend
(気持ちを隠すのは簡単だけど)
I know you're not a fool
(隠し通してもいられない)

We could have been so good together
(ずっと君と一緒にいたかったのに)
We could have lived,this dance forever
(一緒にずっと踊れればと思ったのに)
But now,who's gonna dance with me
(でも誰とも僕は踊る気にならないよ)
Please stay
(お願い行かないで)

(Now that you're gone)now that you're gone
((もう君は行ってしまった)もう君は行ってしまった)
(Now that you're gone)was what I did so wrong-so wrong?
((もう君は行ってしまった)そんなに僕は間違ってたのかい)
That you had,to leave me alone
(僕を置き去りにするほどのかい)






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テーマ : 80年代洋楽
ジャンル : 音楽

プロフィール

カリーノパパ

Author:カリーノパパ
●シェリー(シェルティー母):
 とっても優しい理想的な家庭犬
 アンジェの母親です

2016.4.18永眠、享年15歳11ヶ月

●アンジェ(シェルティー娘):
 ボール遊びと食事が大好きです
 我が家で生まれました

●カリーノ(ラフコリーの女の子):
 ショードッグ
  【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 FCIインター・チャンピョン 
 【主な賞歴】
 2009年アジアインターBOB
 2010年ジャパンインターBOB
 2010年近畿インターBOB
 2010年東北インターBOB 
 2010年ペディグリーアワード
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

2014.12.9永眠、享年8歳5ヶ月

●ミシェル(ラフコリーの男の子):
 陽気で優しく、人が大好きです
 ショードッグ
 【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 【主な賞歴】
 2011年神奈川インターWD
 2014年熱海愛犬クラブ展WD
 2014年山梨東ドッグコ展WD
 2015年沼津愛犬クラブ展WD
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

●カリーノパパ(人間):
 ミシェル達のお父さん
 本職は建築家(一級建築士)
 犬、スキー、ゴルフ、車、絵画が大好き
 1974年から大手建設会社の設計部にて勤務
 1986年に海外部門に異動し、14年間海外勤務
 内13年間をロンドンにて勤務
 2012年に大手建設会社を定年退職
 同年5月から河口湖でスローライフ開始

●訪問ありがとうございます。
4頭の犬と一緒に暮らしながら、日々感じたことを綴っています。
ミシェルとミシェルのお父さんであるカリーノパパが、記事やコメントを書いています。

●コメントは、ありがたく拝見し、返信させていただきます。

●リンクフリーです。貼ったり剥がしたり、ご自由にどうぞ。

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