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台風15号被害



台風15号が関東を直撃して、特に千葉県では甚大な被害が発生しています。

4日たった今も、多くの人達が停電や断水で苦しんでおられます。

去年の台風で、1週間もの停電を経験したミシェルのお父さんは、その悲惨さが人一倍解ります。

夜は真っ暗、テレビもスマホも使えず情報入手ができない状況は、本当に辛いものです。

エアコンを使えない状況下においては、高齢の人達や病気の人達にとって、健康への悪影響も考えられます。



最大瞬間風速58mという暴風の為に、高圧線の鉄塔が倒れ、多数の電柱が倒れてしまったようです。

その被害は、東電の予想を遥かに超え、復旧工事に時間がかかっているようです。

電柱は、災害に対しても、景観に関しても、好ましいものではありません。

電線が地中化されていれば、もう少し停電を防げるのではないでしょうか。

先進国の電線地中化は100%近い都市が殆どですが、日本は都心部でさえ10%前後という有様です。



台風15号通過直後のテレビ放送では、被害の大きさは殆ど報じられてなかったように思います。

報じられていたのは、相も変わらず韓国の法相問題で、まるでテレビ局が、安倍政権を忖度して、反韓ムードを煽っているふうにさえ感じられたほどです。



しかし、徐々に被害の状況が判ってくると、その被害の深刻さに唖然としてしまいます。

被害状況が大きくても放送に取り上げてもらえない地域の人達は、独自にSNSなどを通じて「助けてください!」と救助を求めておられたようです。



多数の死者が出てしまった西日本の豪雨災害の時に、「赤坂自民亭」とか言って酒宴に興じていた安倍首相達は、今回の災害時に何をやっていたのでしょうか



今回は、閣僚人事に興じていたようです。

適材適所とはほど遠い、たらい回し人事が、発生中の災害対策よりも重要とは、到底思えません。

閣僚人事など一日を争うものではなく、数日でも延期して、災害対策に全力を尽くすというのが、本来のあるべき「政府の姿」ではないでしょうか。



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テーマ : 台風
ジャンル : ニュース

9.11テロ事件の真相



ニューヨークで起きた9.11テロ事件から、今日で18年になります。

エンパイヤステートビルやクライスラービルと共にニューヨークの象徴であったワールドトレードセンタービルが無くなってしまったのは、本当に残念です。

ワールドトレードセンタービルは、日系二世の建築家であったミノル・ヤマサキ氏の設計で、1973年4月4日に竣工しました。

ミノル・ヤマサキ氏と同じように、建築設計を職業としていたミシェルのお父さんにとっては、好きな建築家の一人でした。

1986年、ニューヨーク駐在員事務所で3か月勤務したミシェルのお父さんには、慣れ親しんだビルでもありました。

9.11テロ事件が起きる数年前には、家族でニューヨークを旅行した際に、ワールドトレードセンタービルの屋上にある展望デッキにも行きました。



そんなワールドトレードセンタービルに飛行機が突っ込み、ビルが崩壊するというニュースを目にした時には、大きな衝撃を受けたのを今でも鮮明に覚えています。



同時に、強靭なビルが、まるで達磨落としのように、あっけなく跡形もなく崩壊する様子を見た時には、とても不思議に感じました。

超高層ビルの設計に関して、通常、飛行機が衝突しても崩壊しないと言われています。

実際、ワールドトレードセンタービルに飛行機が衝突した直後には、ビルは崩壊することなく立っていたのです。

少し時間が経ってから、まるで爆薬を使って大きな建物を解体する時のように、ワールドトレードセンタービルは崩れ落ちていきました。



一般的な説では、「ビルは、火災が原因で崩壊した」と言われています。

また、公式には「オサマ・ビンラディンを筆頭とするアルカイダが引き起こしたテロ」と言われています。

しかし、アメリカ国内には、アメリカ政府が関与したという「陰謀説」があるというから驚きます。

その根拠として、「9つの疑問」が挙げられているようです。



(1)ワールドトレードセンタービル(WTC)は、何故崩壊したのか?
WTCのツインタワーは旅客機が突っ込んだ後に崩壊しましたが、その様子を見た多くの建築専門家が「あらかじめ爆弾が仕掛けられていたのではないか」と指摘しました。
爆弾を次々に爆破させてビルを解体する「制御解体」との見方ですが、米政府は調査結果をもとに、それは根拠のない間違いと一蹴しています。
しかし、米国の建築家グループは、米政府に再調査を求めています。

(2)旅客機が衝突していない第7ビルまで何故崩壊したのか?
ツインタワー崩壊の約7時間後、近くにあるWTC第7ビルが崩れ落ちました。
公式見解では、ツインタワー崩壊の影響と火災が原因とされていますが、旅客機も衝突していない第7ビルが崩壊したのは、ビル解体に用いられる「制御解体」と見る方が自然と考える人達がいます。

(3)ビル崩壊の現場を十分な検証もせずに片づけたのは何故なのか?
ツインタワーの崩壊現場は直ぐに撤去作業が行われ、崩壊原因を特定する為の十分な証拠調べが行われていなかった。

(4)米国防総省(ペンタゴン)ビルにできた穴は、何故衝突したとされる旅客機の大きさより小さいのか?
ペンタゴンにはハイジャックされた旅客機が突っ込んでビルの一部が破壊されたとされていますが、公開された事件直後の写真を見ると、ビルの壁面にできた穴は旅客機が突っ込んだにしては小さすぎます。
更に旅客機の残骸などの証拠物も映っていません。

(5)米軍の緊急発進は何故遅れたのか?
ハイジャックされた旅客機に対して、米軍は戦闘機を緊急発進させて旅客機を捕捉したり、撃墜したりする態勢を整えています。
事件当日も米連邦航空局から米軍に緊急発進の要請が出されましたが、実際に戦闘機がニューヨーク上空に到着したのは、2機目の飛行機がWTCビルに激突した数分後でした。
ペンタゴンに衝突したとされるハイジャックされた旅客機に対しても、ニューヨークから戦闘機を回しても間に合う時間的余裕がありましたが、戦闘機はその後3時間ほどニューヨーク上空を旋回し続けました。
ペンタゴンがあるワシントンDCの守備は、15キロほど離れたアンドリュー空軍基地が担当していますが、この日は何故か、約200キロも離れたラングレー空軍基地から3機の戦闘機が緊急発進しています。

(6)刑事捜査もせず、何故戦争に突き進んだのか?
米政府は「首謀者ビンラディン、実行犯19人。悪いのはタリバンとアフガニスタン」と一方的に宣言し、実行犯への刑事捜査も行わないまま、戦争へと突き進みました。

(7)ビンラディンはなぜ9.11事件の容疑で指名手配されていないのか?
米連邦捜査局(FBI)のウェブサイトに、「最も重要な10人の指名手配犯人」の欄があり、オサマ・ビンラディンも、その中に含まれています。
しかし、その容疑は、1998年8月にケニアとタンザニアの米国大使館が爆破され、200人以上が死んだ事件に関与したとあるだけで、9.11事件への言及が一切ありません。

(8)容疑者の人違いは何故起きたのか?
FBIは、事件から3日後、主犯格のモハメド・アタをはじめ19人の実行犯のリストを発表しました。
続いて実行犯の顔写真も公開しましたが、後に何人かは人違いだったとわかっています。
ところがFBIは、その後の発表でも、何故か最初に発表したのと同じリストを使い続けました。

(9)度重なる警告は、何故「無視」されたのか?
2001年7月、イタリア・ジェノバで主要国首脳会議(G8)が開かれた際、イスラム過激派組織が飛行機で会議場に突っ込むテロ計画があるとの情報を、エジプト当局がイタリア当局に伝え、ジェノバでは厳戒態勢がとられた。
この時点で、アメリカ当局は、飛行機がビルに突っ込む形式の自爆テロがあり得ると十分に認識していたはずです。
2001年6月、ドイツの情報機関はアメリカでのテロ計画を察知し、米当局に通告していました。
事件の1カ月前には、イスラエルの情報機関の幹部が「米国内にはビンラディンと関係する200人規模のテロ組織があり、米国内の有名な建造物を標的にしたテロ攻撃を起こそうとしている」と、FBIと米中央情報局(CIA)に報告しています。


太平洋戦争のきっかけになった日本軍による真珠湾攻撃については、「米国政府は事前に察知していた」という説もあるようです。

また、ブッシュ大統領が強行したイラク戦争の開戦理由は、「イラクは大量破壊兵器を有している」というものでしたが、実際には「事前にCIAが大量破壊兵器の存在を否定していた」という説があるようです。

もし、何らかの理由で、米国政府が戦争をしたいばかりに国民を犠牲にし、嘘をついたとしたら、こんなに罪深いことはありません。



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新基準でも危険な原発



福島第一原発の事故後、「国会事故調」「政府事故調」「民間事故調」「東電事故調」の4つの委員会が設置され、事故原因の究明が行なわれましたが、いずれも炉心データに基づく検証がされないまま、「事故は地震後の津波による電源喪失で冷却機能が失われ、メルトダウンに至った」と結論づけられました。



しかし、「電気がなくても、人は死なない」の著者である木村俊雄さんが、「文藝春秋」の9月号で「原発のメルトダウンは津波でなく、その前の地震によって引き起こされた」と告発されました



木村さんは1983年に東電に入社し、最初の配属先が福島第一原発でした。

その後、新潟原子力建設所、柏崎刈羽原発を経て、1989年から再び福島第一原発勤務となりました。

2000年に退社するまで、燃料管理班として12年間も原子炉の設計・管理業務を担当してきた「炉心屋」です。



木村さんは、「メルトダウンなどの原発事故を検証するには、炉心の状態を示すデータが不可欠だ」と言います。

ところが、炉心データに基づく検証がされないまま、「事故は地震後の津波による電源喪失で冷却機能が失われ、メルトダウンに至った」と結論づけられてしまったのです

何故、このように拙速な判断がなされてしまったのか 

その原因は、当初、東電が炉心データを事実上隠蔽していたからだといいます。



そこで木村さんは、東電に「炉心流量(炉心内の水の流れ)」に関するデータの開示を求め、入手することができました。

そして、専門家でも解析が難しい膨大な数字の羅列をグラフ化し、事故前には原子炉内の炉心を流れる水量が毎時1万8000トンもあったのに、地震発生から90秒後、即ち津波襲来のずっと前に、水量がゼロになってしまったことを解析しました。

木村さんは、「この解析が示しているのは、地震で原子炉圧力容器につながるジェットポンプの配管が破損し、そこから冷却水が漏れ出てしまったことだ」と語っておられます。



この木村さんの解析が正しいなら、2013年に定められた原発の「新規制基準」は根本から見直す必要があることになります。

何故なら、新規制基準は、「メルトダウンは津波によって起こったが、その前の地震動では、主要な設備・機器は壊れなかった」という前提で作られたからです。

木村さんの解析が正しいなら、配管を含めて全ての設備機器の耐震基準を一から見直す必要があります。

そうなると、安倍政権が強行する原発再稼働は、時間的にもコスト的にも不可能となることもあり得ます。

しかし、こんな重大なことが、テレビなどでは全く報じられていません。

自分達にとって都合の悪いことを政府や東電が無視しようとするのは解りますが、国民に真実を伝えるべきテレビや新聞までもが無視しているのは、報道機関が安倍政権に忖度する風潮が続いているせいでしょうか。

もしそうだとしたら、「堕落」以外の何物でもありません。



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テーマ : 原発事故
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マスコミの堕落



フランスで開催されたG7が閉会し、いつものように安倍首相が自画自賛し、御用新聞の産経新聞は「安倍首相が議事を主導した」と提灯記事を掲載しています。

しかし、事前に首脳宣言の見送りが発表されていたように、実態は殆ど意味が無い会議で、地球温暖化と自由貿易に関して、欧州とアメリカの対立が改めて浮き彫りになっただけでした。

上の写真では、安倍首相は殆ど蚊帳の外の存在で、詰め寄る欧州各国首脳からトランプ大統領を守るボディガードのように見えます。



G7の終わりに、想定外にアメリカから要求されたトランプ大統領と安倍首相の記者会見が行われました。

内容は、日米貿易交渉が大枠合意したというもので、安倍首相は「ウィンウィンで進んでいることを嬉しく思う。両国にとって間違いなく大きなプラスになる」などと語りました。

しかし実態は、日本側が牛肉や豚肉の関税を引き下げるのに対して、日本がアメリカ側に求めていた自動車関税撤廃は見送られてしまいました。

どこが、ウインウインなのでしょうか

しかも、詳細は明らかにされておらず、まだ日本国民に知らされない密約がある可能性が大のように思えます。



会見の写真を見ると、まるでトランプ大統領は「安倍、今回も俺の要求を呑んでくれて有難うな。御褒美に、また一緒にゴルフをやってあげるからな」と言ってるようで、安倍首相は「またゴルフができて嬉しいな」と言ってるように見えます。

ちなみに、G7の前に安倍首相は2回目の夏休みを取りましたが、別荘にいる間、日中はゴルフ三昧で、夜は高級レストランで食事という毎日でした。



安倍首相の行動を見ていると、日本の首相というよりは、まるでトランプ大統領の執事で、トランプ大統領のご機嫌を取る為に日本を食い物にしているようにさえ思えます。



その一例が、今回の会見で明らかにされた「アメリカ産トウモロコシの爆買い」です。

安倍首相は、記者会見を日米貿易交渉の話だけで終わろうとしたのですが、突然、ビジネスマンのトランプ大統領が「ここでトウモロコシの話もして欲しいな」と言ったので、その密約が明らかになりました。

中国国有企業がアメリカから買うはずだった飼料用トウモロコシ275万トンが、米中貿易摩擦によってアメリカで余っており、それを日本が数百億円規模で購入することになったというのです

トランプ大統領は「中国がやると言ったことをやらなかったから、国中でトウモロコシが余っている。代わりに日本の安倍首相が、全てのトウモロコシを買うことになった」と得意気に語りました。

安倍首相同様、成果に乏しいトランプ大統領としては、次期大統領選に向けて、アメリカ国民に対して少しでも成果をアピールしたかったのでしょう。

トランプ大統領のご機嫌取りの安倍首相に対して、インターネット上では次のような怒りの声も上がっています。

「おい安倍晋三!中国が要らないと言ったアメリカの余剰トウモロコシを日本が全部買うとか、何勝手なこと言ってるんだ‼️自民党議員とその家族で一生毎日トウモロコシ食ってろ!他の国民や家畜に与えるなよ‼️もうお前は日本戻ってくるな!この国難売国野郎💢」



日本では、年金も大きな問題になっています。

政府は「100年安心」とか言っていますが、経済の専門家達は「25年安心」に過ぎないと指摘しています。

そんな国内事情を抱えながら、何故、兵器やトウモロコシの爆買いができるのか不思議でなりません。

菅官房長官は、記者会見で「害虫被害で、日本産のトウモロコシが不足する可能性がある」と、アメリカからの爆買い理由を説明しましたが、どうやら、それは嘘のようです。

農水省によると「現状で営農活動に影響は出ていません」とのことです。

害虫被害発生が確認された地域では、大量発生を防ぐ為に防除や早期の刈り取りを促しているが、作物への影響はわずかだといいます。

しかも、アメリカから輸入するのは実を使用する「デントコーン」と呼ばれるトウモロコシで、日本で被害が出ているのは葉や茎を砕いて利用する「サイレージコーン」と呼ばれるトウモロコシで、性質が全く異なるそうです。

つまり、日本産のトウモロコシが不足しても、単純にアメリカ産のトウモロコシを代用することなどできないのです。

更には、アメリカ産のトウモロコシは、遺伝子組み換えされたものが殆どのようです。

国民を欺く日本政府も酷いと思いますが、こんな事実を国民に伝えようとしない日本のマスコミの堕落ぶりにも呆れます。



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厚労政務官口利き



自民党の上野宏史・厚生労働政務官が、人材派遣会社「ネオキャリア」が在留資格を申請している外国人について法務省に口利きをし、その見返りに金銭を求めていたと8月21日発売の「週刊文春」がスクープしました。

しかも、上野政務官は日頃から秘書に対するパワハラもひどかったそうで、秘書が上野政務官とのやり取りを録音したテープも公開されたので、「あっせん利得処罰法違反」に問われる可能性もありそうです。

東京都新宿区に本社を構える人材派遣会社「ネオキャリア」は、全国の飲食店やドラッグストアなどに外国人を派遣しています。

そして、彼らの在留資格を取るため、各地方の法務省外局「出入国在留管理局」に大量の交付申請を行っています。

上野政務官の事務所には、ネオキャリアから在留資格申請中の外国人187人分のリストが送付されており、それに基づいて法務省に口利きを行っていたようです。



この申請を巡り、今年6月、上野政務官は政策秘書A氏に対し、次のような発言をしていたといいます。

「僕がネオキャリアの西沢(亮一)さんという社長と交渉することになっている」

「(在留資格認定証明書の交付を)早くしたっていう実績をウチが作ってあげて、その分ウチは(もらう金額を)交渉して、これを党費にあてようと思って。(交付申請が)100人だから、(1件2万円で)200万円で、家族党員1000人分にあてる」



更に上野政務官は・・・

「だってこれ、ウチがネオキャリアからお金もらう案件になっているんだから」

「党費にあてるんで僕がやってるんだから。遊びでやってるんじゃないんだよ、こんなの」

これに対して政策秘書A氏は「これあっせん利得になっちゃいますよ、代議士」と諫めると・・・



上野政務官は、自身を通さずに派遣会社に法務省からの在留資格認定の可否を伝えたA氏に激怒。

「違うよ」

「ふざけんなよ。何で自分の判断で勝手な行動するんだよ」

実際の会話を録音しただけあって、内容は生々しさに溢れています。

上野政務官は、開成高校から東大を経て通産省(現在の経産省)に入った元官僚です。

そして、小泉政権で官房副長官を務めた上野公成氏の娘さんと結婚しています。(仲人は、安倍首相夫妻)

2010年6月に経産省を辞めて、7月の参議院議員選挙に「みんなの党」から比例区に立候補し、初当選しました。

2012年11月の衆議院選挙では、「日本維新の会」公認で群馬1区から立候補し、選挙区では落選しましたが、比例北関東ブロックで復活当選しました。

2014年11月の衆議院選挙では、「無所属」で立候補し、落選しました。

2017年9月の衆議院選挙では、自民党から比例南関東ブロック単独32位で立候補し、自民党が比例南関東ブロックで獲得した8議席中8番目で当選しました。

しかし、2019年1月16日に締め切られた自民党の群馬県選挙区の公認候補者公募に応募しましたが、上野政務官は最終審査で落選しました。

つまり、今回の口利きで得られるお金は、選挙区を持たない上野政務官が今後の選挙で自民党から公認を得るための工作資金だった可能性も考えられます。

そもそも外国人労働者の受け入れ拡大は、安倍首相の肝いりで強引に押し通されたものでした。

それを、安倍政権の政務官が食い物にしていたというのですから、腐りきっているとしか言いようがありません。

インターネット上では、早速、次のようなコメントが寄せられています。

「もうタガが外れまくってるな。自民党内には、何をしても起訴されない感が蔓延してるんじゃないのかね。」

「明らかなあっせん利得処罰法違反ではないか。これでも検察が動かなければ、法治の崩壊。日本は、とんでもない無法国家になるだろう。」

「このモノがやらかしていることは、斡旋利得以外の何ものでもない。即刻、議員辞職すべき案件。」

「これ、本当なら完全にアウトだな。それにしても「パワハラや暴言」ねぇ・・・石崎、豊田など、自民党議員にこの手の話題が尽きないのはなんでなのだろう?」

「権力の私物化が止まらない。結局、頭が腐れば、全部腐る。本来の監視装置までが、既に腐り始めている。国全体が腐る前に、絶対に止めないといけない。」

「さあ入院する?ちゃんと説明する?それにしても、この政権の不祥事の多さ。異常に慣れてしまっては駄目だわ。異常が当たり前になってしまう。」



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テーマ : このままで、いいのか日本
ジャンル : 政治・経済

カーペットのシャンプー



ミシェルのシャンプーが終わったばかりですが、週末は天気が良かったので、カーペットもシャンプーしました

使ったのは、ホームセンターで買ってきた「カーペット・シャンプー」です。



ミシェルのお家の駐車場にブルーシートを敷き、その上に2枚のカーペットを置きました。

カーペットにカーペット・シャンプーを吹き付け、それをブラシでこすります。



シャンプーとブラッシングが終わったら、お湯(水)で濡らしたタオルを固く絞り、カーペット全体を拭きます。

最後に、カーペットを庭のベランダの手摺にかけて自然乾燥させます。

素人クリーニングですが、かなり綺麗になった気がします

ちなみに、ヨーロッパでは、温泉水を使ってカーペットをクリーニングするお店があり、とても繁盛しているようです。



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テーマ : 日々のできごと
ジャンル : ライフ

原爆の過ちを訴え続けた米国人(3)



帰国して3年後の1949年、オダネルさんは、アメリカ情報局に勤務しました。

大統領の専属カメラマンに抜擢され、ホワイトハウスで働き始めました。

最初に担当したのは、日本への原爆投下の決定を下した「トルーマン大統領」でした。

トルーマン大統領は、日本に原爆投下したことについて「原爆投下は、戦争を早く終らせる為だ。多くの若いアメリカ兵の命を救う為だった」と語っています。

1950年、オダネルさんは、一度だけ、自分の思いをトルーマン大統領にぶつけました。

録音テープより・・・「『大統領、私は長崎と広島で写真を撮っていました。あなたは、日本に原爆を落としたことを後悔したことはありませんか?』 彼は動揺し、顔を真っ赤にしてこう言った。『当然それはある。しかし、原爆投下は、私のアイディアではない。私は、前の(ルーズベルト)大統領から単に引き継いだだけだ』」

核戦略を進めていたルーズベルト大統領が、1945年4月12日に突然に脳卒中で亡くなり、副大統領だったトルーマンが、急遽、大統領に昇格したのでした。

母国アメリカが推し進める核戦略と、長崎で見た原爆が人間にもたらす現実を知ったオダネルさんは、苦悩を深めていきました。



1989年、そんなオダネルさんの運命が変わります。

オダネルさんは、偶然に立ち寄った修道院で、そこに飾られていた「反核運動の彫像」に出会います。

彫像の全身には、被爆者の写真が貼られていました。

腰には、爆心地を彷徨う二人の写真が。

右腕には、列を成す傷ついた人々の写真が。

録音テープより・・・「私は、彫像を見て衝撃を受けた。罪のない被爆者達の写真が、彫像の全身に貼られていたのだ。その多くは女性であり、子供達だった。それを見た時の気持ちは言い表せない。長崎の記憶がよみがえり、とても苦しくなった。しかし私は、何かしなければと痛烈に感じた。まさに啓示だった。自分も、撮影した真実を世界に伝えなければならないと」

オダネルさんは屋根裏部屋に行き、43年ぶりに、トランクを開けました。

「長崎」と記されたネガは、朽ち果てることなく、当時のまま残っていました。

トランクの中にあった原爆の写真を並べ始めたオダネルさんの姿に、家族は衝撃を受けます。

オダネルさんの息子のタイグ・オダネルさんは「ある日、母が家に帰ってきたら、トランクを開けた父が、台所に原爆の写真を並べていたんです。被爆者や爆心地の写真から、母は目を背けました。母にはショックが大き過ぎたんです」と、その時の様子を語っています。



毎年5月、ワシントンでは、退役軍人による記念パレードが行われます。

高齢となった退役軍人は、その多くが、今なお、原爆投下の正当性を信じています。

退役軍人の一人は「原爆は、日本の真珠湾攻撃と比べても悪くないだろう」と語っています。

その頃、オダネルさんの体を異変が襲います。

背骨の痛みと変形、そして皮膚ガン。

オダネルさんは、原爆による症状だと確信しました。

録音テープより・・・「体のあちこちに異変が起きた。25回も手術することになった。爆心地に送り込んでおきながら、軍は何も情報をくれなかった。かなりひどい放射能汚染があったというのに、何も知らないまま、とてもたくさんの時間、長崎の爆心地にいた」

オダネルさんは、原爆による被害だとアメリカ政府に補償を求めましたが、その訴えは却下されました。



1990年、オダネルさんは長崎の写真を引き延ばし、アメリカの各地で写真展を試みました。

しかし、原爆の写真を受け入れる施設は、殆どありませんでした。

本に掲載してもらおうと、全米の出版社を回りましたが、回った35社全てに断られました。

終戦から50年目の1995年、スミソニアン航空宇宙博物館でようやく決まった写真展も、地元の退役軍人の激しい反対で中止に追い込まれました。

家には嫌がらせの手紙が来るようになり、地元の新聞には、オダネルさんを批判する投書も目立つようになりました。

幸せだった家族は、トランクを開けてから一気に崩壊し、妻のエレンさんは、夫の行動を理解できずに離婚しました。

母国であるアメリカで、オダネルさんは孤立を深めていきました。

録音テープより・・・「どうか誤解しないで欲しい。私はアメリカ人だ。アメリカを愛しているし、国の為に戦った。しかし、母国の過ちを、無かったことにできなかった。退役軍人は、私のことを理解してくれないだろう。私は、あの場所に居て、死の灰の上を歩き、この目で惨状を見たのだ。しかし、あの小さな子供達が、何かしただろうか。戦争に勝つ為に、本当に彼らの母親を殺す必要があっただろうか。それは、100年経っても間違いであり続ける。絶対に間違っている。絶対に。歴史はくり返すと言うが、くり返してはいけない歴史もあるはずだ」



オダネルさんは、70歳を過ぎてから、日本でも写真を公開し、体験を語る活動を始めました。

そして、オダネルさんは長崎を訪れ際、以前に撮影した被爆者との再会を果たしていました。

救護所で見た背中が真っ赤に焼きただれていた少年は、幸いにも一命を取り留めていたのです。

オダネルさんは、その少年だった谷口稜嘩(すみてる)さんと10年に渡って交流し、共に日本で原爆の過ちを訴えて回りました。

谷口さん自身も、原爆投下後の地獄を語ることを「生かされた者」の使命として背負い続けました。

2010年には、被爆者代表として出席したニューヨークの核拡散防止条約再検討会議において、各国代表の前で「真っ赤な背中の少年」と題された自身の写真を掲げ、原爆の恐ろしさを訴えました。

オダネルさんが最も気にかけていたのは、「焼き場に立つ少年」でした。

谷口さんと同じように再会できないかと、日本で写真展を開きながら、オダネルさんは少年の行方を探し続けたといいます。

録音テープより・・・「私は、少年を必死に捜した。日本の新聞にも『この少年を知りませんか』と載せてもらった。少年は、あの後、一人で生きていったのだろうか。ついに、彼に会うことができなかった」



日本とアメリカを行き来する生活する中で、オダネルさんの病状は悪化していきました。

背骨の痛みは深刻になり、皮膚ガンは全身に転移していました。

そして2007年の夏、ジョー・オダネルさんは、85歳で息を引き取りました。

その日は奇しくも、長崎に原爆が落ちたのと同じ「8月9日」でした。

残されたテープを聞いていく中で、息子のタイグさんは、父の思いを知ることになります。

録音テープより・・・「アメリカ人が好むと好まざるとに関わらず、8月6日と9日は毎年やって来る。嫌がらせの手紙や投稿が、どんどん集まってくる。『お前は裏切り者だ』、『アメリカが嫌なら日本に行け』と。ある時、娘が教えてくれた。『お父さんの活動に、味方する投稿が一つだけあるよ。それはとってもポジティブな内容で、お父さんは正しいことをしたって言ってる』と。その投稿は、私への批判の声に、反論してくれていたのだ。『オダネルを批判する人達に言いたい。まず図書館に行け。私がしたように。原爆とは何だったのか、何をしたのか、図書館に行って、歴史を勉強してから批判しろ。図書館に行け。あなた方は教えを受けるだろう』 私はそれを読み、こりゃ素晴らしいと思い、名前を見ると、それは私の息子だった。息子が、私が日本に居た時と同じ、23歳の頃だった。その後、息子はこう言ってくれた。『50年経って、僕がお父さんくらいになったら、僕が日本に行って、お父さんのやろうとしたことを引き継ぐよ。平和の為に、命をかけて、写真を伝えていくよ』」

息子のタイグさんは「僕は、父の苦しみを理解しきれていなかった。父の写真は、アメリカに複雑な感情を抱かせる。けれど父は、目撃してしまった。その記憶に突き動かされたのだ。もしあの頃に戻れるなら、父の支えになってあげたかった」と語っています。

母国アメリカに、原爆投下の意味を問い続けた父。

その遺志を汲み、タイグさんは、全米に向けて父の写真を公開しました。

写真に、批判の声が集まり始めます。

「広島と長崎への原爆投下は、必要だった」、「謝る必要なんてない」・・・

しかし、父の時代には見られなかった声も、寄せられています。

「長崎の少年を見ました。悲しみに耐えている姿に、胸が締めつけられました。原爆の写真で、こんなに心を動かされたことはありませんでした」

イラク帰還兵からは「この写真は、戦争の現実を伝えている。もしこれがイラクで写された写真だったら、アメリカ人は、イラクへの駐留を考え直したかもしれない」

写真を公開して8ヵ月、タイグさんの元に、思いがけない人から意見が届きました。

母のエレンさんからでした。

離婚して13年、父との連絡を絶っていた母が、その胸の内を語っていました。

「お父さんの写真のことで、忙しくしていると聞きました。私は、ジョーが亡くなってから、彼の行動の意味を考えています。しかし、私にはまだ、ジョーが何故トランクを開け、母国を告発したのか解らないままです。ただ、これだけは確かです。彼の写真が、多くの人に影響を与えていること。そして、その写真を引き継いだあなたを、ジョーが誇りに思っていることです」



ジョー・オダネルさんの死から1年たった夏、長崎の原爆資料館で初の写真展が開催されました。

遺族として招かれたタイグさんは、会場で谷口稜嘩さんと初めて会うことができました。

谷口さんが「今現在の背中です。新しいあとは、去年手術したんです」と、自分の背中を見せてくれました。

タイグさんは遊んでいる子供達にカメラを向けながら「父は死ぬ前に言っていました。『あの日の長崎には笑顔が無かった』と。『いつか長崎で、笑顔の子供を撮りたい』と。それに応えたいと思ったんです」と語りました。

原爆を目撃してしまったアメリカ人のカメラマンが、苦しみの末に封印を解いた長崎。

30枚の写真は、今もなお、核の脅威に揺れる現代に、戦争の現実と、それを伝え続ける尊さを訴えています。

録音テープより・・・「たとえ小さな石であっても、池に投げ入れたら、波紋は広がっていく。それは少しずつ広がり、いつか陸に届くはずだ。アメリカという陸にも、届く日が来る。誰かが続いてくれれば、波紋はさらに広がっていく。そしていつか、誰もが平和を実感できる日が来ると、信じている」




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原爆の過ちを訴え続けた米国人(2)



オダネルさんは、軍隊で使っていたトランクを屋根裏部屋に置き、家族には「絶対に開けるな」と告げていました。

しかし、アメリカに帰国してから43年後、オダネルさんが67歳の時、突然トランクを開けたといいます。

トランクの中には、軍の規則に違反して撮影された、長崎の写真が隠されていました。

残された30枚のネガには、破壊された長崎の町と、瓦礫の中で生きる日本人の姿がとらえられていました。

トランクの中には、写真と共にオダネルさんの声が録音されたテープが入っていました。

録音テープより・・・「突然の日本軍による真珠湾攻撃。私は復讐心に燃え、海兵隊に志願した。日本人に怒り、日本人を殺す為に、軍隊に入ったのだ。」

19歳の冬、海兵隊に入隊し、写真記録班に配属されました。

1945年8月、初めて原爆投下のニュースを聞いた時の心境を、オダネルさんは手記に残していました。

「新型兵器が日本に落とされた。10万人くらい死んだらしい。はじめは、あのクソったれ日本人との対決を鼓舞するプロパガンダかと思ったが、本当らしい。とにかくこれで、戦争は終わりだ」

そして録音テープには・・・「アメリカは、きのこ雲を見て、戦争は終ったと思っていた。でもそれは、この50年に渡る、生き残った日本人にとっての苦しみの始まりだったのだ」



録音テープより・・・「多くの子供が、戦場か原爆で、親を亡くしていた。生き延びた子供は、幼い弟や妹を、親代わりとなって支えていた」



オダネルさんが出会った、幼い兄弟です。

瓦礫の中にたたずむ3人に、オダネルさんは、持っていたリンゴをあげました。

録音テープより・・・「年上の子供が、私の手からリンゴをもぎ取った。彼らは飢えていた。3人で分け、皮どころか、芯まで食べ尽くした」



日本人の撮影を続けていたオダネルさんは、被爆者が治療を受ける救護所へ向かいました。

オダネルさんは、そこで出会った一人の被爆者について語っています。

録音テープより・・・「私が見たその人は、これまで出会った怪我人と全く違っていた。彼には髪の毛が無かった。眉も鼻も耳も無かった。顔といえる原型はなく、肉の塊だった。彼は私にこう言った。『あなたは敵でしょう。殺してください』  私は逃げるように彼から離れ、別の患者に向き直った。部屋を去る時、再び彼を見た。まだ『殺してくれ』と言っていた。自分にできることなど何も無かった。その時、肉の塊にしか見えなかった彼の両目から、涙が流れていた」

その夜、「あの被爆者はどうなったのか?」と考えると、オダネルさんは眠ることができませんでした。

翌日、救護所を訪ねると、ベッドにその被爆者の姿はありませんでした。

録音テープより・・・「この世のものとは思えないものを見た。それは本当に酷かった。死んだ人、子供達、その母親、間もなく死ぬ人、飢えている人、そして原爆症・・・。あまりにも多くの傷ついた人々を撮影している内に、日本人に持っていた憎しみが消えていった。憎しみから哀れみに変わった。何故、人間が、同じ人間に、こんな恐ろしいことをしてしまったのか。私には理解できない」



爆心地周辺、オダネルさんが、最も多く撮影した場所です。

廃墟の町を見下ろす丘に、辛うじて建つ建物がありました。

浦上天主堂です。

原爆投下によって、8500人もの信者が、長崎で亡くなりました。



長崎を南北に貫く浦上川。

そのほとりに降りて行ったオダネルさんは、生涯忘れられない光景と出会います。

白いマスクをかけた男達が目に入りました。

男達は、60cm程の深さに掘った穴のそばで、作業をしていました。

荷車に山積みにした死体を、石灰の燃える穴の中に、次々と入れていたのです。

そこは、臨時の焼き場(火葬場)でした。

そして、焼け野原の中を、10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に入りました。

おんぶ紐をたすきにかけて、幼子を背負っていました。

しかも裸足でした。

少年は、焼き場のそばまで来ると、硬い表情で立ち尽くしています。

背中の赤ん坊は、ぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。

少年は、まるで敬礼をしているかのように、黙って立っていました。

白いマスクの男達が少年に近づき、ゆっくりとおんぶひもを解き始めました。

この時、オダネルさんは、背中の幼子が既に死んでいる事に初めて気付いたのです。

男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。

それから、まばゆい程の炎が、さっと舞い立ちました。

真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年の、まだあどけない頬を赤く照らしました。

その時、オダネルさんは、炎を食い入るように見つめる少年の唇に、血がにじんでいるのに気付きました。

少年が、あまりにきつく噛み締めている為、唇の血は流れる事もなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま、焼き場を去って行きました。



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原爆の過ちを訴え続けた米国人(1)



先日、テレビで紹介された一枚の写真を見て、大きな衝撃を受けました。

第二次世界大戦の末期、長崎に原爆が投下された直後に撮影された「焼き場に立つ少年」と題された写真です。

幼い弟を背負い、直立不動の姿勢でいる少年の写真です。



ローマ法王は、同じ写真をカードにし、関係者に配布されたといいます。

前皇后陛下の美智子様も、2007年のお誕生日を迎えての会見で 「一番印象に残ったこと」という質問に対して、同年に亡くなった一人のカメラマンと、一枚の写真(焼き場に立つ少年)について述べられたといいます。



上の写真は、1945年8月9日に長崎市に投下された原子爆弾の「きのこ雲」です。

この原子爆弾の投下によって、3万9千~8万人が亡くなったと言われていますが、実際には正確な人数が判っていません。

直後に亡くなった人もいるし、何年もあとに亡くなられる人もおられるからでしょうか。



「焼き場に立つ少年」と題された写真を撮影したのは、米国人のジョー・オダネルという人物です。

オダネルさんは、日本による真珠湾攻撃を受け、 「日本憎し!」という思いで米軍に入隊しました。

終戦から1か月が過ぎた9月22日、オダネルさんは海兵隊の空爆調査団・公式カメラマンとして長崎入りしました。

オダネルさんに与えられた任務は、原爆の破壊力を記録することでした。

この時、オダネルさんは、軍のカメラで決められた対象物だけを撮影することが求められましたが、ある理由から命令に背き、密かに自分のカメラでも30枚の写真を撮影しました。

しかし、その写真はオダネルさんの肉声が録音されたテープと共にトランクに入れられ、43年間も自宅の屋根裏部屋に封印されていました。



録音テープより・・・「昨日のことのように思い出される。1945年、私は、原爆の破壊状況を記録する任務で、長崎に入った」

長崎に足を踏み入れたオダネルさんは、その光景に衝撃を受けます。

爆心地から約1kmの三菱製鋼所では、千人を超す従業員が亡くなっていました。

爆心地から500mの鎮西学院では、130人の生徒が亡くなっていました。

原爆のことを「新型兵器」としか聞いていなかったオダネルさんにとって、目の前の現実は、想像をはるかに超えたものでした。

録音テープより・・・「私は、灰と瓦礫につまづきながら、爆心地を見渡した。衝撃的だった。そこには、人が暮らした文明の跡形も無かった。自分が地球に立っているとは思えないほどの破壊だった」

あまりの悲惨さに衝撃を受けたオダネルさんは、「許可無く日本人を撮ってはいけないという」軍の命令に背き、自分のカメラで、そこに生きる人々を密かに撮影し始めたのです。



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学校の「当たり前」をやめた



上の写真は、千代田区立麹町中学校の工藤勇一校長が書かれた『学校の「当たり前」をやめた。』という書籍の表紙です。

麹町中学校といえば、かっては生徒の半数が、名門「日比谷高校(東大進学率トップクラスの都立高校)」への進学を目指して越境入学してきた学校です。

工藤校長ご自身も、山形県公立中教員や東京都公立中教員を務められ、更に東京都教育委員会をはじめ教育行政の経験をお持ちです。



工藤校長が取り組んだ3つの改革は、「宿題なし」、「クラス担任制は廃止」、「中間・期末テストは廃止」というものです。

工藤校長は、「目的と手段を見直し、学校をリ・デザインする」のだと語っておられます。

その目的は、子供達が「社会の中でより良く生きていけるようにする」という学校の本来の目的に立ち返り、「これまでの慣例を徹底的に見直す」ことだといいます。



宿題と定期試験は学力定着の「手段」にすぎないのに、それ自体が「目的化」されてしまっているから廃止。(全くそのとおりだと思います。記憶力が肝の学校の試験ができるというだけの、東大卒の馬鹿な国会議員も多数いますからね

代わりに単元が終わるごとに小テストを実施し、合格点に達しない生徒には、再チャレンジをさせる。(素晴らしい!)

放任するのではなく、責任を持って一人一人の学力保障を図るのだといいます。(納得)

固定担任制の廃止も同じ発想で、「生徒は担任とウマが合わなくても学年の中なら気の合う教員もいるはず」という考えだといいます。(確かに・・・)

教員側も、学年全員体制で生徒に向き合えば盤石だし、各教員の得意も生かせるといいます。



生徒指導も、生徒を機械的に管理する為にはやりません。

例えば、服装や頭髪の乱れなどの行動の変化が出てきたら、「何故そうするのか?」と考え、より深く生徒の心を知るキッカケにしていくといいます。

生徒理解を一つずつ積み重ね、「本当の指導」に発展させていくとの考えです。



更に、学校づくりは生徒を主体に据え、運動会などの行事といった「当たり前」の見直しも生徒主体で行います。

体育祭も、運動の苦手な生徒のことを考えて、「競うもの」より「楽しめるもの」を考えます。(素晴らしい!)



学校の「当たり前」の多くは、実はよくよく見つめ直せば、これまでの「慣例」に縛られているに過ぎないといいます。

そして、変革を阻むのは、「法律」や「制度」よりも、「人」だと工藤校長は断じておられます。

この「慣例」という学校だけに通用する「常識」に、どれだけ子供達、保護者達、教員達が縛られ、苦しんでいることか・・・。

大胆な「改革」とは、実は学校現場を「教育の原点」と照らし合わせ、小さな改善を積み重ねていくことに他ならないといいます。

工藤校長は、「いくつもの小さな改善が大きな変化を生み、いつか教育の本質的な改革が進み、学校が変われば、社会は必ず変わります」と語っておられます。

ミシェルのお父さんも、「麹町中学校のような学校が更に多く出てくるといいな」と思います。



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テーマ : 教育問題について考える
ジャンル : 学校・教育

プロフィール

カリーノパパ

Author:カリーノパパ
●シェリー(シェルティー母):
 とっても優しい理想的な家庭犬
 アンジェの母親です

2016.4.18永眠、享年15歳11ヶ月

●アンジェ(シェルティー娘):
 ボール遊びと食事が大好きです
 我が家で生まれました

2018.5.5永眠、享年14歳10ヶ月

●カリーノ(ラフコリーの女の子):
 ショードッグ
  【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 FCIインター・チャンピョン 
 【主な賞歴】
 2009年アジアインターBOB
 2010年ジャパンインターBOB
 2010年近畿インターBOB
 2010年東北インターBOB 
 2010年ペディグリーアワード
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

2014.12.9永眠、享年8歳5ヶ月

●ミシェル(ラフコリーの男の子):
 陽気で優しく、人が大好きです
 ショードッグ
 【主なタイトル】
 JKCチャンピョン
 【主な賞歴】
 2011年神奈川インターWD
 2014年熱海愛犬クラブ展WD
 2014年山梨東ドッグコ展WD
 2015年沼津愛犬クラブ展WD
 【資格】
 JKC訓練資格CDⅠ

●カリーノパパ(人間):
 ミシェル達のお父さん
 本職は建築家(一級建築士)
 犬、スキー、ゴルフ、車、絵画が大好き
 1974年から大手建設会社の設計部にて勤務
 1986年に海外部門に異動し、14年間海外勤務
 内13年間をロンドンにて勤務
 2012年に大手建設会社を定年退職
 同年5月から河口湖でスローライフ開始

●訪問ありがとうございます。
4頭の犬と一緒に暮らしながら、日々感じたことを綴っています。
ミシェルとミシェルのお父さんであるカリーノパパが、記事やコメントを書いています。

●コメントは、ありがたく拝見し、返信させていただきます。

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